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インドに行くことを決めた理由

オリンピック周期?4年ぶりのnote


みなさんこんにちは。ヨガ講師のみょんです。
noteを開いたのはなんと4年ぶりのようで、
ログインできるか不安でしたがなんとか入ることを許されました。笑

さて、今回なぜnoteを開いたかというと、
2024年1月から単身インドへ渡っていたので、
旅の記録と、これからインドへ渡る人たちへ何か参考になる記事を書きたいと思ったからです。
持ち物から滞在地でのおすすめショップ、
おすすめカフェ、SIMカードの契約方法など記憶を辿りながら書き綴っていこうと思います。


日本を出ると決めた理由

さて、詳しいインド滞在記は次回から書いていくのですが、その前に
なぜ今回日本を出たのか?そして旅先にインドを選んだのか?
その理由を書きたいと思います。

ヨガの修行ではなく、ただインドに行きたかった。

私は日本を出る前、東京から香川県小豆島に移住して、ヨガスタジオを運営していました。そのおかげ様で(?)インドに行くと話すとほぼ全員にヨガの修行?と聞かれていました。
確かにインドはヨガの聖地だし、そこに足を踏み入れたいと思ったのは本当で、滞在中も実際に様々な先生のレッスンを受けることができたので、それはそれでいい思い出となりました。
が、リアルな目的は
「日本を出て、海外でひとりになりたい。」
これだけでした。そしてそこには、大きく分けて二つの「理由の柱」がありました。

甘えすぎの32年間…少し厳しい環境を選ぶ

ひとりになりたいと言うと「病んでる?」と思われるかもしれないけど、決してそうではなくて。
当時の私はひとりになる必要があると感じていたのです。
「ひとり」という言葉はプラスにもマイナスにも捉えられますね。ただ、その時の私に必要な「ひとり」とは、帰る場所や安心できる関係を持ちつつも、「ひとり」であることを楽しむ…孤独ではなくあくまで「ひとり」。
家族や友達から物理的に離れて「ひとり」で過ごすという意味でした。

親から一度離れること

私は本当に親に甘えっぱなしの人生を送って来ました。
「いやいや、しれてるやろ。」と更に甘やかそうとしてくれる人(ダメです。)、
「甘えるために身内がいるんだ」という人もいるかもしれないけど、32歳という年齢を考えると少し甘えすぎでは?ときっと誰もが思うくらい精神的にも金銭的にも甘えてきたのです。
いつからか、何かあったら親に頼ればいいと思っている自分がいました。
そんな気持ちを持ったまま生活する自分にも嫌気がさしてきたのです。
ヨガのスタジオだって…来てくださった生徒さんたちと、何より親がそばにいてくれたからこそ続けられたことだと思っています。
ひとりじゃ、絶対に無理だった。
いつまでもあると思うな親と金、というフレーズがあるじゃないですか。
大袈裟でもなんでもなく、これは真理。
私の親も70歳を超え、二人ともそれぞれに疾患を抱えて生活しています。
いついなくなるか分からないと思った時に、一度親から離れるという経験をしておく必要があると思いました。そのためには日本ですぐに会えたら意味がない、物理的に遠い海外に行こうと思ったのが一つ目の理由でした。

友人と離れること

このトピックに関しては非常に書き方が難しい…
けどおそれずに書きます。
最初に大声で伝えたいのは、
友人たちのことが大切で大好きだということ。
その前置きをした上で、海外渡航のもうひとつの理由について書きたいと思います。

愛すべきマイメンたち。

まず、私は人が好きです。出かけたり、食事をしたり、他愛もない時間を過ごすことが好き。インドアより断然アウトドアな人間です。
色々な価値観を持つ人に会いたいし、話を聞きたい。フットワークの軽さに関しては自分を尊敬するけど、ほとんど全てのお誘いにイエスと返事をし、イベントにも顔を出し…しているうちに当たり前だけどお金も時間もなくなっていきました。
お金が理由で誘いを断るなんてしたくなかったし、かといって嘘はつきたくない。遊びたいなら一生懸命働けばいいに決まってるんだけど、
正直言うと昨年の私は特にオフラインの部分…例えばオンラインコンテンツやサブスク、イベント集客がうまくできず一種のスランプに陥っており、企画するのさえ怖いというありさまだったのです。
親には甘えられるのに、友人に甘えたり頼んだりすることが大の苦手。
ひとりで抱え込むから、全部ひとりでくらっていて処理が追いついていなかったし、いつしか
「企画してもどうせ」と気持ちが斜めを向いていました。
とはいえ、どのサービスも一生懸命考えたものだから傷つきたくなかったし、勝手に傷ついた後も絆創膏をめくって傷口を見る勇気はありませんでした。
御託をならべましたが、簡潔に述べると
「事業がうまくいっていなかった」のです。

