山本瑞穂

全ての記事内容は執筆時点での見解です。無断転載料13万円。

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マガジン

  • 近況【おすすめ】

    リアルに即した記事。過去の記事はもはや現状に対して有効ではなかったりするので。

  • 個人的課題全般

    こういう問題への対処法なんて既に誰かが考えてどこかに書いてるだろと思うのだが、どこに書いてあるか見つける知性が自分には足りないので、こうやって拙い試行錯誤を走り書きするしかないのが、現状である。

  • 金銭感覚

    23区内”だけど”貧乏育ちで今も金がない。と面と向かって何度も言っているのに、それを無視して私の存在や経験をないことにしたやつら、一生許さない。

  • 料理・食事関連の苦しさ

    渋々買って、嫌々作り、泣いたり震えたりしながら味も感じずに食べていたあの頃。

  • 罪悪感など

    個人的課題のなかから罪悪感関連のものを集めました。

最近の記事

鬼がいなくなったら

またもや雑文です。 引き金どうでもいいような些細な発言がトリガーとなって、過去のトラウマが自分のなかで再生される。パニックを悟られないように抑え込むので精一杯で、会話からフェードアウトしてしまう。そして茫然として適切な返しができなかったことを後で思い出して、どれだけ時間が経っても、繰り返し自己嫌悪に陥る。 以下は2ヶ月前の投稿である。 トリガーがあまりに些細で、もう自分でもくだらなくなって、トリガーになる他人の言葉や行為をリストアップするつもりでブラウザを開いたが、書か

    • なんでも自分が原因と思うなよ

      結論は、自分のせいで元養育者は経済・労働に関して大変な目に遭ったと長年思い込んできたが、実はその労働を可能にしていたのも自分だったらしいということ。だが結局そんな苦労に意義はない。以上。 以下は完全に雑文です。 子供のせいで稼げない「(私)ちゃんが生まれる前は私だって500万くらい稼いでたんだよ」 と元養育者に言われたことがある。単に日本の経済史の話をしているのではないことは明白だ。かといって私を責める目的で言っているわけではなく、収入が低いことで傷ついたプライドを保と

      • 自分の誕生日や名前が苦手なのは仕方ない

        人生の中でつらい時期を過ごしたことが原因で、自分の誕生日や名前に嫌な印象がつきまとうのは、私だけではないだろう。それについての現時点までの自分の考え方を書き残しておく。 結論から言えば、他の日・他の名前でも結果は同じだったと観念するしかなさそうだ。 誕生日大人になるにつれ、誕生日をパスワードやメールアドレスに設定したり、SNSに登録した誕生日を公開している人々が、予想以上に多いことに気づくようになった。そういう人々は別に過度のナルシストというわけでもなさそうだ。誕生日は単

        • 積み上げた失敗との付き合い方

          失敗を積み重ねることに耐えながら生きる方法はあるのだろうか? 問題:失敗が多くて慎重になりすぎる生きていれば失敗が積み重なる。しかし… 失敗を繰り返さないように注意すること (過去の失敗を気にしていないかのように)普通に振る舞うこと これを両立するのに最近疲れてきた。 もう少し詳しく述べると、失敗は繰り返したくないが、それを気にして慎重に行動してばかりいたら、日常生活が送れないのだ(※ただし差別などについては慎重になりすぎることはない)。私はなにも完璧超人になりたい

        鬼がいなくなったら

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        • 近況【おすすめ】
          7本
        • 個人的課題全般
          27本
        • 金銭感覚
          6本
        • 料理・食事関連の苦しさ
          5本
        • 罪悪感など
          9本
        • 学部・大学院生活
          4本

        記事

          相手の望みには自分の幸せも含まれているらしい

          誰かが困りごとを口にするとき、その原因は自分にあると思っていた。 相手は私を責めているわけではない。こちらも、相手に責められているという感覚はない。ただ、相手が傷ついたとか、限界まで耐えていたということを初めて知って、血の気がサッと引く感じがするのだ。 そして自分が至らなかったのだと勝手に解釈して悔しくなり、「もっと早く率直に指摘してくれればよかったのに」と一瞬責任を回避しかけて、「でも相手がそう言える環境を作らなかった、つまり気を遣わせてしまった自分がやっぱり悪い」と考

          相手の望みには自分の幸せも含まれているらしい

          葛藤に疲れた

          「もっとこういう思考や言動をしなければ」「まともな人間でい続けなければ」という理想を持っていても、現実の自分にはその通りにできないことも多い。それでも忍耐強くジレンマと同居しながら努力し続けるべきなのだろうが、自分の場合は、理想に到達できない自分を責めて、疲れてしまう。現実と理想との距離が近いか遠いかが測れず、到達できたorできていない、というゼロor百の白黒思考になってしまう。 以下では、自分の理想(固定観念)と現実との乖離状況、つまり「わかっちゃいるけどできない」という

          葛藤に疲れた

          また加害をしている(追記あり)

          ※2023年11月19日追記 今までは、本記事のような事態に際して「自分の本質にある加害性が発現した。普通の良い人間になるための努力が足りないのだ」と自分では認識していたが、実は単発の失敗だった可能性がある。だから、これまでの加害もまた一連のものではなく個別のものかもしれない。「いよいよ何かしらの加害者更生プログラムを受けなければいけないかも」と思ってきたが、どうやら、そもそも自分はそういったプログラムの対象ではないのかもしれない。 そうであれば、これまで起きたこと(例えば1

          また加害をしている(追記あり)

