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某通信講座の広告漫画はあながち間違っていなかった、今になってそう思う。

「やれば、~~。」でおなじみの通信講座の広告が、分厚めの封筒に入れられ子供の頃定期的に家に送られて来ていなかっただろうか。私の家にもかなり長い年月送られてきており、5つ下に妹もいるので我が家には相当な量のDMが届いているはずである。妹はまだ高校生なので、なんならまだ実家には届き続けているはずである。

このDMは、通信講座の費用や実績などだけでなく、教材サンプルや時にはDVDのディスクまでも盛り込まれており、割と毎回内容は充実していた。どこからその個人情報を嗅ぎつけているのか、講座を運営するあの教育業界の雄ともいえるあの会社からは、役所に出生届を出したか出してないかあたりの新生児のいる家庭にも子供向けの商材の宣伝DMが届くらしい。マーケティングや広告にそうとう費用と力を割いているビジネススタイルなのだということは、ある程度社会を見る目が備わった大人となった今ならば何となくわかる。

例のトラのキャラに人としての道徳を解かれ、例の赤い鞄のキャラの歌声で掛け算9×9を暗記し、彼の早朝にふさわしくないテンションの声が爆音で収録された目覚ましを愛用していた1人の日本人としては、あの会社には結構感謝している。余談であるが、今でも例えば900円の商品7個の値段を計算するときは、「シュー“ク”リームの9の段」の♪クーシチロクジュウサン!が頭の中に流れる。三つ子の魂百までとはよく言ったものである。

少し話は逸れたが、同じように、大人となった今だからこそわかることが1つある。それは、DMの中に毎回絶対入っていた漫画の内容はあながち間違っていなかったな、ということである。このことについて漫画の内容と共に少しお話したい。

例のDMの封筒の中には通信講座の素晴らしさをユーザーである小学生~高校生を対象に易しく説いた内容の5分もあれば読み終わることのできる漫画が毎回同梱されていた。肝心の中身であるが、登場人物こそ違えど毎回まぁ大体ストーリー構成と言いたいことは一貫していた。定番パターンのストーリーとは以下起承転結にまとめるとこんな感じである。


「学年が上がり、(もしくは中学高校に進学し)、主人公は勉強についていけなくなる。そんなにガッツリ勉強していなくても、クラス平均ぐらいは取れていたのに最近すこぶる調子が悪い。しかも勉強だけでなく、部活もあまりうまくいっていない。(←先輩や顧問にたるみを指摘される、レギュラーから外される、後輩に追い抜かれるetc.)」

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「そんな時に、特定の異性に恋をしてしまう。(←基本的に相手はしっかり者かつ成績優秀者、超甘酸っぱい)しかし、勉強も部活もダメダメな自分なんかじゃ、好きになってもらえるわけがない。このままじゃダメだ…、と絶望しているときに突然救いの手が!」


「そう、某通信講座との出会いである。部活と勉強をしっかり両立させている優秀な友人に、秘訣を聞いたところ、通信講座で効率的に予習復習テスト対策をしているとのこと。この手に乗っかるしかないと、脊髄反射的にこの講座に申し込むことを決意。さっそくスポンサーとなるお母さんに頼んでみるも最初は『前にすぐやめたでしょ?』と御もっともな意見で反対してくる。しかし、主人公を決意はダイヤよりも固く『これがあれば絶対頑張れる!今回は違うんだ!』と熱弁するのである。」


「見事なプレゼン技により、申し込みの権利を勝ち取った主人公は宣言通り生まれ変わってしまう。考え抜かれたテキストを利用することによって、効率的に予習復習をすることでまずは圧倒的に学力が伸びる。加えて、部活にも集中できるようになり、調子を取り戻す。しかもさらには、人生絶好調!といった感じの主人公は件の意中のお相手と急接近することになるのである。」

一言でまとめると、通信講座を始めた瞬間学力は伸び、部活も好調になり、挙句意中の相手とも良い仲になっちゃった!!人生毎日ハッピーてへぺろ!!!!!といった感じなのである。

私は小学生の時、このストーリー展開に内心めちゃくちゃウケていた。(いやいや、ちょっと通信講座やったぐらいでこうなるなら人生楽だなwwwwww)(こんなんに騙されるようなやつは成績なんて伸びないでしょwwwww)ぐらいに思っていた。なんとも可愛くない小学生である。さらに可愛くないことに、そのちょっと内心小ばかにした漫画を私は全力で収集していた。 だからやたらストーリーに詳しいのである。収集癖の人のあるあるネタであると信じているが、(なんでこんなモノため込んでいるんだろう私…。)と、数年後のある日ハッと我に返り古紙回収に出してしまった。多分その数100は越えていた。ちなみに他によく収集していたものとしては、例えば銀行の封筒が挙げられる。地銀の封筒はわざわざ遠方の親せきから取り寄せていた。我ながら本当に気持ち悪い趣味をもつ子供であった。

