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『ライ麦畑でつかまえて』の覚え違い

 サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に出てくる「ライ麦畑のつかまえ役」について、前回と前々回とお話してきました。今回は主人公ホールデンの「覚え違い」について書こうと思います。
 
 高校を放校処分になったホールデンは、よき理解者である妹フィービーに、好きなもの(なりたいもの)について尋ねられて、崖の上のライ麦畑でたくさんの子どもたちが遊んでいるという空想的なイメージを語り、遊んでいるうちに崖から飛び出してしまいそうになる子どもをつかまえる「キャッチャー(つかまえ役)」になりたいと言います。ライ麦畑で遊ぶ子どもというイメージは、前々回に書いたとおり、歩道と車道の境にある縁石の上を歌いながら危なっかしく歩く子どもを見かけたことがもとになっていますが、その子が歌っていたのが「ライ麦畑」の歌です。

 日本ではザ・ドリフターズの「誰かさんと誰かさん」というタイトルで知られている(だいぶ古いけど)歌ですが、ロバート・バーンズというスコットランドの詩人の詩がもとになっています。ホールデンは自分のイメージを説明しようとして、その歌のことを持ち出します。ホールデンが口にしたのは、If a body catch a body coming through the rye. という歌詞でしたが、聡明なフィービーは間違いを指摘します。もとの歌詞は、If a body meet a body coming through the rye. となっていて、ホールデンは動詞〈meet〉を〈catch〉だと勘違いして覚えていたのです。

 誰にもありうるただの勘違いなのかもしれません。でも、精神分析の創始者フロイトは、日常生活で何気なく見聞きする勘違いや言い間違いなどは、無意識の願望が作り出していると考えました。そのため、この手の勘違いや言い間違いのことを英語では「フロイディアン・スリップ」と言います。ホールデンの歌詞の覚え違いにも、そのような願望や意図があるのでしょうか?

 〈meet〉と〈catch〉、〈出会う〉と〈つかむ〉を比べると、〈出会う〉ほうは互いの意思を尊重しているぶん、距離が保たれている感じがあります。一方、〈つかむ〉は、つかむ側がつまかれる側の意思を棚上げにして、より能動的・積極的に相手をとらえようとしています。時と場合によっては、無作法な振る舞いになってしまいますが、もしも崖から落ちていく子どもがいたら、〈出会う〉といった鷹揚な姿勢では間に合わないかもしれません。できるだけすばやく〈つかむ〉ということをしないと、落ちていってしまうでしょう。崖から飛び出る子どもや縁石の上をつたい歩く子どもにホールデンが無意識に自分を重ねて見ていると考えると、落ちかけている自分をしっかりつかんで欲しいという願いがそこにありそうです。

 ただ、これもまた、それほど単純な話ではありません。フィービーとの対話の最中に、ホールデンはアントリーニ先生を訪ねようと思い立ちます。アントリーニ先生は、ホールデンの貸したセーターを着て寮の窓から飛び降りた生徒の体に上着をかけて抱き上げ、医務室に運んだ人物です。帰宅してきた両親に見つからないように自宅を抜け出して、ホールデンはアントリーニ先生を訪問します。

 先生との対話の中で、先生はホールデンが落ちつつあることを指摘します。つまり、先生はホールデンが社会から落ちかけていることを気にかけて「キャッチ」しようとするのですが、夜中、先生の家に泊めてもらうことにしたホールデンはふと目を覚まし、自分の頭をなでている先生の手に気づきます。そして、先生が自分を性的な欲望の対象にしようとしているんじゃないかと思いこんだホールデンは怖くなり、狼狽しながら先生の家を逃げ出してしまいます。

 逃げ出したあと、ホールデンは自問します。先生はよこしまな気持ちで頭をなでていたのか、たんに頭をなでたかっただけなのか、ホールデンは答えを見つけることができません。キャッチしてもらいたかったのに、キャッチされることで自分の自由や意思やプライドを失う不安に駆られてしまうという葛藤があり、それがホールデンの落ち着き場所が見つからない問題を生み出しているように思われます。でもこれって、ホールデンに限らず、多かれ少なかれ誰もが人間関係に対して感じる葛藤なのではないでしょうか。

 ここまで3回にわたり、伏線、空想的なイメージ、そして歌詞の覚え違いについてみてきました。サリンジャーがこのように考えていたのかどうかはわかりません。現実の人間がそうであるように、サリンジャーが描く人物はその意図がわかりやすいものではありません。そのぶん、いろいろな理解の仕方ができる奥行の深さがあると言えます。そこが「筋のない話」(前々回の記事を参照ください)のだいご味なのでしょう。


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