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ヘビーゲーマーのニートから10年、私が教育サービス会社の社外取締役に就任した経緯

今まさに全世界を魅了している映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』、そのベースとなったゲームは、もはやひと昔前と言っても差し支えのない1985年9月13日に発売されました。

その4日後に生まれた私竹谷彰人たけやあきとは、マリオと同級生のよしみもあってかゲームの進化を楽しみながらすくすくと育ち、気づけばヘビーゲーマーとして37年間生きてきました。ゲームへの恩返しにと、2017年にイラスト制作会社ミリアッシュを設立したほどです。

そして現在2023年6月、私はフリースクール等の教育サービスを岡山から全国へ展開せんと邁進する無花果いちじく株式会社の社外取締役に就任致しました。

改めてプレスリリースを読んでも、私自身まさか教育業界に足を踏み入れるとは思ってもいませんでした。ゲームに関係のないブラック企業で働き、心身を割かし壊して90キロ超のニートとなり、やはりゲーム業界に骨を埋めたいと重めのカラダひとつでゲームイラスト制作会社に飛び込んだのが2013年。その10年後、なにがどうしてこの光栄な役目を拝命するに至ったか。

突き詰めていくと、人から人へと繋がれていくストランドのような縁、その不思議な力による作用でした。

ここでは、自身の備忘と皆様への自己紹介を含め、私のようなゲーム偏愛人間がいかにして教育事業に臨む定めに決まったかを書ければと思います。


これだけゲームをラブだと言っておきながら恐縮なのですが、おおもとを辿っていくと、発端はゲームではなく漫画でした。

私の優先順位としてはなによりもゲームが最高位なのですが、オタクのご多分に漏れず漫画も大好きで、それが高じてとある漫画好きのコミュニティに属していました。

そこで知り合った方が、山田邦明やまだくにあきさんです。もともと東京のゲーム系スタートアップベンチャーで上場まで法務の悉くを司り、その後岡山へ戻って活動されている聖賢のような御仁です。

その時に邦明さんのなさっていた企画が「スタートアップマンガ展」で、岡山のTSUTAYA店舗に色々な企業の推薦する漫画を展示するという、漫画愛がなければ成し得ない内容のものでした。そして上等な味噌のように滲み出るオタク独特の匂いを感じ取っていただいたのか、ありがたいことにイラスト制作会社ミリアッシュもその展示に混ぜていただくこととなったのです。

そうして、私は生まれて初めて岡山を訪ねます。もともと埼玉県民の私にとって、西方遠征は陸路なら京都大阪、空路なら九州沖縄へ、という塩梅だったがゆえに、新幹線で東京から3時間以上かかる距離に少なからず驚いた記憶があります。

縁というものは、往々にして予想もしていない部分から生じるもので、岡山への”奇妙な冒険”が続く繋がりができたのはこの企画、そしてこの夜に邦明さんが開いてくださった飲み会でした。

そこに同席していたのは、山田浩徳やまだひろのりというなんだか飢えた狼のような大きい人間でした。そうです、岡山に山田さんは『2人』いたのです。

『ジョジョの奇妙な冒険 PARTE5 黄金の風』(荒木飛呂彦/集英社)2巻より

読み進むにあたり山田さんが2人いると大変かと思いますので、ここでは聖賢伝説を「邦明さん」、餓えた狼を「山D」とさせてください。ちなみに山Dは不動産関連のお仕事をしていることもあり、初対面の挨拶で自らを当時のアメリカ合衆国の大統領になぞらえ「トランプ」と名乗ってきましたが、たとえ米国旗の星の数ほど生まれ変わってもそうは表したくないので山Dと書いていきます。

そういう自己紹介での印象もあり、山Dのことを当初は「なかなかクレイジーで餓狼伝説みたいなひとだぜ!」と思っていました。いや、”当初は”と記しておきながらなんなら今もその感想は不変ではありますが、山Dの特徴のひとつに「面倒見が良い」というものがありました。

邦明さんの企画展示以降、イベントやらなにやらで岡山を訪ねる機会が増えていったのですが、その折々に山Dは同道してくれて、一緒に岡山グルメである「デミグラスソースのかかったカツ丼デミカツ」や「牡蠣入りのお好み焼きカキオコ」を貪っていくなかで、山Dが意外とヘビーゲーマーの過去を持っていたことを知りました。一緒にいる時間が増えれば、互いを知り、自然と親近感が湧いていく。「同じ釜の飯を食う」とは、よくできた言葉だと思います。

