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3週間ヨーロッパ女子一人旅 第2章ロンドン

パリから次はロンドンに移動をした。パリ~ロンドン間には海峡トンネルを通る新幹線のようなものが走っているので、それに乗っていった。両親が若い頃旅行したときは、なかった代物らしい。私は子供の頃から割と閉所が苦手なので海の中を通るなんて終わったな、という気持ちで乗ったが案外快適だった。

ロンドンの駅を降りたら、あーこれは確かにロンドンですわ、という気持ちに素直になった。ロンドンぽいな、としか言いようがなかった。

駅からホテルにはタクシーで移動をした。ホテルには沢山の外国人が泊っているので、無料のウォーキング観光ツアーのチラシが何種類も置いてあった。私は正直ロンドンへの思い入れは特になく、パリに行くんだからまあロンドンも行くべきかな?ぐらいの浅い気持ちだったので、予定もきっちり決まっておらず、とりあえず適当にツアーに参加してみることにした。

スケジュールが上手いこと合いそうなのが、ハリーポッター聖地巡礼ツアーだったのでとりあえずこれに参加した。しかし、この適当な気持ちが後々仇となった。

まず、集合の段階で驚いた。20人ぐらいで回るツアーだったが、そのうち数人は例のシマシマのマフラーをしているし、子供1人は例の黒いマントを身に着けている。おお、みんな結構ガチやな、、、ユニバかよ、、、と若干身構えた。そうこうしているうちに、ツアーが始まった。まさかとは思ったが、「お前ら、ハリーポッターを愛しているか―?」「イェーーーーーーーーーーーイ!!!!!!!!」みたいなコール&レスポンスが、開会の合図だった。

(まじか笑)と内心ウケることしかできなかった。薄々気づいているかもしれないが、私はハリーポッターへの愛はない。映画も子供の時に2作目ぐらいまでは映画館に観に行ったはずだが、如何せんかなり昔のことなので記憶がない。本も読んだことは一回もない。私からするとハリポタはユニバの一角でしかないのだ。よくわからんがおでこに傷を負った可哀そうな少年が実は能力者で仲間と共に成長していく話っしょ?マルフォイは意地悪で、ハーマイオニーは美人!ぐらいの知識量の人間が、あの熱量についていけるわけがない。オタクコミュニティで非オタは圧倒的に人権を失うのだ。これは万国共通の現象なのだ。でも途中で抜けるのも勿体ないし、歩くだけでも楽しいか、と思いツアーには着いていった。

まず1か所目の目的地で、「ここはどこのシーンのロケ地でしょうクイズ」が始まった。みんな手を挙げて積極的に答えている。当日即席コミュニティなはずなのに、こんなに皆ガツガツできるのか!!と結構驚いてしまったのはよく覚えている。不正解を恐れたり、初対面だし大人しくしておこうという意識が働いていたりする人は多分いなかった。私がもしそっち系の人なら、このエピソードを引用しつつ「日本人ってほんと周りの顔色ばっかりうかがってるし、消極的でつまらない。私がロンドンに行ったときなんて~(以下略)」とか主語デカ発言をしてTwitterを炎上させていると思う。

文章を打ちながら記憶がよみがえってきたが、確か3か4チームに分けられて、クイズに正解するごとにポイントがもらえるとかだった気がする。何の戦力にもならないあの謎のぼっちアジア女、まじ何?とかどうせ思われてるのだろうなあと班員に申し訳なさを感じていたような気がする。

みんな聖地に大興奮していたが、私はテクテク小一時間歩いて終わった。この集合写真、何回見ても面白い。

魔法をかけるポーズ

ところで、私は海外に行ったら絶対にスタバとマクドと現地スーパーには行くと決めているので勿論ロンドンでも行った。海外のスタバは名前を書いてくれるところが大半なのだが、「あゆみ」という名前は台湾以外では基本一発で聞き取ってもらえない。「AYOME」「AZUMI」とか、ちょっと惜しい感じで書かれることが多い。適当にわかりやすい名前で名乗ったらいいのだが、店員さんのこの大喜利が毎回ちょっとおもろいのであえて本名で通している。でもロンドンはこんな感じだった。

’’a’’

諦めんなって!!!!!!

