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がんと、家族の関わり方(わたしだけの乳がん物語 #23)


定期健診のエコーで、前回より少し大きくなっている影があると指摘されてからはじまったこの乳がん物語、細胞診でグレー判定、つづくマンモトーム生検でがんと告知されたのが6月。

急に我が家にがん患者がやってきた。自分がなった身だから想像でしかないけど、大切な家族ががんに罹ってしまったらどうするか。どんな思いになるのか。月並みな言い方だけど、本人同様に家族も本当に辛いと思う。

ただ、わたしにとって夫が夫であり、AくんがAくんでいてくれて本当にラッキーだった。がんになった自分にぴったりの家族だったと思う。日頃の距離感、ちょっと愚痴った時の反応、つかず離れず絶妙な温度感でいてくれたことが、わたしにとってこれ以上ないぐらいの薬だったと思う。

夫の関わり方

夫は、知り合った当初から感情の起伏が無く、いつも一定だった。よく言えば穏やか、悪く言えば他人に興味がなくて人間味が無い(悪く言いすぎ)。人の感情をまともに受け止めないから常にニコニコしていられる(ひどい)。

付き合いはじめるとそれがすごい物足りなくて、こちとら武闘派で何でも言い合える仲がbest、議論してこそ、ケンカしてこそ仲は深まると信じていたし、お互いの本質をぶつけあう関係を良しとしていた。そんなわたしが感情をむき出しにして真っ向勝負に挑んでみても相手にされず、まるでブラックホールのように自分の感情も主張したいことも丸飲みされるような感覚だった。

そんな年月を経るとどうなるか。わたしがバッチリ感化されて、「なんでも正直に全部話せばいいってもんじゃない」という考え方になった。人間、平和が一番。平和のためなら少しの嘘だってつくし、なんでも思っていることを言えばいいってもんじゃないということを学んだ。家族といえど、家族だからこそ、全部を言わない。

そのため、自分にとって大事なことは家族にも友達にも相談もせずに自分の中で消化して解決するようになった。「ちょっと聞いてよ~」と誰かに話を聞いてほしいという気持ちも一切無い。

がんの疑いがあると分かった時から、黒か白かはっきりしない期間が一番辛かったけど、誰かに話すことで気を紛らわせたりはしなかった。夫もスマホを片時も離さず鬼気迫る感じでずっと検索しているわたしを見ながら息が詰まっていたと思う。それでもいつもと変わらずに接してくれた。

こちらもアドバイスが欲しいわけじゃないから、自分が仕入れた情報を共有しようとは思わなかった。黒寄りのグレーだったから、「自分では悪性だと思っている」とは伝えていたけど、「まぁしっかり調べてもらいましょ」がいつもの返事だった。夫なりに乳がんについて調べたりはしていたらしいけど、夫からがんについての話題がふられることも無かった。

告知された時は「見つかってよかったよ」、浸潤していると分かった時は「抗がん剤までいかなくてよかったよ」、タモキシフェン飲むと頭痛がすると言った時は「まあでも今風邪も流行っているみたいだしね」、切除痕が痛くてイテテテ!と言ってしまう時は「俺も肩と腰が痛いわー」と、どこまでいってもネガティブにならず、なんならわたしの状態をことさら深刻に受け止めていない感じだった。

よく「共感してもらいたい」と聞くことがあるのだけど、特にがんなんて絶対になってみないと分からないし、しかも一人ひとり症状や状態が違うから、同じ乳がんという病においても完全には共感できないと思う。知った風なことを言われるぐらいなら何も言わないでいてくれた方がわたしにとっては良かった。

ともすると、他人から見た夫の評価は「どんなことでも受け止める懐の深い人」らしいのだけど、知り合って20年以上見てきた感じだと、「スルー力に長けた優しさ」の方が近いかと。

その代わり自分も一切愚痴や悩みは言わない。日々淡々と飄々と過ごして見える。それでもやっぱりわたしの手術や入院期間を越えたあたりは夫もどっと疲れが出たようで、「いや俺も疲れたわ!」と言っていた。ごめんね、そりゃそうだよね。日々本当に感謝です。

Aくんの関わり方

Aくんはわたしのことが大好きで、家族のことが大好きだから、夫と二人で老後の話なんかをしていると「さみしくなるからその話やめて」と言ってくるような子。なんなら「この先もずっと一緒にいようね」と言っただけで、将来の妄想をして「その話聞きたくない」と言われる。

