ゆっちゃん

4人兄弟の3女として生まれた。 しかし自分以外の3人が他界。 身近な人の不幸がきっかけ…

ゆっちゃん

4人兄弟の3女として生まれた。 しかし自分以外の3人が他界。 身近な人の不幸がきっかけで変わったこと感じたこと、そしてその後の生き方について投稿します。 日常の何気ないことも載せます! 悲しい過去と向き合う大切さや今が辛い人などに見ていただけたらと思います。

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自己紹介

はじめまして、ゆっちゃんです。 突然ですが、私には亡くなった姉弟がいます。家族を失い悲しみの中、毎日生きるのが辛かった(今も時々辛くなる)。 その時のエピソードとそれを乗り越えるために自分がしてきたこと。 そして現在、これからの自分について書いていきたいと思っています。 日々の何気ないことも書いたりします! それでは遅くなりましたが、改めて自己紹介をしていきたいと思います! 名前 ・ゆっちゃん(20代) 出身地 ・北海道札幌市 家族構成 ・父 ・母 ・

    • 趣味探し

      こんにちは、皆さんは趣味を持っていますか? 私はというと、学生の頃は凄く絵を描くのが好きでした。しかし社会人になってからあまり描かなくなりました。 何か始めたいけど飽き性なので長続きしません。 UVレジンでアクセサリー作り、読書やお菓子作り、時にはジムに通ってみたり…いくつか試しましたがやはり続きませんでした。 筋トレなどすぐ結果が現れないものは、モチベーションが上がらずやる気もだんだん失っていくのです。 自分に甘々な性格ですね。 そんな私が今楽しいと思えること

      • 誕生日は『母に感謝する日』

        ある日SNSを見ているとこんな投稿を見かけた。 自分の誕生日には必ず『母にありがとう』を伝えると。 誕生日と言えば自分がおめでとうを言われる立場だと当然考えますよね? 私もそうでしたし、言われると嬉しいものです。 しかしその人の投稿は自分が感謝する側でした。 理由としては、苦しい陣痛を耐え抜いて母子ともに頑張った記念日だから。 そして今日まで自分を育てて、あるいは支えてくれて感謝しています。 この投稿を見て確かに!と納得しました。 それからは誕生日を迎える度に

        • 姉弟、今までありがとう

          葬儀場へ着くと真っ先に両親の姿が飛び込んできました。日程などを話していたのだと思います。 次に目に飛び込んできたのは白い布。そう弟です。 静かに歩み寄り布を捲ります。つい先日までメッセージを交し、ふた月前にはボードもしたのに…あんなに元気だったのに。 その瞬間涙が止まらず暫く泣き続けました。 泣いても泣いても涙は枯れずひたすら溢れてくる。 その日から2日間葬儀場に寝泊まりしました。 葬儀の打ち合わせ 精神が限界を迎えた親、とくに母親はボロボロに泣いてました。父親は

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          弟の死

          長女について少し紹介 自己紹介記事にもチラッと書きましたが、私には姉が2人・弟が1人いました。 次女は交通事故で死別しています。 詳しくはこちらを読んでいただけるとわかります。 さて、話を戻して長女の紹介に参ります。 長女は先天性心疾患、心臓に4つほど病気を持って生まれました。 一日に飲める水分量が決まっており自由に食事が出来ない状態。 幼いうちから薬も飲まなければいけなかったそうです。 手術も沢山行い、時には救急車で運ばれるなんてことも。 そんな姉は、生きてい

          サヨナラの時

          通夜には400人以上が参列してくださった。 当時予想していた人数を遥かに超え、会場に入り切らない為、廊下にも急遽椅子を並べたそうです。 あぁ…姉はこんなにも愛されていたんだな。 特定されてしまうのを防ぐため、亡くなった日付は公開しませんが〝AM2:22〟息を引き取りました。 彼は仕事があった為、参列出来ませんでしたが葬儀の時間になると黙祷をしてくれたそうです。 通夜の最後、皆でテーブルを囲んだ 参列してくださった方で数名が残り皆で食事をしました。 葬儀中とは違い

          サヨナラの時

          頑張ったね

          仕事終わりの夜、帰宅し1人でボーっとしていると当時付き合っていた彼(後に夫となる)から一通のLINEが入ります。 その内容は、〝心配だから軽く食べれそうなもの持っていくよ〟というものでした。 この時に泊まっていってほしいと伝えたことは今でも良かったと思っています。 何故かって?? …それは 姉が亡くなったと知らせが来るから 夜、彼が家に来てくれました。 食べ物やウィダーインゼリーなどを持って。 その日は気分が沈んでいたので早く布団に入りました。 1枚の布団

          危篤状態②

          姉の手を握り続けてどれくらい経っただろう… 家を出発した時は真夜中だったのにすっかり明るくなっている。 少し落ち着いてきたので ICUを出て上司に電話をかけ、その日は欠勤した。 その後、再び病室へ戻り姉の手をとる。 …少ししてからだろうか、気がつくと病室には祖父母や従兄弟達が駆け付けていた。 その間、父親は遠く離れた土地の高校に通っている弟を港まで迎えに行ってる最中だった。 従兄弟と何を話したかはあんまり覚えていない。 ただ、「少し休もう?何か食べないと…」と言わ

          危篤状態

          姉の状態 ようやく医者に呼ばれ姉の状態を説明された。 ショックが大きかった為、所々しか覚えていないです。 全身打撲 肋骨3本骨折 恥骨の骨折 くも膜下出血 以上が覚えてることになります。 脳の写真を見せてもらいましたが、事故の際に頭部をフロントに強打した影響により、脳がパンパンに膨れ上がってました。 そして脳の間に血が入り込んでしまっている。仮に手術で血の塊を取った所で、脳みそを元の位置に戻せる可能性が低い為手術困難だと。 そして医師から告げられた言葉は…

          それは突然に

          社会人一年目の冬、それは突然訪れた。 ある日のこと、仕事を終えいつも通り夕食を済ませ就寝した。その日は何だか嫌な夢を見たのを今でも覚えています。 それは、次女が交通事故に遭う夢でした。 一つ前の自己紹介文を読んでくださった方はもう知ってると思いますが、実は私にはもう1人姉がいました。 長女は先天性心疾患、生まれつき心臓に病気を持っていました。 長女についてはまた別な時に紹介したいと思います。 さて、次女の夢について話を戻します。 その日見た夢は確か… 次女が交

          それは突然に