          自分の家庭が異常だと気づくまで【後編】

          これまでの記事: ラスト、20代中盤〜アラサーの話。 周囲に話が通じない20代半ばにしてようやく、「どの家庭もこんなもんなんだろう」という長年の固定観念をようやく疑い始めた。なぜなら、自分の経験を他人に話すと「厳しい家庭だ」と驚かれたり、話にリアリティが感じられないためかまともに取り合ってもらえないことが、何度もあったからだ。貧困層を憐れむか見下すことしかできないブルジョワめ!新自由主義者め!と、思わざるを得ない失礼なやつもいた。しかし、どうやら価値観の違いは、必ずしも経

          自分の家庭が異常だと気づくまで【後編】

          自分の家庭が異常だと気づくまで【中編】

          前の記事: 大学時代の話。 平和な家庭を知る【親は嫌いで当然】 この頃は高校までの経験に基づき、おおよそ次のような固定観念を持っていたと思う。 親は人生最初の敵である 親は自分勝手な生き物である 家族というのは大抵嫌なものである 親と一緒に暮らすのは、他に仕方がないからだ 仲のいい家庭はごく限られている つまり、親に対する反感はあった。それでも、まだ家族幻想の呪縛から逃れられていなかった。むしろ、「自分が生まれたせいでQの人生が滅茶苦茶になってしまった」とい

          自分の家庭が異常だと気づくまで【中編】

          自分の家庭が異常だと気づくまで【前編】

          大人になって見聞を広めるなかで、自分の家庭のあり方が予想以上に常識から外れていることに徐々に気づいていった。その過程について書く。家庭といっても、自分と養育者の二人っきりだったので、私にとって家庭≒養育者であることが前提となる。 興味があるけど忙しい人は、後編の最後だけ読めばいいと思う。 普通は想像もつかない 虐待やDVについての様々な書籍やネット記事で明らかなように、一般に、子育て能力のない養育者(悪口ではなく事実として)は、だいぶマシな家庭で育った人(以下「普通の人

          自分の家庭が異常だと気づくまで【前編】

          嘘の語彙を覚えさせられていた

          この前、不安が強くて人に話しかけられないまま時間が経ってしまったとき「人前で不機嫌になる自分はだめな奴だ!」と自分を責めた。しかし気付いた。不安そうにしていることを普通は「不機嫌」な態度とは言わないのではないか? どうやら自分の中で、感情や状態とそれを表現する単語とが適切に結びついていないかもしれない(でももしそうなら、子供の頃に国語のテストで引っ掛からなかったのが不思議だ、本を読んでいたから知識だけはあったのかもしれない)。 以下に、現時点で思いつく例を書いておく。

          嘘の語彙を覚えさせられていた

          存在が許可制

          いたたまれない。いづらい。いなくなろう。 「自分がそこに存在していること」に耐えられないのはよくあることだ。その理由を考えたり調べたりしていたら「自分の存在は許可制である」という固定観念に気付いた。 存在不許可がデフォおそらく、自分の存在許可がない状態がデフォルトだ。人の邪魔をしないとか、人の役に立つとかができれば、やっと一時的に存在していていいという感覚がある。反対に、何か失敗すると「自分が本来は存在してはいけないこと」がバレた感じがする。だからすごく焦るんだな。 そ

          存在が許可制

          無条件の自己否定

          このnoteは全体で一つの長い自己紹介か、自分についての説明を作成しては保管する倉庫になりつつある。 さて今回は自分の「自己肯定感」について書いておく。 「自己肯定感」とは無条件で自分の存在を肯定する感覚のことだという。無条件肯定ができないということは、条件つきでしか自分の存在を肯定できない状態らしい。つまり条件を満たせないときに自己否定しているらしい。それを「自己肯定感が低い」というようだ(高低ではなく有無の問題ではないのかと直観的には思うが勉強不足でわからない)。

          無条件の自己否定

          Naar De Maan 〜月世界に飛び出せ〜

          Naar De Maan(=月へ)という題名のオランダのポップソングを紹介する。 歌ってる人たち ・オランダの歌手Maan  (=月の意もある、マーン) ・ラップグループDe Jeugd Van Tegenwoordig  (=最近の若者の意、ドゥ・ユフト・ファン・テーヘンヴォーディフ) が2022年7月に出したコラボ楽曲だ。 両者の共作は初。 Maanは名前が月という意味だし、DJVTは代表曲がSterrenstof(=星屑)なので、コラボするなら宇宙を題材にした

          Naar De Maan 〜月世界に飛び出せ〜

          パートナーシップ観

          今、自分はAスペクトラム上にいる。 「Aスペクトラム」は、他人に恋愛感情を抱きにくい「Aロマンティック」や、他人に性的魅力を感じにくい「Aセクシュアル」、その周辺のセクシュアリティの総称である。A(エイ/ア)はいずれも打ち消しの意味を持つ"A"を冠した名称だ。 一つの属性の中には多様な人間がいる。例えば、あなたが女性だったとしても全ての女性の意見を代弁することはできない。同様に、誰か一人の人間がAスペクトラムを代表することはできない。属性内にはグラデーションがあり、一人の

          パートナーシップ観

          「自分は無能」という認知の歪み

          2週間前に書いたメモが出てきたので、加筆修正して以下にまとめておく。 「自分は無能で、新しく何かができるようになったことがない」とずっと思ってきた。 本当に理解を伴って習得できたのはビオラという楽器の演奏技術くらいだろう(それも10年以上かかった。恵まれていることだが)。 一方、他の大抵の物事は「本質の見えない非体系的なカオス」としてしか捉えることができなかった。 そして自分はいつも にいた。 場当たり的な生き方しかできなかったのだ(追記:眼前のことに必死なため脈

          「自分は無能」という認知の歪み