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【自然分娩】"主イエスは生まれぬ"から考えたこと【帝王切開】

おとといは、月に一回伴奏に行っている歌のサークルの活動日でした。

クリスマスが近いので、クリスマス気分を味わうためだけに讃美歌を歌いました。

途中、歌詞に「主イエスは生まれぬ」と出てくると、誰かが

「生まれぬ、っていうのはまだ生まれないの?もう生まれたの?」

と言い出し、あーだのこーだのと議論が始まりました。

すると、また別の誰かは

「讃美歌ってさぁ、何百曲もあって、イエス様が生まれたとか生まれそうだとかひたすら歌い続けて、大変だよねぇ」

と言いました。

私も讃美歌のことはよく知らないので、何も言えることはないのですが、それを聞いていて


「あ〜、自然分娩だからそうなるんだよね…」
と思いました。


私は予定帝王切開で息子を産んだため、前もって手術日と時間が決まっており、「いつ生まれそう?まだ?」みたいなことは一切なかったのです。


帝王切開になった理由は前置胎盤といって、胎盤の位置の異常でした。

本来、胎盤は胎児より上にあるものらしいのですが↓

青いのが胎盤だと思ってください


私の場合、下にありました↓

こうなると胎盤が邪魔になり、胎児は子宮口から出ることができません。


この状態だと、胎児より先に胎盤が出てしまうことになるのですが、胎盤は胎児の栄養源なので、それを失うと胎児はそれ以上お腹の中で生きられなくなってしまいます。


また、胎盤が子宮口の近くにあると、出産前に勝手に胎盤が剥がれ落ちる可能性があり、大量出血を伴うため、実際に母子ともに亡くなってしまうケースもあるという、非常に恐ろしいものなのです。


そのため、私は妊娠30週から管理入院となり、37週(いつ生まれてもいい時期)になったら帝王切開で出産する、という計画になりました。


そんなわけで、私は破水も陣痛も全く経験することなく出産したのです。


あくまで私の場合ですが、帝王切開の感想は「ただの手術だったな…」でした。


産んだのが総合病院だったから、というのもあるかもしれませんが、医療ドラマとかで見るような普通の手術室で、私は横になっていただけで、お医者さんがお腹を切って子どもを出してくれた、という感じでした。

もちろん、麻酔で痛みはなくても意識があるままお腹を切られたわけだし、お腹のあたりをぐいぐい引っ張られたり激しく叩かれたりするような感覚はあったので、それはそれで恐怖でした。



でも出産って、どうしても陣痛に耐えて頑張って産むという自然分娩の印象が強いから、出産直後は「これも出産って言っていいのかぁ」ってちょっと拍子抜けしました。


帝王切開も術後の痛みが大変でしたが、それでもやっぱり陣痛の痛みと比べ物にならないのではないかと思いました。



私は帝王切開にネガティブなイメージを持ったことはないけど、自分が体験してみて、確かに帝王切開の経験者に偏見を持つ人とか、心ない言葉をかける人が後を立たない理由がなんとなくわかりました。


でも、帝王切開は母子ともに一番安全と判断された場合に行われるものです。


私と息子も、もし自然分娩だったら命を落としていたかもしれないのです。


そう考えると、帝王切開のある時代に出産できてよかったと、心底思いました。


ていうか正直言うと、予定帝王切開になって、陣痛などといった自然分娩の苦しみを一切味わう必要がないとわかったときは、「助かった」という気持ちでした…


私は極度のビビりなので、自然分娩だったらできれば無痛分娩にしたかったのですが、まだまだ地方で無痛分娩ができる病院は少ないです。


実は、1回目の妊娠の時、無痛分娩対応の病院に行ったのですが、私が流産すると先生が手のひらを返したように態度が冷たくなり、そこにはもう二度と行く気になれませんでした。


そして2回目の妊娠の時、同じように無痛分娩に対応している別の病院に問い合わせをしたのですが、電話に出た受付の人がめちゃくちゃ高圧的で、鼻で笑いながら話してきたので、行くのをやめました。


同じ市内には、この2軒以外にも無痛分娩対応の病院があるのですが、家からかなり遠くなってしまうので断念しました。


ただでさえ無痛分娩対応の病院は限られているのに、対応の悪い病院が2軒もあったら、絶望です。

(もちろん、その2軒の病院で無痛分娩して良かった〜という人も一定数いると思うのですが)


もっと、無痛分娩がメジャーなものになればいいのに。

つわりの苦しみと出産の痛みは、どう考えても経験しないで済むならその方がいいと思います…。



ちなみに、私は帝王切開だったからって今の生活に何も影響はないのですが、

しいていえば誰かと話していて出産の話になった時、自然分娩に関することに何も共感できないのはちょっと寂しいです。



その感覚を例えると、私の育った町には給食制度がなく、小中学校で給食を食べたことがなかったため、高校や大学の友達と給食の話題になった時についていけなかった時の疎外感に似ています。

まぁ、めちゃくちゃどうでもいいレベルのことですけどね(笑)




さて、ここまで読んでくださった方々は、最初の「主イエスは生まれたのか議論」のことをすっかり忘れたかもしれませんが、話を戻します。


集団でそういう話題になると、1人くらい「それはね…」と豆知識を披露し始める人がいそうなものですが、


現在のメンバーには誰もいません(・∀・)


てか、毎年このサークルでこの時期に讃美歌を歌うと同じ話題になるのですが、みんな気づかないのかな(笑)


(※メンバーはみんな60代以上)


なので今年も結局、結論が出ませんでした。


でも、このサークルはそれでいいんです。

その緩さがいい。


この日は讃美歌以外にシャンメリーで乾杯もして、ちょっとクリスマスっぽいことをしましたが、あとはいつものようにおしゃべりと歌を楽しみ、解散しました。



また来年も、みんなで楽しめますように。

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