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ここ最近「さみしさ」について考えていた話

漠然とした「さみしさ」が私に付き纏う。

以前の私はこの「さみしさ」を感知する余裕を与えまいとギッチギチにスケジュールを埋めて日々をこなしていた。「さみしい」気持ちは自分でも厄介でめんどくさくて極力鉢合わせたくない感情だったから。
ただの現実逃避でしかなかった。

当時はなんだかんだでなんとかなっていたし、ちゃんと楽しめていたから良かった。疫病による自粛をキッカケに私の生活スタイルは一変したように思う。

そして色々がひと段落して、ようやくこの生活になれてきた9月上旬にあの厄介な「さみしさ」と再会してしまったのだ。

思えばこの9月の気持ちの波は大きかった。いつも過ぎ去ってやっと気づく。
超絶ハッピー!になったと思いきや、はちゃめちゃに寂しくなったり。本当に面倒だ。

そして少しずつ落ち着いてきた頃、この「さみしさ」に向き合って考え込んでみた。今までこんな「さみしさ」に向き合ったってどうにもならねえ!と思って見て見ぬフリをし続けてきたもんだから、新鮮な感覚だった。

思わず元カレに連絡をしてやりとりをしてもらえば一時的に「さみしさ」は紛れるが、また現れてくる。じゃあ気になっているあの人と付き合えたら、もしくは彼氏ができたら寂しさは消えるの?と自問自答してみるが、それも一時的に「さみしさ」が消えても、きっと完全には消えてはくれない。ギターを片手に歌っても「さみしさ」は「さみしさ」のまま。友達と電話したって消えやしない。

私が私を満たしきれてあげられていないから、このぼんやりした「さみしさ」が付き纏ってくる。

何をすれば自分を満たしてあげられるのだろう。

ここ最近は無理に動かず、ゆっくりのんびりとした生活を“あえて”送っているから、もしかしたらそのせいなのかもしれない。もう少し前のハードスケジュールをこなせる私じゃない。

かといって沢山の我慢を特にしているわけでもない。

きっとそのうちまた「さみしさ」を忘れて生活できているのかもしれない。
そもそも何故「さみしさ」が嫌なんだろう。胸がざわつくからか。漠然と感じる孤独が怖いのか。

今日もまた「さみしさ」に苛まれ、考える日々。

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