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鈍行列車の私と急行列車の夫〜だからこそ創れる世界〜

私は電車に乗るとき、できるだけ移ろい行く景色をゆっくり見ながら、時間をかけて目的地に行くのが好きです。

これは電車だけでないな、と最近気づきました。

夫は電車に乗る時、いかに効率良く質の良い空間で時間を無駄にせず目的地まで行くのが好きです。

こちらも電車だけでないな、と感じます。

忙しい現代人にとって、夫のような生き方の方が正しい、のような空気感が今の世の中だと思います。

だから当然私は、生きる上で絶滅危惧種のように、大多数の中から遅れていくのだと思います。

が、私は私なりにそのような大多数から一歩遅れた、大多数から一歩引いた人生を味わい尽くすことが豊かな人生なのではないか、と感じています。

そもそもそのような効率、スピードを重視した動きをしようとすると私は疲れてしまいます。

こういう特性の私を、HSPという言い方することもできるようですが、それで精神疾患がある方たちも、そうでない方たちもが一括りになって、そのようなビジネスに呑み込まれていくのも違う、と感じます。

私は繊細であるという現状認識をし、対策を取ることも必要なのだと思いますが、そこだけを居場所にしなくても良いのかな、とも思います。

そして、であればこそ、私は繊細なものを好みます。

物も、例えばジュエリーやお花など身の回りに置くものも、シンプルかつ小さくて繊細なものに惹かれます。

味も繊細な味つけが美味しく、私を豊かにしてくれます。

が、夫が買ってくれる時計やカバンは、存在感のある、大きくて派手な物になり、私だと絶対に選ばないものになります。


夫の好物は味付けの濃いものです。

どちらがいいか悪いか、ではなく、こうして世の中は相反するものが存在する、隠と陽、光と影があるからこそ成り立っているのだよな、と感じます。

何がいいたいかというと、

みんな違って
みんないい、

というあれ(笑)です。

こちらがいい、では、みんながこちらを選ばない、と。

あれがいい、ではみんながあのようにならないと。

みんながそのように染まり過ぎる、纏まり過ぎるのも、不自然だ、と感じます。

空気を読む、ということもしなくていい、と思います。

そもそも私たちは個別の存在です。

だからこそ違う意見や在り方を潰さず、尊重しながら話し合えば、大概のことは超えていかれると思います。

違えば違うほど、そこに信頼関係と、誠実さ、謙虚さが必要だと思いますが、逆にいうとそれさえあれば、どんなに違う人とも一緒にいられる、と感じます。

むしろ私は夫を観て、大多数の人が生きる世界はこんな感じなのかな?と学びますし、夫も、今まで理解出来なかったことが、あなたと居るようになって分かってきた、と言います。

あと、1番大事なことは、誰のことを上にもしないし、下にもしない、ことだと思います。

穏やかなひとつの世界を壊すのは、誰かを自分より上に置いたり、下に置いたりしたときだと感じます。

人と人との関係は本来対等である。

上も下もない、というベースがあれば、脅かされことなく、誰とも繋がれるのだと思います。

私と夫のように、全く違うもの同士がこのひとつの世界をつくっているのだ、ということを心に留めておきたいな、と上から目線でもなく、下から目線でもなく、謙虚に書き綴りたいと思います(笑)

お読みいただきありがとうございます。

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