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自分の家庭が異常だと気づくまで【前編】

大人になって見聞を広めるなかで、自分の家庭のあり方が予想以上に常識から外れていることに徐々に気づいていった。その過程について書く。家庭といっても、自分と養育者の二人っきりだったので、私にとって家庭≒養育者であることが前提となる。

興味があるけど忙しい人は、後編の最後だけ読めばいいと思う。


普通は想像もつかない

虐待やDVについての様々な書籍やネット記事で明らかなように、一般に、子育て能力のない養育者(悪口ではなく事実として)は、だいぶマシな家庭で育った人(以下「普通の人」と表記)には想像もつかないようなとんでもないことを子供に対してする。

私にもそういう異常な養育者がいた。しかし、それを普通の人に説明しても、私のような平凡な人間に、奇行やDVをする親がいることが信じてもらえない。元養育者との絶縁を目指していると言うと、驚かれたり、仲良くするよう勧められたりすることもある。

なかなか理解されないので、自分がおかしいのか?と思ってしまうが、元々おかしいのは自分ではなく元養育者の方である。それに気づいた過程を、自分が生きているうちに、誰でも見れるインターネット上で説明しておく。他人に話して伝わらないならば言葉を尽くして書くしかない、と思い立ったら止まらなくなってしまった。まずは自分の経験を言葉で説明することが可能かどうかを試してみるという感じ。だからこの記事は誰にも読まれなくていい。ましてや同情など求めていない。

一応は普通の人にもわかるような記述を心がけたが、機能不全家庭出身者や被虐待経験者にしか伝わらないニュアンスもあるかもしれない。

記事の構成

前編では小中高時代の出来事、中編では大学時代の出来事を、セレクトして紹介する。当時から嫌だと思っていたことと、今振り返っておかしいと思うことをなるべく分けて説明する。

後編では、学部卒業後から現在までに、自分の家庭が異常だと気づくに至った過程を説明し、現時点での結論を述べる。

なお、私の生物学上の母であり元養育者でもある女性のひとり親について、社会的な意味での「母」と呼ぶことに強い抵抗があるので、以下では「Q」と仮のイニシャルで表記する。

小中高時代に不満だったこと

私の家庭は、Qと私の2人っきりの家庭で、Qの職種は珍しく、かつそれなりに貧乏だった。だから他の子供や家庭と違うところがあることはわかっていた。服や髪型のセンスが明らかに変だとか、金がかけられないだとか。

【不適切な服】

具体的には、小学生から中学生にかけて、金がないから服をあまり買ってもらえず、ぴちぴちの体育着で小学校の体育の授業を乗り切った。

私服も、変な組み合わせや、古いもの、体型に合ってないものが多かった。嫌味な友達には「どうしていつもおばあちゃんみたいな服着てるの?」と聞かれた。そのときは実際に祖母の古着を着ていた。またあるときは「その髪型は変だよ」と言われて「じゃあどうしたらいいかな」と返したら返事がなかったこともあった。

体型や気候に合った清潔な服を着るという、人間の基本的な行動が本当の意味では習得できていなかったように思う。例えば、冬に寒さを防ぐような服の種類や着方は、アラサーになってようやく理解したくらいだ。公立なのに制服がある小学校に通えたのは本当に幸いだった。

【変な髪型】

また、新聞社も取材に来るような大事な表彰式に出たとき、Qが私の髪の毛を非均等な二つ結びにしたことも、嫌な思い出である。祖母の家に新聞記事が飾ってあるため、今でも見るたびに嫌な気持ちになる。

小学校高学年からは自分で髪を結ぶようになったが、世の中にどんな髪型があるのか、自分にはどれができるのか、よくわからなかったので、変な縦結びの髪型をやり続けていた。

このように、まともな服やまともなセンスに触れる機会が不足していたわけだが、自分に何が不足しているのか自分ではわからず、当時は苦しかった。

それ以外にも、Q本人に対する強い不満があったことは覚えている。例えば…

【この世で一番】

小学生のときには既に、"この世で一番好きな人" と "この世で一番嫌いな人" が同時に「お母さん」であるという自覚があった。この世で一番嫌いなんだから、Qに嫌なことをされて憎んでいたのであろう。

【なりたくない大人】

あるときの「喧嘩」では、私は矛盾した二つの命令をQから強いられ、あまりにも理不尽だったので我慢できず、「お母さんみたいな人にだけはならない!」と涙ながらに叫んだことを覚えている。Qの答えは「ふん!やれるもんならやってみな!」だった。

【もう家事したくない】

また、家事をやらされたことが不満だった。私が家に帰って晩ご飯を作ると、もう次の日の朝ご飯と弁当のことを考えなければならないのが不満だと、高校のクラスメートにこぼしたことを覚えている。こういった経験のせいで、大人になれば家事労働から解放されると、どこかで信じたまま育ってしまい、いつになったら家事をやめられるのか…と最近までよく思っていた。

そういったことで親を責めたいわけではなく、そのくらいの不満度だったということが言いたいだけだ。またそれは、不満感情を受け止めてもらう場所がなかったことも意味している。

