見出し画像

「今夜はブギー・バック」と閉業する七福湯のこと

「今夜はブギー・バック」のリリースから30年ということで、界隈がにわかに賑わっている。

30年前、つまり1994年3月の発売だ。
確かに、中学校入学を控えた僕らを支えてたのは、やはりこの曲だった(あとミスチルの『CROSS ROAD』)。

♦︎

このたび公開されたインタビューにはこうある。

要は“ディスコソングあるある”というか、ああいう曲って「ジューシー・フルーツ」とか「プッシー・キャット」とか言ってすぐエロい方向に持っていくよね、みたいな話だから。

https://amp.natalie.mu/music/column/564003

いわれてみれば、インチキ成金プレイボーイみたいな薄っぺらいフレーズが散らばった歌詞だ。そこに高尚なメッセージ性はない。もちろんそれでよい。

ただ、そんな中に紛れる「とにかくパーティーを続けよう」というBoseのラップ(smooth rap ver.)だけには、薄っぺらいなどと流せない、ちょっとした重みがある。

♦︎

パーティーとは何か。

「友達のDJがやっているパーティーへ遊びに行く」

「支特政党の政治資金調達バーティーに出席した」

「西田ひかるの誕生パーティーが今年も開催された」

「ぱーてぃーちゃんは意外とネタが強い」

上記の各パーティーはそれぞれほぼ別の物といってよい。
パーティーとは、一体。

♦︎

パーティーとは何か。その答えは七福湯にある。

七福湯のフロント前、休憩処における常連の酒盛り。あれはパーティーだ。本物のパーティーだ。

DJも議員も西田ひかるも、すがちゃん最高No.1もいない。踊るとか資金を集めるとか祝うとか、目的もない。
故に、あれは本物のパーティーである。

そんな七福湯が閉業する。
数回しか足を運んだことのない私に、惜別の言葉を述べる資格はない。

♦︎

銭湯とは何か。その答えはひとり一人の心にある。

私にとっては「デカい湯船で熱い湯に浸かれる場」だが、他の誰かにとってはコミュニケーションの場だったり、保清・健康増進の場だったり、パーティーの場だったりする。

七福湯における目的のないパーティーは、目的がないゆえ、存在自体に意味がある。
七福湯のパーティーこそ、今育のリアリティーだ。

♦︎

久しぶりに七福湯へ。閉業するからと足を運ぶのはあまり上品でないが、さよならをいわない理由もない。

ブーツでドアをドカーッと蹴ったりはせずに淡々とお金を支払い、on and on to da break downてな具合に湯へ浸かり、サウナに入った。

しみた。シビレた泣けた惚れた。メモったしコピった。

♦︎

七福湯がなくなる。

トリッキーな配置のテレビ。ロッカーの上に置かれた空の水槽。フロントに飾られた上手いんだか下手なんだかわからない裸婦画。

ここでしか見れない景色。
ここでしか吸えない空気。

♦︎

さっぱりと汗を流し、脱衣場を後にしたのは16時過ぎ。まだ明るい。

休憩処のテーブルには酎ハイが並んでいた。あと10日ほどで閉業するというのに、感傷的なムードはこれっぽっちもない。

「とにかくパーティーを続けよう」
額縁の中から裸婦が叫んでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?