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右胸全摘から5カ月。左胸に新たながん疑い(わたしだけの乳がん物語 #27)


術後半年で新たながん?

去年右胸を全摘して、「これで終わった」なんて思ってもいなかったけど、恐れていたことは予想より断然早くやってきた。

先日の定期検査で、健側だった左胸に3カ月前のエコーでは見られなかった影があると。大きさ5mmほどのそれは、かたちが気になるからと細胞診をすすめられた。

細胞診…前回の細胞診ではクラス3b、その後のマンモトーム生検でがんが確定したこともあり、あの結果待ちの間は本当に本当に最悪だった。「がんなのにクラス3程度しか出せないのは、採取した検体に問題がある=医者の技術不足」という意見も仕入れていたから、余計に主治医の先生への不信感も芽生えてしまった。

だからこそ、次に何かあった場合は細胞診をとばして白黒はっきりつける組織検査をしてもらおうと思っていた。それなのに、エコーの流れで仰向けのまま細胞診を受けてしまった。かろうじて「組織検査…じゃなくて良いですか?」とは言ったものの、エコー上では先生はそこまで悪性を疑っていなかったのか、細胞診で良いとの判断だった。本当に今となってはもっと強くお願いすればよかったと悔やまれる。

結果は2週間後。前回は動揺して文字通り寝食を忘れて検索魔になってしまったけど、人は2回目となると変わる…はずがなかった。検索しまくった。

去年の術前精密検査で両胸がんの可能性もあるにはあった。エコーやMRIの結果で左胸にも気になる所見があったからと針生検したけど良性だった。左胸に関しては問題なかったのに。前回のエコーからも3カ月しか経っていない。それでも5mmの新たながんが発生することなどあり得るの?タモキシフェンも飲んでいる。術後半年足らずのこんなに短いスパンで新たにがんが見つかるなんて考えられなかった。

悪夢のクラス3、再び

頭が細胞診の結果と不安でいっぱいの2週間を過ごし、結果報告の日を迎えた。去年のクラス3b「乳管癌を疑う」という病理所見を見た時の衝撃は忘れていない。

夫はあえてその話題には触れないでいてくれた。クリニックに行くまで自転車をこぎながら去年のことをずっと思い出していた。良性か悪性かどっちなんだろう。お願いだからクラス3だけは出ないでと祈っていた。終わったら夫にLINEでどんな報告することになるのかな、帰り道はどんな気持ちになるのかな、前回と同じように予想してみてもほんの数十分先のことなのにまったく分からない。そしてこんな時に限ってスマホを家に忘れていた。

病室に呼ばれて、結果は「クラス3」。異形細胞あり、配列の乱れ、アポクリン化生を伴い、悪性を否定できない。組織的な精査を希望すると。
全身の力が抜けてほとほと嫌になってしまった。

先生も術後半年足らず、前回のエコーから3カ月しか経っていないことは承知しているため、もし悪性だった場合、おそらく去年の時点でがん細胞はあったのだろうと。それが顕在化しただけで、エコーで見つけられるギリギリのラインだったとのこと。

またあの生検、確定結果までの日々を過ごすのか。いや、どうせこれも悪性でしょ。がんだったのにクラス3だった前回と同じ。病理所見の内容から見て良性だとはとてもじゃないけど思えない。悪性だということを確定させるための生検、前回とまったく同じパターンじゃないか。クラス3て何よ。細胞診は医者の手技に左右される…。いろんなことが頭の中をぐるぐるまわる。

先生は、見つけてしまった以上先に進むしかないと。自宅に帰り、夫に「ダメだった」と伝えて詳しい病理報告書を見せたら、「見つかってよかったよ」と言ってくれた。でも、前回のことがあるから、夫も悪性だと覚悟したみたいだった。

両胸全摘、特殊型「アポクリン癌」の可能性

結果報告後、別室にて看護師さんにマンモトーム生検への同意と注意事項の説明を受ける。書類にサインをしながら、マンモトーム生検で良性になることはあるのか?と聞くと、クラス3だと約50%とのこと。「去年右胸の手術をしたばかりなんです」と言ったとたん涙が出てきた。

前回乳がんが分かった時、これは何かの試練、今のわたしやこれからのわたしに必要なことを教えようとしているのでは、と思った。でも、結局大病を経ても自分の性格はあまり変わらなかった。夫にも話していたけど、ドラスティックに変わらないのは、結局自覚症状もなく、定期検査で見つけてもらって言われるままに手術を受けただけで、ぜんぜん乗り越えていないからなのではないか。片方の胸は失ったけど、抗がん剤の苦しさ、脱毛など外見の辛さを経験していないから、人生観や価値観が変わるほどの何か大きなことを経験していないから変わらないのではないかと思っていた。

そしてここで「アポクリン」というキーワードが出てきて、はじめて抗がん剤の可能性も考えた。怖くて仕方ない。両胸乳がんでサブタイプが異なることはあり得るし、右胸はルミナールHER2、左側がアポクリン型ということも十分考えられる。アポクリン型はホルモン受容体陰性が多いというから今飲んでいるタモキシフェンは効かない。浸潤癌と同様の化学療法とのこと。

その日は目が痛くなるほどスマホでAIも使ってあれこれ調べまくった。今回も手術になったら全摘、再建無しを選択するだろうから、両胸を失うことについても改めて調べた。悲しい。

夫の言葉が支え

ショックで動けないわたしの代わりに夫が夕飯を全部作ってくれた。それでも家事もろくに手が付かず、しゃべる気力も沸かず、食事は味がしない。頭でいろんなことを考えてしまい、眠っているのか眠っていないのかも分からない夜を経て、それでもなんとか子供にばれないように過ごした。

夫と仕事場に一緒に向かう時、家だとシリアスになりすぎるから駅までの道中でAIも使って病理結果を調べたけど、所見からすると悪性の可能性が高いらしいと伝えた。もうがん確定だと思って過ごすよ、と。すると、「こんなこと言っちゃあれだけど、たぶん(胸を)無くしちゃった方がいいかもね。この先ずっと心配するよりも」と言った。そうだな、もうこんな心配したくないな。悪いところがあるなら早く取っちゃいたいなと思った。

9才になる子供のAくんはいまだにわたしのお肉が大好き。お腹や脇をにぎにぎするついでにお胸にもタッチしたりする。そろそろ女性の大切な部分には触らないように伝えないといけない時期だけど、甘えてくるのがかわいくて仕方なかった。

「Aくんは2つともおっぱいが無くなっちゃうの悲しがるかな」と夫に言ったら、「大丈夫。ちゃんとわかってくれるよ。楽観的だし」と。「女性像に変なイメージを植え付けちゃうかな」と心配すると、「そんなことないよ、大丈夫」と。

電車の中で涙がこぼれるのをさっと拭いてなんとか誤魔化して、夫にはまたストレスをかけてしまう申し訳なさと、感謝の気持ちでいっぱいになった。

またこれからマンモトーム生検が控えていて、その2週間後に確定。検索は止まらない。調べれば調べるほど暗澹たる気持ちになって、そもそもなんで乳がんになっちゃったんだという思いに支配されてしまう。9人に8人はならないというのに。この先ずっと再発転移に怯えながら生きていくのか。

毎日感情は揺れて何も手につかないことの方が多い。それでも時間は過ぎていくし、家族との生活がある。悶々と検索ばかりして時間を無駄にしていいはずがない。今わたしにできることはなんだ?

少しずつでも覚悟を決めていこう。そして準備できることは準備しておこう。

”行動は結果を変えるが、モヤモヤと心配をしているだけでは変化をもたらさない”

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