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昨日の節分と今日の晩白柚の湯のこと

昨日2月3日は節分だった。私のフェイバリット年中行事である。

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節分に対して、日本国民のほとんどは麻痺してしまっている。改めて、冷静に考えるべきだ。

・「災難はぜんぶ鬼のせいだ!」という決めつけ。
・武力行使によって鬼を追い払おうという好戦的態度。
・あろうことか攻撃手段が豆。
・そもそも実在しない鬼。
・決まった方角を向いた状態で太巻きを黙って一気食いすると願いが叶うという思い込み。

全て狂っている。だから私は節分が大好きだ。

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残念ながら、クリスマスなどに比べると節分は地味だし人気がない。鬼の怖さゆえか、特に子ども人気は薄いように思う。

「豆アタックで鬼を退治せよ!」とか「太巻きチャンレジクリアで願いが叶っちゃう⁉︎」とかのコロコロコミック的プロモーションを行えば、少なくともバカ男子小学生の支持は得られると思うのだが。

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いや、子どもだけではない。大人からの人気もそんなにはないだろう。

しかし私にいわせれば、節分よりもクリスマスのほうがよっぽど意味不明だ。

キリストの誕生日だというのはわかっている。わからないのは、キリストの誕生日だからといってクリスチャンでもない人間までケーキを食ったり、プレゼントを贈ったりすることだ。必然性がない。

鬼を追い払うために豆を撒き、願いを叶えるために太巻きを一気に食う。狂ってはいるが、理由は明確だ。そこには必然性がある。

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そもそもケーキもプレゼントも、クリスマスじゃなくたって別によい。

でも、節分以外の日に豆を撒いたり太巻きを一気食いしたりしていたら、完全な狂人である。それゆえに節分は尊い。

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私が節分好きなのには、他にも理由がある。

十数年前、私は幼児の施設で働いていた。当然ながら節分には豆撒きが催され、鬼役は決まって私だった。

何も知らない子ども達が集められたホールに突如登場する鬼 a.k.a 俺。上下赤ジャージに鬼の面。携えた金棒(丸めた新聞紙)をぶん回しながら「グオー!ガオー!」とわめき散らした。

もちろん金棒を子どもに当ててはいけないので、細心の注意を払いながら壁や床を全力でぶっ叩く。さながらブロディの入場である。

子どもらには武器として丸めた新聞紙が与えられていたが、中には強烈なローキックやロシアンフックを放ってくるバーリトゥード志向の子どももおり、反射的にタックルからグラウンドへ移行しそうになったこともあったけれど、何とか堪えていた。

この素敵な思い出もあって、節分を推している。

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散々熱弁を振るったが、昨日は豆を撒くこともなく、太巻きを食うこともなく終わった。独り身のおっさんがそんなことをしていたら、それこそ狂っている。

昨日はハイボールを煽りながらサムライブルーに声援を送り、幕を閉じた。森保監督も、俊足のサイドアタッカーも、豆を撒いた方がよい。

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翌日、というか今日は鷹乃湯さんへ。
晩白柚の湯が催されていた。晩白柚は柑橘類だが、相当デカい。小ぶりのスイカくらいある。

豆じゃなくて晩白柚をぶつければ、鬼もイチコロだろうなと思った。

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