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隠しきれないもの

ネット上で色々発信したり、リアルに会ってみたり。
お店で物を買ったり、ライブを見たり。
自分でもそんなことをしたり、多くの人のそれを見てきて思ったことを綴ります。

紛れもない事実として

これはよく僕が口にするフレーズなんですが
「画面の向こうには人がいる」
そう。発信する側も見る側も。
Twitterとかで自動で仕込むとかもありますが、
それすらも人が仕込んでいること。
とにかく必ず人と人との間に「発信」「享受」がある。

たとえがアレですが

ネット上の発信はいくらでも加工できる。
文章だったらAI使えばいいし、写真であれば加工、
動画であれば編集。ライブ配信ですらもやる側の「シナリオ」や
想いなどで出すものをフィルタリングできる。
とても便利な時代。スキルがなくてもある程度整えることができる時代。
まぁ周りのツールを使いこなすこと自体が「スキル」って言えばそうなんだけど。いわゆる誰でもお化粧している状態で人前にものは出せる。

しかし隠しきれないもの

そう。それは「人柄」。
結構行間を読む話になるんですが、
こればかりは隠しきれない。

少しでもずるいところがあればそれはバレるし、
実際会えば所作までは隠しきれない。

利己的なのか利他的なのか?は、発信してる内容だけに留まらず、タイミングやレスポンスに人間が出る。
むしろ普段ツールに頼れば頼るほど、
すっぴんの人間力は誤魔化しきれなくなる。
リアルで会えば尚更のこと。

そんな時代だからこそ

これからネット発信のツールはもっと進化する。
なんでも数年前から今が想像できたか?で考えればわかること。
見渡す限り整ったものの発信が多くなる。
もちろんそれで済むジャンルは加速がエグい。
なんならSNSを見る習慣すらAIに託して必要なもの以外は見ないし、レスポンスしない、位の時代はそう遠くないと思う。

人に届けるためには最後人の力が絶対!を
信じて疑わないのが僕の考え。


いかに整った世界の中に泥臭さや強い信念を発信するか。薄っぺらい利己主義で包まずに人間出して行くか。

悲惨なニュースや便利なツールが溢れる昨今の世界で、とにかく

「人間として自分で自分の答えを出す」

ってことがますます重要になっていくと考えています。流れが大きく早くなり続ける時代だからこそ、ぼーっとしてたら流されて日々過ごすのは簡単。

そんなことを最近よく考えています。
まとまりない着地ですが、今日はこの辺で。



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