2年生の時には、お父さんとお母さんが死んじゃったことを想像して、夜ベッドの中で突然号泣したりもした。ちなみにわたしは背中をさすりながら「大丈夫大丈夫」ともらい泣きしていたのだけど、隣りで寝ていた夫は「そんなのいくら考えたって意味ないんだから早く寝な」と言っていた。子供にせっかく芽生えた死生観をまったく取り合っていなかった。こわっ。

Aくんにはわたしが入院する2週間ぐらい前に、チャイルドサポートの方にアドバイスいただいたことを受けて、ごまかさずに事実だけを伝えた。その後ちょっとした事件もあったけど、今はわたしの病気を意識しないで過ごせていると思う。

たまにふざけていて手とか頭とかが胸に当たってしまうと、「あ、そうだ、こっち(全摘した方)痛かった?ごめんね」といたわってくれるし、胸を見て、「こっちが本物、こっちがパット?」と聞いてきて、「えーどっちがどっちかぜんぜん分からないねぇ」なんてうれしいことも言ってくれる。

傷をちらっと見せた時も、うわぁぁ。。。って少し引いていたけど、すぐに「やだねぇえええ」と笑ってくれた。この「やだねぇ」って言葉は本当にぴったりで、Aくんに言われると「いやだよぉおおお」と素直に言える。乳がんになって、胸を全摘して、お薬も飲んで。本当に嫌。

まだ傷はもちろん、全摘した姿は見せていない。でもAくんのことだから、お風呂に一緒に入ることもきっと受け入れてくれて、傷を見ても慣れてくれると思う。そして大丈夫だよと言ってくれる気がする。

白髪が増えても、顔にシミができても、首がしわしわでも、どんなわたしでも好きでいてくれるから、胸がひとつ無くなったところで何も変わらないでいてくれるという安心感がある。

兄の関わり方

わたしには2才上のお兄ちゃんがいる。仲は良い方だと思う。といっても転勤族だからしばらく会っておらず、たまにメールしあうぐらい。お兄ちゃんには手術当日に向かう病室で初めて伝えた

退院後は「その後どーよ!」とお気楽な感じでメッセージくれたり、気遣って「〇〇(兄の奥さん)にも言ってないからな!」なんて伝えてくれた。
それでもメッセージの大半はどうでもいい、ライブに行ったとか、地元のお祭りに参加してきたなんていう自分の話題ばかりだった。

最愛の両親を相次いで亡くした時、お兄ちゃんは25才、わたしは23才だった。絶望感でいっぱいで、お互い悲しみのどん底にいたとは思う。でもふと思い出したのだけど、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という言い伝えがあるけど、わたしはそれを信じていた。夜は絶対切らずに守り通していたし、お兄ちゃんにも絶対切るなと言っていた。それなのに当時実家の隣りの部屋から夜中にバッチンバッチン爪を切ってる音が聞こえて、そのたびに「ゴラァッッ!!(怒)」となった。

なんだろう、夫と似ているのかもしれない。

わたしのふるまい

離れて暮らしているお兄ちゃんはさておき、こんな夫と子供と日々過ごしていると、がんを患い、まだ治療中である自分のふるまいにも気をつけるようになる。それは、「病気によるイライラを見せないこと、八つ当たりをしないこと」。自分の機嫌は自分でとり、気分が落ち込んだら自分で浮上する技を身につけるのだ。

家族は運命共同体で一蓮托生。ちゃんと家族に敬意を払ってバランスを保たないと、迷惑をかけてしまう。わたしのがんはわたしの体が作ったもので、家族を極力巻き込むことがないようにしたい。

と思うのは、自分ががんになったからだなと思う。夫や子供が病気になったら全力で頼ってほしいし、全力でお世話させてほしい。迷惑なんてとんでもない!何を水臭いこと言ってんだ!って話だけど、現実に自分が病気になった立場で言うとこれが正直な気持ち。

今は「第二のステージ!新しい自分に生まれ変わる!」なんてものとは程遠く、毎日くさくさしているし、少しの機嫌を拾い集めている。ありがたいことに毎朝目が覚めるし、どんな1日を過ごそうとも夜がくる。家族を悲しませないように自分で奮い立ちたい。毎日ただひたすらに家族に感謝している。

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