そうしたなかで、山Dからしても「ああ、竹谷って結構本気度の高いヘビーゲーマーなのだな」という見方が少しずつ醸成されたのだと思います、まるで上等な味噌のように。

ここでの本題ではないので省きますが、色々とあって2021年7月、ゲームへの狂愛を見込まれた私は、山Dとともにeスポーツ会社DEPORTARデポルターレを立ち上げるに至りました。

岡山が、「お呼びいただく」場所から「呼びかけていく」場所へと変わった瞬間でした。

時期をやや同じくして、邦明さんが代表を務める株式会社コノテさんが岡山でフリースクールを開校するというニュースを聞きました。なにかできないかと悶々とした結果、邦明さんの喜ぶ顔見たさとそのフリースクールへ通う生徒さんたちのひと時を思い、『Nintendo Switchニンテンドースイッチ』を個人的に贈呈させていただきました。ちなみに、eスポーツ会社のDEPORTARデポルターレからも、当時入手が困難だった『PlaySationプレイステーション 5』を寄贈しております。最先端のゲームに心置きなく触れられるフリースクールは岡山の無花果いちじくもえぎだけです。

そこで出会ったのが、当時共同代表としてフリースクールを運営する若き俊傑、中藤寛人なかとうひろとさんです。私のひとまわり年齢が下の方なのですが、信じがたいほど礼儀正しく謙虚で、天使のような優しさに溢れている好青年。最初に抱いた印象はそのようなもので、そして今も変わりません。少々逸れますが、第一印象は良くも悪くもあまり変化することがないと最近特に思います。最初から「ちょっと苦手だな」と思ったひとはずっと苦手のままですし、素敵な方だなと思うとずっと好きなままです。話を戻します。

私の身勝手なプレゼントに対する御礼の連絡。それが中藤さんとのファーストエンカウントでした。

その後、DEPORTARデポルターレ主催のeスポーツ大会のトークセッションに登壇していただいたり、無花果いちじくがゲーム『VALORANT』のイベントを開く際に協賛させてもらったりと、互いに岡山の企業同士相互扶助していく関係となりました。

直近の2023年2月にDEPORTARデポルターレで開催した格闘ゲーム『鉄拳7』のトーナメントでは、フリースクール無花果もえぎの生徒さんたちに運営スタッフとして携わっていただきました。懸命に進行をサポートしてくださる彼らの姿は、今も心地よい余韻とともに私の脳裏に焼き付いています。嬉しさのあまり、私は持っていたアーケードコントローラー(主に格闘ゲームを楽しくプレイするための機器)をその場の勢いでプレゼントしてしまったほどです。つまり『STREETストリート FIGHTERファイター 6』のため新調しなければなりません。どなたかオススメございましたら教えてください。

大会やイベントがあれば当然普段東京府中にいる私も岡山へ行くので、必然的に中藤さんと”同じ釜の飯を食う”ことも増えていきます。『鉄拳7』の大会を終えた後も、中藤さんを含めた関係者たちで食事に行きました。その時も彼のまとう空気はどこまでも優しく、まるでエンジェル伝説のようでした。

そんな仕様もないことを考えていた矢先。

「お話したいことがあるので、近々お時間いただけませんか」

中藤さんから、そう切り出されました。内容はまだわかりませんでしたが、「私でよければ」と応じました。

その言葉の通り、翌月の3月、中藤さんは岡山から東京へやって来ました。正直なところを申せば、私が岡山にいる間に済ませられるのではないかと思わないでもありませんでしたが、改めて都合をつけたいというのは中藤さんとしてなにか儀式的な意味合いがあるのやもと感じ、変に茶々を入れることは避けました。

離れた地に住む恋人が遠路はるばる訪れるというのは、この時の感覚に近いのかもしれません。そんな仕方のないことを思いながら私史上最高のビジネス的デートプランを構築したのですが、原稿用紙が足りないくらい長くなりそうなので割愛します。

