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12月2日の渋谷と12月24日の六本木のこと

12月2日(土)夜、よしもと∞ドーム・ステージⅡ。客は僅か7、8人。渋谷駅からここまでの道のりは人が溢れていたのに。

キャパは50人らしいので、はっきりいえばスカスカだった。
土曜日の夜7時。夜7時の東京は嘘みたいに輝く街だと誰かが唄っていたのだけれど。

いつもこの程度なのか、異例の事態なのか。初めて∞ドームに足を踏み入れた私にはわからなかったが、客の数について触れた演者がいなかったので、いつもの風景と推測された。

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私の目当てはシンクロニシティというコンビだった(来年頑張ってください)。

出演者の一覧には初めて見る名前もあったが、そんな中、くらげというコンビ名が目に留まった。その時点でM-1の準決勝に残っているのを知っていたし、ネタの動画も見ていた。

ただその日、くらげはツッコミの渡辺さんが体調不良によりお休みで、相方の杉さんがピンの漫談で急場をしのいでいた。ド素人が生意気なことをいうが、しっかりとした構造的なネタで面白かった。

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そのわずか3週間後、くらげはM-1決勝の舞台で、名うての漫才師と何千万人の視聴者に向けて浸才を披露した。やはり構造的なネタで面白かったが、結果は最下位だった。決勝での最下位とはつまり、2023年の10番目に面白かった漫才師ということではある。

いずれにしても、たった3週間前に、たった数メートル先で、たった10人弱の客を前に漫談を披露していた人が、ギラギラの照明を浴びてテレビの中にいた。すげえ。夢がありすぎる。

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面白くないと個人的に感じる芸人さんはいるが、それとは別に、お笑いを生業にしている全ての人をすげえと思っている。

芸人さんに限らず、明確な評価指標のない世界で勝負する人たちはすごい。画家もミュージシャンもハイパーメディアクリエイターもキャンドルアーティストもすごい。

ストライカーならゴールの数、営業マンなら契約の数、万引きGメンなら捕まえた万引き主婦(子どもは独立、夫は構ってくれずで寂しさからの犯行)の数など、明確で客観的な評価の指標がある。

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彼らを尊敬していないわけではないけれど、目盛も長さもバラバラの「面白さ」「美しさ」「カッコよさ」等々の物差しで色々な人に測られるフィールドで、自分が「よい」と思う作品を放つのは、それはすげえことだ。

センスとか感覚とか、そういったものを丸出しの剥き出しにして「これって『よい』でしょ」と世に提示するのは相当な勇気が必要だ。大ダメージを負うリスクだってある。そのぶん、客が数人から数万人へと一気に増えるとか、そんな奇跡が起きたりするのだろう。

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よい銭湯とは何か。そこにも明確な指標はない(強引な展開なのはわかっている)。

湯の温度とか広さとか、数字で表せられる要素は多々あるが、銭湯の「よさ」はそれらによって規定されるわけではない。

「東京は夜の7時」がなぜ名曲なのか。令和ロマンがなぜ面白いのか。ロジカルな分析、解説もできないことはないだろうが、それらは「聴いた」「観た」という経験ありきだし、仮に経験しないまま分析、解説にどれだけ触れたところで、結局は「聴け」「観ろ」だ。

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銭湯もそうだろう。熱かろうが温かろうが、広かろうが狭かろうが、結局は「入れ」なのだ。

大きな湯船、タオルでくらげを作りながらそんなことを考えた(湯船にタオルを入れてはいけません)。

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