今だからわかること

一桁年齢で自殺企図してる時点で、家庭・養育者に問題があることは明らかだ。しかし私はQに隷属していたので、自分は異常だ、自分はだめなやつだ、と思わされていた。なんで自分は普通になれないのかとずっと悩んでいたし、自分が異常であることは隠さなければいけないと思っていた。

【嫌がらせリスト】

しかし今思えば、おかしいのはQの方だった。例えばこんなことをしてきた。

  • 矛盾した複数の命令に従わせようとする

  • 思い通りにならないと頭を叩く

  • 物を床に叩きつける

  • 同時にすごい形相で睨みつける

  • 同時に「ギャン!」「ウア゛ー!」と怒鳴る

  • 外で遊べと言って家を追い出す

  • 言い争いになると、Qが家から出ていく

  • 私が泣くことを許さない

  • 私が怒られて怯えて喋るとき、わざと気持ち悪い喋り方で真似して見せる

  • 私からケアが得られないと「ひどい!」と責める

  • 私には満足いくやり方をさせないのに、Qは自分勝手でマイペース

  • 離婚相手に対して「養育費を払って」と私の口から言わせる etc.

上記はまだ説明可能なレベルだ。つまり、普通の人にも理解できるひどい話だ。しかし子育て能力の無い養育者というのは、普通の人には想像もつかないようなとんでもないことをする。

【ハンスト】

例えば、「喧嘩」が発生したとき、子供の私が思い通りにならないからであろう、「お前が謝らない限りわたしは食事をしない」という趣旨でハンガーストライキをしてきた(子供はそんな概念しらんがな)。一晩明けてQが「あー、お腹がすごく鳴る」などとアピールして、罪悪感を植え付けてきたのを覚えている。子供心にはQがかわいそうだったし、私も困っていたので、最終的に謝った。

【お腹空いた・奇行】

またあるときは、Qの仕事終わりに外食をするとかで、一緒に夜の繁華街に行ったのだが、子供の私に「お店選んで」という。私は知識も経験もほとんどない状態で、知らない街で、適切な価格と雰囲気の店を見つけ出さなければならなくなる。この時点でプレッシャーだ。さらに不幸なことに、Qは空腹時に不機嫌になる性質があるので、店を探しが長引くとイライラし始める。プレッシャーが増して私は焦る。こういうことが何度もあり、私はうまく店選びができない自分はだめなやつだと思っていた。

最もひどいときは、Qは「お店決めて」「ついていく」などと言って、私の背後につきまとうという謎の行動をしてきた。ドラクエなどのRPGで、主人公の後ろをついてくるキャラがいると思うが、まさにそれのようだった。つまり、私の体が右を向くと、Qは黙って左側に移動する。私が左右を見回すだけで、Qも私の背後を右左と移動する。そしてその間、無表情で私をずっと見つめている。気持ち悪いのでやめるように言ったがやめてくれなかった。今考えれば常軌を逸しており、明らかにモラハラ・嫌がらせだった。

【喋りなさいよ】

そして最もよくあったのが、食事の席での「何か喋りなさいよ」という発言からのブチギレだ。そもそもハラスメントとは、矛盾したメッセージを浴びせて相手を混乱させ支配することなので、それを論理的に説明するのは私のような浅才にとって至難の業であるが、試みる。

食事が始まって沈黙が続くと「何か喋りなさいよ」「なんで何も喋らないの」と睨まれながら責められることが多かった。第一には食事の感想を言え、第二には今日あったことを話せという感じだった。

私は「おいしい」とか「今日は何があった」答えるが、その後が続かず「それで?」と怒った口調で言われ、怯えたり震えたりしながら他のことを喋るが、ネタがつきると「えーと……えーと…」と必死で考えるが、もうその頃には恐怖でまともに話題を考えられない。結局Qは、イライラしたり、ひどいときにはブチギレて物を床に叩きつけながら怒ったりすることになった。

解説すると、私は「喋れ」と言われたら、プレッシャーを感じて緊張して普通に喋ることができなくなるが、命令に従うならば喋らないといけない。結果、ぎこちない喋り方で、細切れの会話をすることになる。何度もやっているからQもわかっているはずなのだが、そういう矛盾を孕んだ命令をするのをやめなかった。

私はきちんと喋れない自分がおかしいのだと思っていた。しかし心療内科で、そういうときは「お母さんの料理美味しいかな?」などと問いかければいいのにそうしないのは変じゃないかという指摘を受け、目から鱗が落ちた。

余談だが、今でも誰かとの間で沈黙が生じたら、自分が相手の機嫌を損ねてしまったと考える癖が抜けない。喋って楽しませて機嫌を取らなければならないと反射的に思ってしまう。沈黙=ブチギレ直前という経験によって、恐怖心が湧き上がるからだ。だがそういう反応は、Qの支配下で生き延びるのには有効でも、世間一般では通用しないらしい。これが私の「異常な環境に適応した正常な人間」としての一つの側面なのだろう。

「ママお腹すいた」的な横暴な振る舞いと奇行も、「何か喋りなさいよ」という圧力も、全ては「私(Q)を喜ばせろ」という命令だったのだろう。そういう命令を発する時点で、Qが喜ぶ可能性は限りなく低くなっていただろうが。

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