見出し画像

食べることが好きではなかった

東京の実家にいたときは食べることが好きではなかった。
進学で九州に引っ越したときから、食べ物が美味しいと感じるようになった。

東京は物価が高いので、金を出さないと旨いものが食べられない。
というのは、よく知られている事実だ。

加えて実家の食事の時間には、親がモラハラをしてくるので苦痛だった。
と、人に説明したとき、「食べ物とは関係ないところにも原因があったんだね」というような反応をされた。確かに、食事の席で親に問い詰められたり、すごい形相で怒られたり、その結果こっちは泣きながら食べたりと、毎日ではないにせよ心理的な原因で不味く思っていた側面は大きい。
しかしそれだけではないので、この場で説明を試みる。
以下は主に高校時代の話である。


第一に「金がないと旨いものが食べられない」にはもう一つ意味がある。
食材を用意するときに既に楽しくない気分だということだ。
スーパーに行ったとき、どれかを買わなくてはならない →しかしどれも高いと感じる →買えるもの・かつ自力で調理できそうなものを探す、という思考・行動をしていた。とりあえず買い物が楽しくなかった。


第二に、調理・消費することで高かった食材がなくなっていくこと、調理に意味が見いだせないこと、食材や料理が美味しいのかよくわからないこと、などに起因する不快感があったように思える(思い出しながら言語化してるので、再現性に限界がある)。

そもそも料理が楽しくなかった(今はマシ)。
原因の一つは小中学生のときの出来事だ。スクランブルエッグの作り方を親に何度か見せられていたところ、あるとき突然作ってみろと言われ、わからないので親に頼ろうとしたら「何度も見せたのに、今まで何をしていたんだ」というような怒られ方をして、結局その場で教わった。
親は、自身が過保護に育てられたことについて母(私の祖母)に恨みがあるらしく、子供ができたら真逆に振れたようである。自助・自立・たくましさ、みたいなものをこちらに過度に求める人だった。実際、本人は自力で料理の技術を習得したようで、腕前はよかった。しかしその悪しき自助精神のせいで、こちらは怒られる恐怖を植え付けられ、困ったときに人に頼ることが苦手になった、のはまた別の話。

その後、家にある料理本を参考に自力で作ってみたりすることもあったが、好きで作ったものはカルトフェル(じゃがいものケーキか何か)くらいしか思い出せない。きちんと料理してもしなくても、生きてくために目の前にある食材を食べないといけないという事実は変わらない、ならば何のために料理するのか?という気持ちだったのかもしれない。


第三に、①二人分の朝食、②自分の弁当、③たまに二人分の夕食も、自分が用意 "しなければならなかった" のも嫌だった。
そうなった理由は、自分が朝方、親が夜型だったからだ。今思えば、そうでもしないと互いに一人の時間が確保できないという理由もあっただろう。個室も勉強机もない40平米ほどの1LDKに二人暮らしだったので。恵まれてはいたがプライベート空間(時間)が不足していたのは否めない。

さて、朝の料理当番をやることについて、自分が納得していればよかったのだろうが、だめだった。余計に早起きしないといけないことや、朝キッチンで動き回ると通学前から脚が疲れることに不満があった。
わざわざ二人分の朝食を作っていたのは、当初自分の朝食だけ作ってたら、親に「思いやりがない」と非難されたからである。それはまあそうかもね。
で、全ての準備や食事が終わったら、親の分のスクランブルエッグにラップをかけるなどして、親を起こして鍵をかけて家を出る、というのを繰り返していた。弁当が自作できない日は、駅近くのスーパーか高校付近のコンビニで惣菜やサンドイッチ類を買っていたのを覚えている。

夜は親が担当することが多かった。それでも、先に帰宅したなら夕飯を用意しとけという話に多分なったのだろう、自分が先に帰宅したのに疲れてやっていないと文句を言われたり、食材を買って一から作るべきかコンビニでおでんでも買ってくるべきか判断できなかったりで、あまり覚えていないが、とにかくやりたくなかった。そもそも、家に帰りたくなくてわざとゆっくり歩いたりする日が結構あった。
(12/14追記、関連記事「料理を褒められても嬉しくなかった」
なお「先に帰宅した人が夕飯を用意する」というルール自体に問題はない。それでうまくいっていた4人家族の例を知っている。こちらは何故うまくいかなかったのか…。

そんなこんなを経て、実家を離れて九州に住んでからは、食べることが少し好きになった。モラハラされないし、食材が安くて美味しいから。でも時給も低い。
九州を離れた今も、食べることは苦痛ではない。よかった。一緒に食べてくれる人たち、ありがとう。

ところで数年前、近しい3人(今はもう近しくしてない)で、食べることに関して話していた。「昔は食べることが好きじゃなかった」とこちらが述べたら、2人は一瞬沈黙してから、それとは関係のない食事の話を展開した。どんなところが都合悪くて無視したくなったのか、説明してくれたらよかったのに。他者の話を聞かず、自分のことを説明せず、それのどこが異文化コミュニケーションだというのか。
という憤りも残ってたので、別の方との応答をきっかけに、今回自分のことを説明してみた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?