雑な思想

年末ぐらいから、人生や考え方、行動においてあまりに簡単に優劣をつけたがる人に多く会った。(自分があまりにも劣性と考えてしまう人も含む。)

自分がそーゆーモードになっていて引き寄せていたんだと思うのだけど、人の行動や人生の中の一つの結果を極端にジャッジするのは、気持ち悪いと思うようになってきた。人にも物にも、理屈っていうフィルターをかけすぎてふるいにかけようとするのは怖い。盲目と紙一重。一見筋が通っているように見える理屈でも、それが絶対に正しいということもない。

大前提として、考え方が全く同じ人なんていない。

何でも真に受けるタチなので、誰かが言った"何か"を自分の中に堆積させてものすごく疲れてしまって、同時にコロナで人見知りも再発して、通常のコミュニケーションも立ち行かなくなった。想いがねじ曲がって伝わるようなSNSとかも少々控えている。

自分の中で多少ハッキリしてきていることは、バカなんて1人もいなくて、もしくはもれなく全員バカということなんだということ。

それはたとえば、右派、左派などで言えば、彼らはお互いのこと間違ってるばーかばーかと思ってるわけで、どっちでもない人からするとどっちも極端で変なのーと思ってるわけで、そしたらさ、もうどこから見るかでバカかバカじゃないか決まるから、あれなんだバカってほんとは幻なのでは?という考えに辿り着いたということ。現実にはそんなものはいないように見える。

意見を持つこととジャッジすることをごっちゃにしていたけど、後者は時代錯誤で迂闊にしない方が良い、というか誰もがそんな立場にないことをいつも念頭におきたい。カテゴリ分けは自分のことも分断してしまう。

色眼鏡をつけるなら、なるべく優しい色を選ぼう。

と、このような類のことにセオリーを見つけても意味などさっぱりなく、習慣にする他ないねぇ。

のびのび暮らすのが1番いいわ。

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