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ビジネス書はただのおじさんの説教である

ビジネス書を読むとなんだか気持ちよくなるし、なんだかいい情報を手に入れたような気持ちにもなる。そして「ビジネス」ということに関心を持っているという意識高い自分に酔うことができる。

しかし「それ書いたのただのおじさんなんだよな」という気づきを頭の片隅に感じながら、そういった本を読むことが多くなってきた。

「〇〇が9割」とか「人生を変える〇〇」とかそんな特効薬のようなものがあれば、全員がそれを試しているはずなのに、何故かついつい読んでしまっている自分もいる。

こういったビジネスに少し興味をもつ時期が20代前半、特に男にやってくる。そういう人がまともにいけば多少仕事が好きな人間になり、運が悪いとマルチ商法に走っていくのだろう。

ただビジネス書というのは、サンプル数=1のそのおじさんの感想でしかない。それをありがたがって読む必要もないと思う。
もしそれをありがたいと思って読むのなら、親戚のおじさんの話はもっとありがたがってもいいはずだ。

ビジネス書のおじさんと親戚のおじさんに違いがあるとすれば、多少ビジネスという世界でそれなりの結果のようなものを出していることがあるかもしれない。端的に言えば、お金を稼いでいるかどうか、だ。

冷静に考えると仕事、ビジネスなんてそれぞれの置かれている状況で、またその人の性格によって向いているもの向いてないものがある。

例えば、仕事はスピードだ、という教訓を掲げるおじさんもいれば、仕事は質だ、というおじさんもいる。

そう考えるとやっぱりおじさんの説教だしそこまで真剣に聞き入れる必要もないような気がしてくる。
そもそも本まで書いて自分の考え、感想を他人に広めようとするのはそこはかとない厚かましさすら感じる。

詰まるところビジネス書というのは、たいていの場合は本という形をしたおじさんの説教集であり、説教なんて誰も聞きたくないはずで、多くの人に嫌われてもいいと思う。

おじさんはなぜ説教が好きなのか不思議だ、とは思うが、少なくとも嫌われないおじさんになるには、説教はするべきでないのは言うまでもないことだろう。さらにビジネス書という形をした説教を集めた本なんてもってのほかだろう。



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