さてここからが今回の本題なのであるが、22歳になった私はこの漫画のストーリーはあながち間違っていないと思っている。小学生の時とは全然違う印象を持っているのである。何故なら、「通信講座を始めた→成績が上がった→その他もろもろ絶好調!!」でははく、「通信講座を始めた→成績が上がった→自分に自信がついた→その他もろもろ絶好調!!」なのであるというストーリーの本質に気づいてしまったからである。あくまで商材を売るための漫画なのでここまで考えられているかはわからないが、現実世界に当てはめるならば確実にこの後者のステップである。

この新たに加わった「自分に自信がついた」の下りがめちゃくちゃスーパーウルトラ級に大切なのである。多分主人公は、「自分の努力によって結果を出した」という所謂成功体験によって自分に自信をつけたのである。自信のある人間はめちゃめちゃに強い。私はろくにスポーツをやったことがないのであまりわかった口をきけないのであるが、部活だって同じ能力を持っていたとしても自分に自信のある人間の方がはるかに結果を出せそうなものである。自信のない人間は、本来どれだけ能力を持っていても、緊張感ある勝負の世界でその力を発揮できるのであろうか。トップクラスのスポーツ選手が、おどおどビクビクしながら話したり試合で戦っていたりするだろうか。

学力が直接的に部活に影響を与えたのではない。学力をつけたという成功体験が、部活動に好影響をあたえたのである。不気味な小学生代表の私はその辺をイマイチ理解していなかった。

意中の相手とドキドキの急接近☆の下りもまあ同じようなことである。身の回りで、素敵だなあとか、絶対モテてるんだろうなあとか感じる人は、全員が全員とまではいかないがある程度自分に自信がありそう人ではないだろうか。この傾向はどちらかといえば、女性からモテている男性の方に当てはまることの方が多そうではあるが、これは結構真理な気がする。ステレオタイプ的発言で申し訳ないのだが、「男が女を守り、女は男についていく」という構図に当てはめたとき、やはり自信のない男性はあまり魅力的であると判断されそうにない。自信のない人間についっても、ろくなことがなさそうということはおそらくDNAレベルで理解されている。

私は、自分に自信のある奴マジ最強説卍論者だ。何を隠そう私自身、私やればできるじゃん!!とか手前味噌ながらに思い始めた頃に、割と人生楽しくなった瞬間が一瞬きたことがあるからである。大学の成績は上がったし、検定も取れたし、過去の写真にお札を張って封印するぐらいには痩せたし、学校の外で色んなこと挑戦するようになったし。これは全部、私だってある程度のやればできるじゃん的成功体験を積んで自信が前より付いていたからだろうなあと思う。どれが因でどれが果というより、複数の事象が連鎖的に連なり、成功が次なる成功を招いたという感じであった。まさに例の漫画的に、勉強も課外活動も恋愛も突然超順調になっちゃいました☆系の時期が数年前にほんの一瞬だけあったのである。

しかし人生は漫画のように上手くはいかない。あの時の私はちょっと運が良かっただけである。そんなことは私にだってわかっている。わかりすぎているからこそ、自分に自信をつけるってめっちゃ大事やん(^_-)-☆という簡単なことを何度も思い返すのである。

別に、自信をつけるったって、そんなに大げさことをしなくてもいいと思っている。爪が可愛くデコレーションされていれば、(まぁ私爪めっちゃ可愛いし?)とか、インスタに凝りまくっていれば(まぁ昨日の写真いいね!めっちゃきたし?) 、等と心の片隅で自己肯定できて、全然違う場面でもなんとなく強気に生きていけるのである。緊張の場面であっても、(まぁ私〇〇だから大丈夫でしょ)という成功体験からくる自信があれば上手くいく確率はぐんと上がる。難関大学に合格するとか、美容整形するとか、TOEIC満点取るとかそういう大きめな方法もあるが、こういう小さな成功体験もとってもとっても重要な気がするし、これがあるのとないのとでは生きやすさが違うと思う。運が良ければマリオのスター状態になれるかもしれない。

某通信講座の漫画は案外深かった。電車の中では騒がない、小さなお友達には優しくするとかいう人間としての基礎みたいなレベルから、理科の法則がどうだとか、方程式の解き方はこうだとかの大学に進学する者の基礎みたいなレベルまで教えを与えてくれた彼らであったが、ここにきて意外なことまで教えてくれた。ちょっとした成功が自信を導いてくれ、なんか知らないけどいろいろ上手くいきました、みたいなことは現実正解であっても全然起き得る。

最後に、このnoteというサービスに関しては、閲覧数とかいいねとかフォローが数字となって直接的に書き手に自信を与えているように思う。別に、この発言に深い意味はない。そう、全く、私は、何も、意図、していない。

それでは、小学生の頃の私のようなひねくれた人が少ないことを祈りながら今回の記事はここで終わらせてもらう。

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