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龍神考(14) ー日巫女と人丸姫ー

「龍(りゅう、りょう、たつ)」に「雨」+「口口口」を加えて「龗(おかみ)」となり、「竹」を加えると「籠(こも)る」と読みが変わる点に注目したことで、K+母音とM+母音の組み合わせからなる言葉が、畢竟「神=かみ=KAMI」に通じる言霊を備える可能性に気づきました。
 そしてこれらの言葉は、音や言葉を発すること、つまり口の動きに関係することも見えてきました。

 ここでこれまで取り上げてきたK+母音とM+母音からなる言葉を少し整理しておきましょう。
〜名詞〜
・神=かみ=KAMI →「申」=雷は「雲」の中に発生/「申す」=言葉を発する
・雲=くも=KUMO →「云」=「雲」/「云う」=「口口口」=言葉を並べる
・駒=こま=KOMA →「句」=「クルッと曲がる」/「句」=言葉を区切る

〜動詞〜
・噛む=かむ=KAMU →口の動き/言葉を並べる時も歯を噛み合わせる
・醸す=かもす=KAMOSU →噛み潰した米を容器で発酵させる大昔の酒の醸造
・籠る=こもる=KOMORU →内側に空洞がある「竹」は衝撃で音を発する

〜「雲=くも/ぐも」を含む擬態語〜
・もくもく=MOKUMOKU →雲や煙が立ち昇るさま→「云」=「雲」
・もぐもぐ=MOGUMOGU →口の中で食べ物を噛み続けるさま

 そしてこれらの言葉を内に含む古語として、「水分(みくまり)」と「御子守り(みこもり)」が一対の関係にあることにも触れました。
 その一例として福岡県糟屋郡新宮町の人丸神社と人丸配水地との位置関係を挙げましたが、「みくまり」と「みこもり」との繋がりが訛りや位置関係だけではないことも見ておきましょう。

福岡県新宮町の人丸神社の一の鳥居と右奥の丘の上に見える人丸配水地(2023年12月8日朝撮影)

「みくまり」と「みこもり」の日巫女

「水分(みくまり)」は水を配る機能を意味する言葉ですが、それは母親が乳児に母乳という液体の養分を与えることを中心とする「御子守り」の役割に通じるものと考えられてきたのでしょう。
 それぞれの地域で人々の身体を養い維持する水の供給源となる山や丘が、乳児に母乳を与える母親と二重写しに受け止められてきたものと思われます。

 しかし子育てにおいて子供を放置しすぎても過剰でも問題となるように、降水量が少なすぎても多すぎても困ります。
 そしてそのような降水量の調整を祈るのも特に女性の巫女の役割と考えられたのではないでしょうか?

 なぜなら人丸神社のすぐ近くで発掘された人丸古墳の被葬者が女酋と考えられているからです。
 女酋は共同体の女性シャーマン兼首長です(古墳は現存しません)。
 このような場所に後世、父親思いの人丸姫が葬られたと伝わります。子供思いでなく父親思いとされるのは、人丸姫自身が10代半ばで未婚のまま父親を慕って長旅を続けた結果病没したからです。

 人丸姫は、治承二年(1187)3月15日に朝日が昇る時に母親が懐妊を覚えたことから、「旭(日と丸)」に因んで人丸姫と名付けられ、死ぬ直前には父親の流罪先の日向国に向けて葬ってほしいと遺言した、と御由緒にあります。
 実際に人丸神社の社殿は冬の朝日を拝む東南を向いて建っています。
 逆に社殿の真裏の方向には人丸配水地の丘があります。
 つまり「みくまり」の人丸配水地→「みこもり」の人丸神社→冬の朝日に向かう→「日向(ひむか)国」という位置関係が神社の御由緒に暗示されているのです。

人丸配水地から人丸神社御鎮座の細い丘陵帯を経て東南に拝む旭(2023年12月9日朝)
御子守りの人丸神社は冬の朝日の方を向き、真裏の方に水分の人丸配水地がある(2023年12月9日朝)

