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ヘアドネーションについて〜いただいたコメントから考えたこと〜

普段はオープンチャットなどをはじめとして
顔の見えないたくさんの方々と
やり取りをしていますので
色んな人がいらっしゃることは
日々痛感しているところであります。

もちろん大半はとてもいい方々。

ただ、やっぱりどうしても中には
攻撃的な人だったり
コミュニケーションをとるのが難しい人だったり
メンタル面が心配になるような人も
いらっしゃるんですよね。

私個人としては
名前も顔も知らない会ったことのない相手からは
何をどうけなされても
心ない言葉をかけられても
嫌われようとも痛くも痒くもありません🤷

ですが、
素の私という人間は
言いたいことは言わないと気が済まないタイプ
なのでちょっとこちらで言わせてください!笑

※この記事にはアフィリエイトプログラムや広告が含まれておりますが、内容については公平性・安全性を保っております。

ことの発端

以前
「ヘアドネーションをやってみました」
という内容の記事を書いたことがありまして
そちらにいただいたコメントの話になります。

私としてはこの記事で

  • 長年やってみたかったことができた、
    スッキリしたーっ!(自己満足)

  • 美容師さんからいろいろ教えてもらえたので
    もし今後
    『ヘアドネーションをやってみたい』
    と考えている方がいらっしゃったら
    何かの参考になればいいなぁ〜(希望)

ってのを主に伝えたかったんですよね。

なんですけど
思いもよらないコメントをいただきまして
ありがたく、心に刻ませていただきました😌

↑実際にいただいたコメントと私の返信。


考えさせられたこと

まず、パッとコメントを見たときに
最初に思ったのは
『善意の押し付けって何?』
でした。

前向きな意味でないことはすぐ分かりましたが
どういうこと?

おっしゃりたいことがよく分からなかったので
言われたとおりに検索してみました。

渡辺さん、というのはおそらく
NPO法人JHD&C(ジャーダック)の
代表理事をしている方のことですね。

偶然にも
私が送付した先の団体の方でした。

引用:TBS RADIO

うーんと、
本当はもっといろいろ取材記事がありまして
1番ぎゅっとまとめられている言葉を載せましたが
その言葉の背景などを
分かりやすく伝えるのがとても難しい…。

前提として渡辺さんは
ヘアドネーションを否定しているわけでも
ドナーを批判しているわけでもない。

私なりの解釈にはなりますが

  • 髪の毛がある(長い)人が大多数であり
    それが当たり前、のような共通意識の社会
          ↓

  • 「病気で髪の毛がないのはかわいそう」
    と本人にウィッグを勧める周りの人たち

  • 「かわいそうな子どもたちのために」
    と髪の毛を寄付するドナー
          ↓

  • 周りの大人たちの言うことを聞いて
    「大人のために」
    ウィッグをつける子どももいる
          ↓

  • 「子どもたちが嬉しそうだ」
    (本当は大人が喜んでいるのが嬉しいだけ)

  • 髪の毛を寄付することは
    「子どもたちのために」なる
          ↓

  • 結果、ヘアドネーションは
    「子どもたちのために」いいことをした
    と周りが勝手に思い込む

  • 本人たちの意思や感情が置き去り
    になっている

という図が出来上がっているのが現状。


また、
ヘアドネーションの認知度が広がったことで
髪の長い人(特に男性)に対して
「ヘアドネーションのために伸ばしているの?」
と言われることもあるそうです。

自由に好きな髪型にしにくい環境
というのが根底にあるのかもしれません。

多様性については
ヘアドネーションに限った話じゃない
かもしれませんが…

短髪が男性らしさ、長髪が女性らしさ、
などといった固定概念が
まだまだ少なからず根付いているのかな、と。


本来は

  • 髪の毛がある人もない人も
    長い人も短い人も年齢性別関係なく
    全て多様性として認められる社会
          ↓

  • 本人が何を望むのか、どうしたいのか
    本人の意思を尊重し認める

  • その中のひとつの選択肢として
    「ウィッグ」もある

という形が理想的な姿なのではないでしょうか。


例えば服を選ぶときに

「赤は似合わないから青にしなよ。
   みんな青を選んでるよ。
   青い服、プレゼントしてあげる。
   嬉しいでしょう?」

というのが押し付けるということ。

本人は赤の方がよかったかもしれないのに
善意という名のもとですと
むげにできないのが人間の性ですよね。

ありがた迷惑というか
現実社会でも割とよくあると思うのですが
良かれと思ってしたことが
逆に相手に気を使わせることになる始末。


(本当は喜んでいないのに)
『喜ばせてあげた、本人のためにいいことをした』

って思わないようにしてほしいというのが
渡辺さんが言いたいことだと思います。


老若男女、どこの誰でも
どんな服を着るのも自由
どんな髪型にするのも自由
おしゃれをするのもしないのも自由
『病気だから』など一部分だけを取り上げない
特別扱いしすぎない

言葉にまとめるのは
ものすごく難しいけど
たぶん、だいたいそんな感じでしょうか。


先ほどの例に例えると
「青の方が似合うと思うけど赤も黄色も緑も紫も
   どれを選んでもあなたらしいよ」
というのが意思を尊重して認めるということかな。


調べたことを踏まえた上で感じたこと

近年の人毛ウィッグ事情として

日本人の髪の毛は特に丈夫で美しいため
海外から高く買い取られることがあるそうです。
(医療用に限らず)

