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バタフライ・アフェクツ

 のんがインスタグラムにアップする写真には岡村靖幸や満島ひかり、吉岡里帆、森川葵がよく「いいね」を押していて、そうしたシンプルなエールのかたちは、無言であるだけにひと際の感情が込もってみえる。『あまちゃん』を地で行くかのような彼女のキャリアは、たとえば大友良英や渡辺えりのように直接的にバックアップする者など様々で、ファンとしてはただただ心強く、うれしい。

 『さかなのこ』の主人公であるミー坊もまたのんに似て、幾重にも連なる回り道をたどりながらも、どこか浮き世離れした雰囲気をたたえている。自分の世界に没頭する姿は『風立ちぬ』の堀越二郎に通じるところもあるが、宮崎駿の孤高性を反映した彼の狂気はむしろ人を遠ざけるものであって、その点のみ対照的である。しかしながら、二郎にカプローニがいたように、ミー坊にはギョギョおじさんがいて、それぞれにとっての師の存在は、否が応でも才能が導いていってしまう険しい道を歩むための杖となるものだ。自分の胸のうちで師のことばが響き、行動によって増幅されることで、それはまた誰かへのバトンとなる。ハコフグの帽子に宿ったギョギョおじさんの思いはちゃんとミー坊に受け継がれ、ヤンキー校の不良たちの人生をも変えた。とくに、岡山天音がヤリイカについての蘊蓄を披露するシーンはチャーミングで、不意打ちのキスにも似たユリイカの瞬間は、ほのぼのしつつも鮮烈な印象を残す。「あんたじゃなくてみんなが変わったんだよ。自信持ちなさい」という『あまちゃん』での小泉今日子のセリフは、そのままミー坊の人生を讃えるものでもあるだろう。

 宮崎貴士はビートルズの魅力をこう表現している。

〈「自分には可能性があるかもしれない」からとバンドという概念を通して「自分を試してみる」。その発想を世界に開いた、楽しみを世界に与えた、凄まじい話ですよ。結果論とはいえね。彼らも(それを)実現しようとビートルズをやっていたわけではないので。〉

 宮崎氏の言に倣えば、『さかなのこ』におけるミー坊の存在は、まさにビートルズそのものだ。加えて、マインドは常にオープンドアーで、のんが旧友たちにみせる顔は、ある時は女ともだち、またある時は男ともだちのようでもあって、映画冒頭の「性別なんてどうでもいい」という現代的なマニフェストに説得力を持たせる。テレビプロデューサーに出世した柳楽優弥からレストランに招待され、無邪気にグラスを交わす笑顔は彼女ならではで、見事なまでに性の匂いがしない。LOEWEの衣装をまとったモデルとしてののんとはまるで別人である。「スーパーヒーローになりたい」というシングルのタイトルは、こうした彼女の多様な個性をよくあらわすもので、テレビ、映画、音楽と、幅広い活動のすべてがある種の必然性をともなって、長い時間をかけて相互関係を築いてゆくのがみえる。その有りようが予見性を帯びるのは、スターとしての宿命だろう。のんが新聞の一面を飾った「かんぽ生命」の広告は切り抜いて、私の部屋に貼ってあり、その隅に添えられたコピーは今こそ胸を熱くする。

〈人生は、夢だらけ。〉

 同名のCMソングは椎名林檎が手がけ、その歌詞はミー坊の雌伏の時と、やがて旧友から差し伸べられる救いの手を描いているかのようだ。

〈こんな時代じゃあ 手間暇掛けようが掛けなかろうが 終いには一緒くた きっと違いの分かる人は居ます そう信じて丁寧に拵えて居ましょう〉

 もっとも、その来たるべき時がいつなのかはわかりようがない。錦鯉のようなケースは稀であるからこそ多くの人の涙を誘ったのだし、「夢はすてたと 言わないで」と歌うビートたけしのハスキーボイスに胸を突かれるのは芸人だけじゃない。社会人としての信用をもとに、世間的にはどこの馬の骨とも知れない親友をフックアップしようとしてみせる柳楽優弥のような男は、そうはいないものだ。

 小川さやかは東浩紀との対談で、マルセル・モースの『贈与論』を援用し、こう述べている。

〈モースは、「贈り物に対する返礼が起きるのは、贈り物に取り憑いた精霊が与えたひとの元に戻りたいと望むからだ」というマオリ族の話にこだわっていました。仮に、わたしが東さんに贈り物をして、そこにわたしの一部が取り憑いているとします。受け取った東さんは、それを返してくれるまでわたしの一部とともにずっと生きることになる。そうやって、わたしという個人が、「分人」としていろいろなところにすこしずつ散らばっていく。そのわたしの一部は、わたしに戻りたいと望むときに、なにかのかたちで返ってくる。でも、それはこちらが与えた時点で相手が持っていたものではありません。託された「小川さやか100分の1」みたいなものは、その相手のもとで育まれて、わたしのあずかり知らないかたちに変身するんです〉

 いつかミー坊がさばいた釣りたてのイカは、いわば「ミー坊100分の1」で、ビートルズが世界中に広めたポップ・ウィルスと同質である。それはミー坊が我が道を歩きつづけるかぎり、どんどんと増殖してゆくのであった。

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