 この関係性は、前述の人丸古墳の被葬者である女酋が降水量の調整を祈ると同時に太陽の祭祀に携わる巫女としてこの地で活躍していた歴史を踏まえたものだった可能性が想像されるでしょう。
 神社やお寺に伝わる伝承は時代ごとに変遷もしますが、その変遷の仕方は以前の歴史や信仰を踏まえてのバージョンアップという形を取ることが多いようです。
 すると、人丸古墳の被葬者の女酋は降雨・止雨を祈り、太陽を祀る巫女、言わば「日巫女(ひみこ)」だった可能性が、人丸神社の御由緒から窺えるのです。
 ここの「ひみこ」はいわゆる魏志倭人伝に登場する「卑弥呼」ではないですが、本質的に同じような役割を担う「日巫女」は各地にいたわけであり、人丸配水地と人丸神社と人丸古墳はその一つの好例です。

 このように人丸神社は「水分(みくまり)」の場所に「御子守り」の信仰とともに太陽信仰も重なっていることが窺えます。
 そもそも雨は海が太陽に温められて水蒸気が発生して形成される雲の中で生まれます。したがって降雨・止雨の祈願と太陽信仰は同根であり、雨と太陽の間に介在する雲や雨の源である海、雨の自然の「貯水槽」である山、まとまった量の淡水の補給源である湧水や河川、池、湖への信仰もそれぞれ別個のものではなく、一つの自然崇拝の連環の中にあります。

人丸配水地から北東の沖合には海神の娘の豊玉姫命が鎮まる相島(あいのしま)が見える(昨年12月9日)

 これら自然界の営みが順調であることによって人々の身体、健康も守られることが、「水分(みくまり)」と「御子守り(みこもり)」の言霊に窺えます。
 つまり「水分」の順調のために太陽を始めとする自然界の諸々の要素を神として祀り、人々の身体、健康を守ることが「御子守り」に通じると考えられたのです。

人丸姫と乳母に見る日巫女の処女性と母性

「水分」と「御子守り」の祈祷に携わる巫女は、誰か特定の個人の妻や母ではない共同体全体の母親役となるべく、処女や独身であることが求められたのではないでしょうか?
 魏志倭人伝に登場する卑弥呼が独身だったとされた背景にもこのような考え方があったものと思われます。

 そのことは、人丸姫が13歳の時に乳母とともに父親探しの長旅に出たという人丸神社の御由緒が暗示していると思います。
 御由緒にある「13歳」とは数え年でしょうから、「満12歳を迎える年」になります。初潮を迎える年齢期で、当時は結婚の話が出てもおかしくありません。
 しかしそのような年齢で人丸姫は旅に出て、処女、未婚のまま生涯を終えます。

 他方、人丸姫に同行したのが乳母であることは意味深長です。
 乳母は実子以外の子にも母乳を与えて養育する女性ですので、信仰思想上は母性の強調と受け止められます。
 これら一見すると対照的な二つの特徴は、共同体全体の「水分(みくまり)」と「みこもり」に責任を持つ、処女でありながら母性の強い巫女を連想させます。

 このように、神社の御由緒やお寺の御縁起などに出てくる何気ない表現や言葉には、社寺の発祥以前の古くからそれぞれの土地に連綿としてある信仰や歴史が暗示されています。
 人丸神社も御由緒によれば12世紀末以降の創祀なのでしょうが、それにまつわる信仰思想は少なくとも古墳時代に遡ると思います。
 言い換えると、少なくとも古墳時代からの女酋「日巫女」への信仰が続いていたか、その記憶が残っていたからこそ、中世に人丸神社の誕生を見たのでしょう。

 ここで改めて「巫女(みこ=MIKO)」や「日巫女(ひみこ=HIMIKO)」の言霊に注目すると、はたして「神(かみ=KAMI)」に収斂しうるK+母音とM+母音の組み合わせが、順序は逆ですが認められます。これも偶然ではないでしょう。

 その上で再度「霊」の旧字「靈」についての考察を振り返ってみましょう。
「靈」=「雨」+「口口口」+「巫」:巫女が雨乞いの言葉を並べ、雨が降る様
 ここで「口口口」(=言葉を並べる)を「云う」に置き換えるとこうなります:
「靈」→「雨」+「云」+「巫」→「雲」+「巫」
 巫女の雨乞いによって降雨に恵まれるには、巫女が捧げる言葉によって雲が発生することが大前提となります。
 その点からも、「雨」+「口口口」を「雨」+「云」=「雲」に置き換えるのは妥当でしょう。
 すると、「雲=KUMO」と「巫女=MIKO」のK+母音とM+母音の言霊の組み合わせが私たちの生存に不可欠な水をもたらす、ということができます。

 

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