そんな中で
必要としている人に対して
無償でウィッグを提供できる取り組み
というのはとても素晴らしいことだと思います。

ただ、前回記事を書くにあたって
ヘアドネーションについて調べて
出てきたのは

・ヘアドネーション活動に取り組む団体
・「髪の毛を寄付しました」というドナー
・ドナーを批判する人
・ドナーを擁護する人

ばかりが目立っていて
必要としている人の話や体験談などを
見つけることができませんでした。

つまり、私がしたことは
本当に誰かのためになるのか
分からないと思ったんですよね。

ちょっとモヤっとした部分、
その原因は
主人公が不在のまま進んでいくストーリー
って感じだったせいですね。

今回改めて調べてみたことで
なるほど、と
点と点が繋がったような気がしました。


と、ここで最初の方の話に戻ります。

「善意の押し付け」
いつ、どこで私がしてましたか?

どの部分でそう感じられましたか?

例えば

髪の毛を寄付することは素晴らしいことです
髪の毛はあって当たり前のものです
たくさんの人が髪の毛を望んでいます
私、その人たちのためにいいことをしました
皆さんもしましょうよ
ウィッグをより多くの子どもたちに届けましょう

というのが「善意の押し付け」であり
渡辺さんが懸念していることなのでは?


私はあくまで個人的な体験から

自分が脱毛や薄毛に悩まされたときに
私にとっては髪の毛というものがとても大事だ
と気付いたので

同じように感じて悩んでいる人がいるかもしれない
と思ったのが
ヘアドネーションに至ったきっかけであり

髪をバッサリ切りたかった私と
ヘアドネーションという活動の
ニーズがうまくマッチングしただけのこと。

そして、
せっかく美容師さんから詳しい話を聞けたので
記録しておきたいと思ったし

それが結果的に
ヘアドネーションを考えている人をはじめ
どこかの誰かのためになったらとても嬉しい

そのくらいの感覚でした。


あれ?
コメントくださったあなたは
必要としてる人なんですか?

必要としてる人以外の意見は求めてないし
いらない人の気持ちには
寄り添うつもりがありません。

やったことありますか?

ないなら
出来もしないことに
口を挟まないでいただきたい。

出来てから言ってください。

↑前回の記事より


確かに
一方的な主観で価値観を押し付けたり
必要以上にボランティアを正義視することは
避けなければなりませんが

それよりもっと恐ろしいのは
部外の間違った正義感を振りかざしている人
(いわゆる「自粛警察」のような人)
のせいで
本当に必要な善意が減ってしまうこと
ではないでしょうか?


今回のことで言えばヘアドネーション。

『そんなこと言われるくらいならもうしない』
『やらなきゃよかった』
と、ドナーが減ってしまったら?

あなたのその何気ない一言で
今までなら無償で提供してもらえたものに対して
何万円、何十万円も支払わなければならなくなった
としたら?

選択肢を狭めて
多くの人たちに悲しい思いをさせてしまったら?

発言する前にそこまで考えましたか…?

必要としている人がいるからこそ
続けられている活動であり
その取り組みに賛同した人からの優しさで
成り立っていると思うんです。


正直、どのくらいウィッグの需要があって
どのくらい髪の毛が足りないとか余ってるとか
全く知りませんよ。

私の髪の毛がどのくらい使われたのか
もしかしたら全部捨てられてるのかも
分かりません。

でもそれでいいとも思っています。

自分ができることをできる範囲でやって
それが必要かどうかは相手が決める。

ボランティアや支え合いって
そういうものじゃないですか?

『いいことをした』
『私、偉い』
『褒めてほしい』
『みんなも真似してほしい』

なんて微塵も思っていませんよ。


やってよかった、とは思っていますが
私は私のやりたいことをやっただけなんです。

全く関係のない他人に
とやかく言われる筋合いありません。

長年の夢だったバケツプリンを作った
ときと同じくらいのテンションですよ。
(よかったら読んでみてください。笑)

この記事自体も同様で

『誰かに擁護してほしい』
『たくさんの人に読んで広がってほしい』
『コメントした人に反省させたい』

などとは思っていません。

やりたいことをやっただけですから。

それが結果として
必要としているどこかの誰かに届いたら
幸せだなーって感じ。


やりたいことをやっただけなのに
内容が違うだけで
「偽善者」やら「善意の押し付け」やら
言われるのは何故でしょうかねー?

やってはいけないことをしたわけでも
送付先団体から注意されたわけでもないのに。

言う相手が私で良かったですね。

他の方にも同じようなコメントをしているなら
ぜひ控えていただきたいところですけど。


今回、このように
改めてじっくり考えるきっかけをいただけたこと

新しい知識や違った観点から
物事を見直す機会を与えていただいたこと

大変感謝しております。


ですが、
本当に善意を押し付けているのは
どちらでしょうか……。


ヘアドネーションについては
書籍も出ているようです。

興味がある方はぜひ🙇

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