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がんになって思うこと(わたしだけの乳がん物語 #26)


乳がんであることを隠したい

先日やっと家族で初詣でに行ってきた。今年もお願いすることは同じ。「わたしと、家族の健康をお守りください。病気やケガをしませんように」。

ここ数年はこれだけを願ってきた。わたしと家族の健康があれば他には何も要らないと本気で思っていた。当然去年もこれをお祈りし続けたけどがんになった。無病息災、福守りも買ったけどがんになった。「お守り買っても意味ないよ!がんになったよ!」と言ったら夫は笑っていた。やっぱり身を守るものは祈願でもお守りでもなく、定期検診か。

乳がんになったことは、夫と子供と兄にしか自分からは伝えていない。でも、子供がうっかり口をすべらせて(大事件)、学校のお友達のママ1人だけ知ることになった。

細胞診や組織検査の結果が出た後、初診の後、MRIの後、両側がんの可能性もあると言われた後、手術した後、どんな情緒だろうがひた隠して会ってきた友人たちもまさかわたしが乳がんになって全摘してるとは夢にも思わないと思う。

これは幸いにも抗がん剤の治療が無かったから。服用だけでは見た目も変わらず、内臓的には問題ないから自分から言わなければがん患者であることは知られない。それでも唯一自分の口から言わなければならないシーンがある。それが病院と処方箋薬局。

「乳がん治療中です」

年の瀬に子供の鼻風邪がうつってから声が出なくなり、出るようになったかと思えば今度は咳が止まらなくなった。今年のお正月は地震や飛行機事故もあって異様な雰囲気だったし、停戦の見込みもない戦争の状況を考えて暗然たる気持ちになり、ゲホゲホしながら気持ちが晴れることはなかった。

長引く咳は家族にも心配かけるし、内科を受診することに。正直、乳がんになってからは地元の病院も薬局も行くのをためらってしまう。タモキシフェンの処方は自転車で20分のブレストクリニックのそばにある薬局にした。クリニック帰りに寄れるからという理由はあるけど、何より地元で処方してもらいたくなかったから。

あの窓口で聞かれる「本日はどうなさいましたか?」という薬剤師さんの質問に答えるのが嫌だった。地元だし、狭い店内で誰に会うか、誰に聞かれるかわからない。

それでもすぐに診てもらった方が良さそうな状態になっていたし、近所の内科に行くことに決めた。問診票には病歴・手術歴、服用している薬の項目がある。もちろん正直に書いた。

結局風邪からくる咳ということだったけど、先生もわたしの病歴からすると肺はよく診た方がいいからと、念のためレントゲンを撮ってくれた。薬の処方もタモキシフェンやトラニラストとの飲み合わせを考慮するためにデータを登録しておくと言っていた。

処方箋薬局ではお薬手帳は忘れたと伝えると、口頭で今飲んでる薬を聞かれた。なるべく小さな声で答えると、案の定これはどういった理由で?と。おそらくわかっていることだけど、きちんと確認する必要があるのだと思う。先方も小さい声で聞いてくれた。「乳がんの治療中です」と答えた。

乳がん患者であることで、この先どこの医療機関に行っても慎重に診てくれるのだろうと感じた。特別扱いと言えばその通り。それが安心のもとにもなるし、自分ががんに罹患したことを再認識する機会でもある。隠しておきたいなぁ、が本音だけど。

術後はじめてのプール

年が明けて、家族でホテルステイ、術後はじめてプールに入ることに。更衣室のロッカーは番号で割り振りされていた。水着は部屋から着ていったから余裕だったけど、帰りの着替えで同じブースにお母さんと女の子が。こんなに空いてて広い更衣室なのにーと思いつつ、女の子だしおっぱい見えないようにちゃんと着替えられるかなとドキドキ。

やっぱり難しくて、荷物持って親子から見えないところまで行って着替えたけど、胸が片方ないとバスタオルを胸に巻き付けてもすぐ取れてしまう。高低差によって隙間ができて不自然だし、これは混んでいるところでは至難の業だなと感じた。

絶賛治療中である我が身。今後の再発や片側もがんになる可能性を考えたらキリがないけど、普段はそこまで病気を気にすることもなく生活をしている。それでも生活の中で乳がん患者であるが故の心の不便さにたびたび遭遇する。寒くなって傷は痛むし、クソッと思うこともたくさん。

それでもこれ以上悪くならないように、新たな病気にならないように、夫と子供もこの先ずっと健康でありますようにと、やっぱり日々お祈りしてしまうのだった。

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