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自分の人生を生きるために

こんにちは。

いくつか前の記事を見ると分かると思いますが、私は人の目を必要以上に気にしすぎです。ゆえに、本当は自分はどうしたいんだろうって考えたとき、思考が停止して何も出てきません。

人の感情を気にして、傷つくかもしれないと気にして、イラつかせるかもしれないと気にして、私自身もう結構前から疲れています。

でも、やめることができないんです。人の目を気にしないで自分の好きなように行動したり、言ったりすることが怖くて、どうしても心のどこかに人を気にしてる思いを見つけてしまい、我慢したり、気を遣ったりしてしまいます。

でも、そんな我慢してる私を気にしてる私を誰かが気づいてくれるわけではありません。私が我慢してる感情や行動、発言を誰かはすぐ表に出します。私が傷ついてることなんて気にしてくれません。

本当に疲れました。
人が感情を表に出すたびに、私が我慢した思いが無駄に感じます。
私だって感情を表に出したい。いつも笑ってても悲しい時だってあるし、笑っててもめっちゃ怒ってるときがある。周りを見すぎて自分の幸せも隠して楽しかったことも隠してとりあえず相手のことを考える。

口悪いけど…クッソ疲れた。

ある日、こんな私の思いを人に少し話したことがありました。こんなことを少しでも話してる時点で、私が心を開いてる人だなって改めて感じます。  

その方も人の目を気にしたときがあったみたいですが、今はその時よりスッキリ生きていけるようになったと言っていました。

それは、相手の「思い」は私がコントロール出来ないということでした。
例えば、私が良かれと思って相手に何かしてあげたときそれを相手は気分悪く思ったり、こっちがある行動を気にしてても相手は気にしていなかったりすることです。

その人の「思い」は全てがこちらの責任ではなく、そう思ってしまう相手が解決すべき問題でもあるし、相手が乗り越えないといけないものなもしれない。

また、そうやって人の目を気にしながら生きることって自分の人生を歩んでいるとは言えないし時間がもったいないと言っていました。

これらを言われたとき一旦思考が停止しました。
「確かに…」ってなりました。

その人自身、このように生きながらも人にしっかり気を遣ったり、人を楽しませることができる人でした。

私だったら多分どちらかしかできない。
人か自分かってどちらかになってしまいます。

私もちょうどよく自分のために、ちょうどよく人のために生きれるようになりたいです。

そう思うと余計疲れてしまいました。我慢していた思いがどっとのしかかってきました。
まだ発散されていない様々な思いがまだいろいろあるみたいです。

とりあえず自分を休ませたいと思いました。
そして、「確かに」と思ったことについて、じゃあ具体的にそれはどのように生きていくことなのかと考える時間をもちたいと思いました。

読んでいただきありがとうございました。


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