滞在何日目かに、British Museumに行った。ググってもらったらわかるのだが、ここにはあのロゼッタストーンさんとかが展示されている。資料集に載っていたあれね!が永遠に続くのがこの博物館であった。

文字ばっかやな(それはそう)

ここで改めて思ったのが、やっぱ結局学校の勉強ってしていた方が絶対いいよな?ということであった。以下、ただの私の持論なので、納得していただかなくても全く問題ない。

私は、勉強をする理由は大きく3つあると思っている。

①    自分を守るため
②    選択肢を広げるため
③    人生を楽しむため

さらっと言うと、①は意味不明な情報商材とか陰謀論とかインチキ商材から身を守るためには、基礎的な学力って大切だよなと思う。化学をmol計算で諦めた私ですら水素水ってなんやねんwってなるのに、この手のものにあまりにも引っかかる人に関しては、どうしても所謂義務教育の敗北的な話になってしまうと思う。オウムの幹部は皆高学歴だったじゃないかという指摘も受けそうだが、ちゃんと勉強してたらそれぐらいわかるだろとしかいいようがないものにしっかり騙されている勉強をしてこなかった人は多いと思う。

次に②だが、これは簡単な話で、勉強してきた人とそうでない人では人生の選択肢の量と質があまりにも違う。職業は言わずもがなそうだし、職業以外もそうだ。例えば田舎生まれが田舎を脱出する一番簡単で真っ当な理由が進学だし、住む場所もある程度自分でコントロールできるチャンスは多少増える。選択肢が多いことで逆に不幸になることもあるが、基本的には多い方がよくないか?というのが私の意見だ。

そして、私がこの博物館で感じたのは③の話である。目に入る展示物が、完全なる初見さんなのか、あーこれ○○の○○ね!となるのかでは、まったく楽しさが違うと思う。もう少しかみ砕くと、セトリの曲全部知ってる思い入れのあるアーティストのライブと、通りすがりにやってた全然予備知識なしのよく知らん人たちのライブだったら、絶対前者の方が楽しい。歴史の学習なんて、もうほぼこの世界のセトリの予習みたいなもんでしょ極論、ぐらいに思っている。

話は少し飛ぶが、私が好きなお笑い芸人のジェラードンのアタック西本さんが言っていたことを思い出した。YouTubeにあがっているラジオのどれかで言っているはずだが、動画を掘り当てる気力が今ないので記憶を頼りに書くと、「俺は漢字とか全然読めない。だから小説とかも何が書いているのかさっぱり理解できない。でも、漢字が読める人は、俺が読めない本も読めるんでしょ?じゃあ俺よりいっぱい色んなエンタメ楽しめるじゃん!いいよなぁ」みたいなことを言っていた。

西本さん

なんか、結局こういうことなのだと思う。この世の何かを楽しむには、楽しむための前提知識やら何やらが必要なのだ。だから知識量が多い方が、そりゃ楽しいと思えるものの総量も増えるよね、みたいな話だ。私がハリポタツアーを他の人より楽しめなかったのは、愛情以前に知識量が圧倒的に少なかったからだ。

私はお世辞にも勉強ができるタイプではなかったし、偏差値が高かったわけでも何でもなかったが、歴史は大好きで予備知識はそれなりにある方ではあったので、博物館でふとこう思った。

「学校の勉強なんかしなくったって、生きていける!微分?どこで使うんだよそれw」とかいう人は案外多いし、別に異論はない。全然それで生きていけると思う。お金を稼ぐとかそういう文脈においては、昨今特に関係がない。でもこういうことを考えると、勉強ってしていた方がいいと思う。(と、地方文系私立大学卒の人間が言っています。)

なぜか浮いていたヨーダ

パリの章の時のようにまとめると、有名どころは勿論大体回ったと思う。
一つとても思い出深いのは、パリのヴェルサイユで出会った中国人ファミリーと地下鉄で再会したことだ。こんな奇跡ある?祇園四条でたまたま会った人に、数日後に難波で再会とかもなかなか難しい。かなりテンション上がった。

彼らと仲良くなれたのも、たまたま私が英語を勉強していたからだ。やっぱり、自分の世界を広げるって楽しいね。次はバルセロナ!!!お楽しみに~


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