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歴史・人物伝~エピソード編㉜:橋本佐内「俊英と言われた男の残念な刑死」

幕末・維新には数多くの志士たちが活躍しましたが、その先駆けとなった人物の一人が福井藩の俊英・橋本佐内です。医者の息子として生まれた佐内は、早くからその才能を開花させ、時の藩主・松平春嶽の絶大な信頼を得ていました。

将軍・家定の後継者問題で、春嶽は徳川斉昭や島津斉彬らとともに、斉昭の実子で英邁とされた一橋慶喜を推します。一方、井伊直弼ら幕閣の中枢は、幼少でも血統の近い紀州藩の徳川慶福がふさわしいとし、両者は激しく対立します。

佐内は、慶喜を将軍後継者にすべく奔走し、水戸藩はじめ諸藩の指導者らとも交流を深めています。その時、一緒に活動したのが西郷隆盛で、後に「同輩なら橋本佐内を推す」と語っており、第一級の評価をしていました。

井伊直弼の安政の大獄により、佐内は26歳の若さで刑場の露と消えてしまいます。先見の明があり、知見も豊富に蓄えていた佐内が生きながらえていたならば、維新や明治の世でどんな活躍ができたでしょう。残念でなりませんですね。

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