「それで、今回の主目的というか、なにか私に相談事がおありなんですか」

まるで東京カレンダーの如き小粋なデートの最後、回らないお寿司屋のカウンターで横並びに座りながら聞きました。すると、中藤さんは少し口ごもってから、こう言いました。

「新たに会社を設立するので、出資をしてほしいのと、そしてよろしければ社外取締役になっていただきたく思っています」

まったく想像していない話でした。

次いで、中藤さんからその提案に至った経緯をいくつか述べてもらいましたが、恥ずかしいところを省くと、教育業界とゲーム業界の橋渡しブリッジを担ってほしいというのが骨子でした。具体的な委任内容はこれからのことで、まずは私の感触を聞きたい、と。

本来であれば、色々と確認すべき事柄はあったのだと思います。新会社の経営計画や目標、ミッションやビジョン、中藤さんの履歴書・職務経歴書的な内容。私が労力を出すだけならゲームのプレイ時間が少なくなる程度で結構死活問題ながら如何にでもできるのですが、出資となると会社を巻き込みます。それはつまり、ミリアッシュのメンバーにも大きく関係してくる話です。

しかし。

「私でよければ」

10歳以上年齢の離れた人間に、出資と社外取締役就任を頼む。互いに面識はあっても、一対一で過ごしたのはこの日が初めてで、同郷でもなく、特別親しい仲というわけでもない。

彼は、どれだけの勇気を払って、今この話を私にしているのだろう。

そう思うと、応じる以外の選択肢はありませんでした。勇気には、同じく勇気で応えたい。中藤さんより長く生きている人間として、当然の責務だとさえ思いました。

感謝の言葉を中藤さんからもらいましたが、それは私が言うべきことで、彼の決断に私を入れてくれたことに感謝しかありませんでした。

明くる日、ミリアッシュのメンバーにも伝えたところ、満場一致で「応じたい」と反応が帰ってきました。なんと誇らしいメンバーか。魂が合っていると、深々に思います。

そうして私は、ゲームばかりしている身でありながら、そのゲームばかりしていることが評価されて、教育サービスを事業とする会社の社外取締役となりました。

できることを全部やる。

いつからか自ずと言ってきた言葉ですが、これからはイラスト・eスポーツの属性に加えて教育もこの心身にまとい、私にできることを全部やっていきます。

事業内容や取り組みにご興味ございましたら、ぜひご連絡ください。いつでもどこへでも参ります。


ここからは蛇足で、私の自分語りとなります。よろしければお付き合いください。

そも私は、エゴの塊のような魂を持っている人間です。ずっと受動的に生きてきて、能動的になったのは会社を設立しようと思った時くらいです。そしてイラスト制作会社ミリアッシュを作ったのも、クライアントやイラストレーターをもっと大切にしたい、という思いは当然あったものの、「情に厚く働きたい、独立することで修養を積みたい」といった、会社をある種のツールとして見なすような、自分本位な気持ちも少なからずありました。また、あくまでも軸はミリアッシュにあり、代表を務めるのはミリアッシュだけだと決めています。規模を拡大させるつもりもなく、関係してくださる人々ひとりひとりを深く大切に思いながら、気心知れた波長の合う仲間と一緒に世界が終わるまで働いていたいと考えています。

その反面というわけではありませんが、お誘いにはすべて前向きに応じるよう心がけています。それが飲み会でも交流会でも、クラウドファンディングやスポンサーシップでも、出資や社外取締役就任であったとしても。

誘われないということは、自分にその資格がない証拠であり、誘われるような魅力的な人間になろうと考えて行動しています。古い言葉に「桃李もの言わざれども、下自らみちを成す」とある通り、おいしい桃は動かなくても、その美味を目当てにひとがやってきて気づけば道ができています。

そう考えると、今回のお誘いは私個人としても会社としても、本当に嬉しく光栄なことです。まだまだ青くとも、ほんの少しは甘みのある桃に成長できたのかもしれません。

また、最後にひとつ付記しておきますと、私が中藤さんからの申し出に即答できたのは、上に書いた意図はあれど、大前提として中藤さんの人柄あってのことです。若くしてあそこまで熱誠備わったひとはそうそういません。

最近読んだ漫画で、目に焼きついた言葉がありました。

『漫画版 徳川家康』(横山光輝/山岡荘八/講談社)1巻より

「人情を忘れたことは、策に似て策にならぬ」

真心のないビジネスはビジネスではない、と私には読めました。本当にその通りだなと思います。

人情深い中藤さんと一緒に働いていけることが、今から楽しみでなりません。


お読みいただきありがとうざいました!

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