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いつまで経っても孤独な登校拒否児

今は、学校へ行けないことを「不登校」という。

だけど、かつては「登校拒否」と呼ばれていた。
まるで、学校へいけない子に罪悪感を持たせることを勧めるかのような悪意のある言葉。

私が学校へ行けなくなったのは、平成がはじまる初めの年。
その当時、学校へ行けない子は「登校拒否児」というレッテルが貼られた。

私はこの言葉がすごく嫌いだ。いや、嫌いというレベルではない。
全身で拒絶するかのような、忌み嫌う言葉。

学校へ行けなかった当時、耳にもしたくなかった。
そして、学校へ行けるようになってからも、この言葉を聞くだけでビクッと体が拒絶した。

ましてや、学校へ行き始めた自分に投げかけられた言葉。

 「登校拒否してたんやろ?」

心が包丁でグサグサと切り裂かれた。もうダメだった。心からは見えない血が出ていた。

きっとこの言葉な馴染みがあるのは、今から数十年前に学校へ行けなかった子供。つまり、今は三十代、四十代以上の人たちだと思う。

昨年(2019年)の夏、あるテレビドラマを観て、衝撃を受けた。

そのテレビドラマのタイトルは、
『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』

元AKBの前田敦子さんが主演、脚本は岡田磨里さん。
実はこのドラマは、岡田さんの自伝の基づくものだ。

かつて、岡田さんも登校拒否児だった。
だから、登校拒否児を主人公にするアニメを書いた。このドラマは、そのアニメをはじめとして、岡田さんが漫画家になるまでのストーリーを描いたものだ。

そして、特に衝撃を受けたのは、このドラマの原作書籍の中で、「登校拒否」という言葉が使われていること。

書籍の中にも、こんな一文が出てくる。

「どうして私は登校拒否児になってしまったのか」

最近では、学校へ行けないことは、一般的に「不登校」という言葉が使われる。しかし、この中ではあえて「登校拒否」という言葉が使われている。

それは、岡田さんが私と同年代(40歳台)であることが理由なんだと思う。つまり、かつての不登校児なのだ。

そして、こんな一節もある。

「なにしろ当時、田舎では登校拒否児は本当に珍しかったので、
ちょっとした珍獣扱いだった」

そう、今から約三十年前、当時は学校へ行けない子は少なかった。学年に1人いるかどうか。だから、とても奇異な目で見られた。

まるで、異物のように。そして、犯罪者かのように・・・。

今の時代では、不登校は社会問題として新聞やニュースで一般的に取り上げられている。そして、フリースクールや支援団体など、多くの学校へ行けない子どもたちへのサポートが整っている。

だけど、たかが三十年前の平成元年は違った。

インターネットも、フリースクールもない。
同じように学校へ行けない子供たちとつながることもできない。想いを共有することもできない。

いやもっと正しくいえば、こんなふうに学校へ行けないのは、世界で自分しかいないと思っていた。なんせ、インターネットもないし、フリースクールもないから、知る術もなかったのだから・・・。

だから、孤独だった。誰にも理解されない。共感もされない。

雨戸を閉めた自宅の暗い一室で、ただどうしていいのか分からず、孤独に耐えるしかなかった。先に見えない未来。

この薄暗い和室で歳を取り、死んでいくんだと思った。いや、ここで命を・・・と幾度も考えた。

しかし、幸いなことに、私の登校拒否は1年で幕を閉じた。

難なく学校へ行けるようになったわけでない。最後の力を振り絞って、耐え抜いて、再び学校へ通いはじめた。

中学、高校へ進んだが、その過程でも辛いことはいっぱいあった。
でも、それを乗り越え、大学に進学、史上最悪の氷河期にも就職できた。そして、結婚もした。子どもにも恵まれた。それなりの役職も手にいれた。

それなのに、それなのに・・・

「なぜか幸せを感じられない・・・」

そして、数年前ようやくその答えにたどりついた。仕事による適応障害で不眠症になったのをきっかけに心理カウンセリングを受けた。

そのカウンセリングの中で、かつての登校拒否だった自分を、いまも引き摺り続けていることに気づいた。

自分の中で、学校へ行けなかったかつての自分を昇華できていなかったのだ。

大人になった自分なら、それを昇華することができると思った。今の時代にはインターネットもある。大人になったから、なんでもできる。

そう思って、かつての登校拒否のトラウマやコンプレックスの解決方法をインターネットで検索しつづけた。

だけど・・・

そういう悩みを抱えている人(仲間)を意外と見つけることはできなかった。ましてや、その解決方法なんて、もっと見つからなかった。

今、現在進行形の不登校児にはたくさんの支援がある。

一方、かつての登校拒否児には、なんの支援もなかった。
そして、大人になって、かつての登校拒否トラウマに悩んでいるのに、やっぱり今も支援はないのだ・・・。

やっぱりかつての登校拒否児は、いつまで経っても孤独なんだ。絶望した。

だけど、そんな諦めた時に、岡田さんの書籍で見つけた一文。この一文に雷を打たれたようだった。

「私はいつまで過去に囚われ続けているんだろう」

あっ、自分のことを言っている。自分の中でうまく表現できていないことを、まさに言語化してくれていた。そして、同時に気づいた。同じ仲間がいたんだと・・・。

世の中には、不登校に関する書籍はたくさん出ている。だけど、どれもが「不登校を経験したよかった」みたいなサクセスストーリーばかり。

そんな中で、かつての不登校(登校拒否)から解放されていない大人が、この世にいたことに安心を感じた。

登校拒否の過去に囚われ続けているのは、世界でたった一人ではない。自分だけじゃないんだと・・・。

かつての学校へいけなかった時のように、孤独じゃないんだと・・・。

そして、さらにうれしいことがあった。

先日からnoteデビュー、ようやく3つの記事を書いた。ハッシュタグに「#元不登校」「#元登校拒否」があったので、自分の書いた記事にもつけてみた。

そして、同じハッシュタグがついた他の方の記事を見てみてみると、自分と同じように、登校拒否の過去に囚われ続けてる仲間がいることを知った。

ビックリした。
そして、なんだか、うれしかった。心強くなった。

ようやく「かつてのように孤独じゃないんだ」と本当に思えた。

なんとなく始めたnote。
しばらくここで仲間を探しながら、心を癒そうと思う。