スタジオレッスンには本当にたくさんの方が来てくださり本当にありがたく嬉しかったです。
ただ、それだけで生きていける範囲の行動を
「私が取ることができなかった」
ヨガのせいではありません。ヨガだけでも十分に目の前の生活を楽しめたはずなのに、私の取捨選択がへたっぴだっただけ。ただそれだけなんです。
更に、へんてこなプライドから他業種でアルバイトをして生計をたてるということが許せなかったので、そこにも行きつかなかった。
全て私が選んでいること、そして私が私の首を絞めていること。
わかっていたけど、どうしようもなくて、辛かったです。
あー、書きながら泣きそうだ。ばかだなあ。
わたしよ、だけど辛かったね。
今ならこんなふうに自分を受け入れハグしてあげる余裕があるけど、当時は本当に一人でいる時の目はチベットスナギツネのあれだったと思います。笑

気分じゃない時は断ればいい、
全てにイエスで答える必要はない。
わかっていてもできない私はどうしたらいい?
自分に何回も問いかけました。

最後に出て来た答えは両親と離れる方法と同じ、
「物理的に距離をとってみよう」。
心根がしっかりしている人は、距離関係なく自分で選ぶことができるんだろうけど、まだ弱い部分がある私はどうしたらいい?と自分に問うた時に出て来た答えは同じでした。
誘われない、イコール断る必要もない、
自分のことだけ考えていられる…
そうだ、海外行こう。(JRのCMだなぁ。笑)
日本に帰って来て元通りになる可能性がないわけじゃないけど、なんにせよ当時の自分にとって必要なことだと思ったので、日本を離れることを決意しました。これが理由の二つ目。

なぜインドを選んだのか

といっても何故インド?
世界3大ウザい国に殿堂入りするほどノミネートされ、おそらく毎年受賞し、臭い、汚い、うざい、うるさいetc…多くの人がそんなイメージを抱くインドになぜ一人で行こうと思ったのか。
これまで私は海外旅行は常に家族と一緒で、
訪れる国もヨーロッパやハワイ、シンガポールなど比較的綺麗で観光地としてよく知られる場所ばかり行っていました。

いや尚更なんでインド?笑

そうなりますよね。笑

よく、「インドには呼ばれた人しか行けない」と言いますが、確かにそうかもしれません。
ちょうど去年の夏ごろ、上記の理由から日本を出たいと思った時に、ふと私のこころの中に降りて来た国がインドだったのです。
思い返せば去年の頭には「今年か来年はインドに旅行に行きたいなー」なんてぼやいていた時期があったんです。細かい理由は忘れてしまったけど、スパイスカレー熱が高まっていた時期でもあったし、アーユルヴェーダのケアやヨガアシュラムでの滞在など、短い期間でデトックスしたいな、なんて考えていたんですよね。
これが始まりだったのかもしれません。

…とまぁ色々書きましたが、まとめると「なんか呼ばれたから行ってくる!」みたいな感覚。
汚いとかウザいとかあんまり考えてなかったな。
インドに行って命を落とすなら私はそういう運命だったんだと思うし、特に強い意志があってインドを訪れたわけではありませんでした。
(現に観光名所はほぼ行ってないです。)
今私がインドに行きたいと感じていて、
それをインドが許可してくれたから行ってくる、
ただそれだけ。

聖なる河、ガンガーの朝焼け

結論インドを選んで本当に良かったと思っているし、帰国してもまたすぐに行きたい、そして将来そこで働き暮らしたいと思える国になりました。
入国してすぐに片想い、今は両想い目指して鋭意準備中です。
永住権がどうとか難しいことはあまり考えていないけど、私がインドに受け入れてもらえるのなら必ず道は開けると信じています。

たしかに汚い、くさい、ウザいは大正解の国だったけど、そのイメージだけでインドを語り、
終わらせるにはもったいなさすぎる程魅力にあふれた国でした。

次回から始まる南インドから始まる私のインド旅行記、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

フォートコチで出会ったオンジたち。元気ー?

Momoyo / みょん

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声がいいのでぜひ聴いてください。笑


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