ヤンキー、猫化中学生、メンヘラ自撮り女に共通するものが確かに存在する


どうも、相川です。お久しぶりかもしれません。
今日はタイトルの通り、ヤンキーと猫化中学生、メンヘラ自撮り女で共通するものの話をして行こうかと思います、それではよろしくお願いします。

彼らに共通する「フォーマット」の存在

もう最初に結論を話すと、この三者には「規定のフォーマット」の上で存在しようとする、そういうメンタリティがあります。それがこの三者に共通するものです。
まあでも、こんなこと言われても意味が分からない、なんて言われそうなので順を追って説明して行こうと思います。
まずはヤンキーですね。
彼らって、本当にあり方が判を押したかのように同じなんですよ。金太郎飴くらい同じ。
なんかオラついた喋り方をして、エア缶蹴りでもしてるのかな?と思わせるような歩き方。
未成年なのに酒と煙草。あとバイク。意味もなくぶんぶんエンジンをふかしてる。
思い当たる奴ら、みんなこんな感じじゃないですか?正直面白くもなんともないのに、何故こんなことをしているのかは数学の未解決問題より大きな謎ですが、まあそれはいいとして。
他者に反抗したいなら、もっと奇を衒えばいいとひねくれ者の私なんかは思うんですが、彼らはしない。何故か。
それは、完全に他者と違うことに恐怖を感じるからです。あくまでも“無意識的に”、ですが。
また、彼らはよく同じ仲間と群れます。それも、社会から自分をわざと切り離したということへの恐怖を誤魔化そうという感情が心の奥底で働き、他のヤンキーと同じように振る舞う。だってみんな同じ無意識的な恐怖の感情があるのですから。
だから群れの中でも、輪を乱すような、一匹狼になろうという存在が居たら排除しようとするんです。だってそんなの、恐れているものの完全な具現化ですから。「みんなで同じように反抗」することで恐怖を誤魔化すのが本当の意識なんですからね。
では、ここでタイトルで上げられていた存在の2つめ、猫化中学生について考えていきましょうか。
そもそも「猫化中学生」が分からない人のために、どういう存在か少し解説。
彼らはSNS上で、謎の「にゃ〜」という、猫みたいな語尾で会話をします。それを俗に「猫化」などと呼称する訳ですね。
いや、猫は「にゃ〜」なんて鳴かないから!!!猫エアプか?「@猫化」をしていいのはハリポタのマクゴナガル先生くらいだろ、なんて時々思ったりしますが。閑話休題。
あと彼らに共通するもうひとつの特徴として、Twitter上での「家族ごっこ」があります。プロフィール欄に「嫁→@○○」や「娘→@○○」、時には「ペット」なんて項目も。なんでそんな事するのかは正直理解に苦しみます。もしかして友達や親類縁者もいない孤児なのか?

とまあ、ここまで猫化中学生とヤンキーの話をしてきましたが、ヤンキーと猫化中学生、そしてメンヘラ自撮り女では根底にある心理が全部少しづつ違うのではないか、と私は考えています。
ヤンキーの場合は先に書いた通り、社会や他者への反抗。しかし社会から離れることは怖いことなので群れ、「ヤンキーのフォーマット」に従って行動し、そう在ろうとする。
猫化中学生の場合はそもそも現実世界に居場所が無かったり、無くはないけれど自分が思うような関係が築けない。これが第一に来ると思います。その点ではメンヘラ自撮り女も似たようなものなのかもしれません。
猫化中学生は現実に不満がある。だからこそ、現実を模した関係を作ろうとするんです。それが『家族』であり、『恋人』であり、『ペット』である訳ですね。
それを得る過程で、「猫化」などという奇行に走るのではないか、と思います。
そういう関係を求める人は、得てしてその類の奇行を行っている人を嫌わないばかりか、まわりに似たような人を集める傾向にあるので。
だから猫化中学生は、ヤンキーのように「そう在ろう」としているのではなく、自分が欲しい関係性を追い求めた結果そうなった、というのが正しいのではないでしょうか。
では、メンヘラ自撮り女の場合。これはどういう深層心理が働いているのでしょうか?
私は、ヤンキーと猫化中学生の両方の要素が入っているように思えます。
彼女らの目的は、SNSで囲われることであり、現実の自分(これは多くの場合、不満の対象です)から離れ、SNS上だけの人格、存在を形成することにあるのではないでしょうか。
現実の自分は、彼女らが思い描く存在には当たらないわけです。なぜなら、現実に満足していたらわざわざ肯定を他者に求めなくても良いわけじゃないですか。しかし実際には、加工して「可愛い」と言われ、いいねを沢山貰うことを望んでいる。自分が必要とされている感覚が欲しいのです。それは錯覚に過ぎないでしょうが、それでも彼女らは渇望している。だから彼女らは同じような髪型、同じような小物のチョイス、同じような角度からの自撮りをする。必要とされている「自分」で在ろうとしている訳です。
ヤンキーの場合は自分がなりたいから、そう在ろうという意志が働いていたわけですが、自撮り女も同じ。しかし彼女らが思い浮かべる理想の自分と、他者から必要とされる「自分」がだいたい同一であるため、猫化中学生のように、必要だからそうなった、という面も確かにあるのです。

ここまで少し長くなりましたね。では、一旦まとめに入りましょうか。

ヤンキー、猫化中学生、メンヘラ自撮り女は三者全て各々の「ヤンキーのフォーマット」のようなものに従って自分を形作っている。そして、ヤンキーの場合は社会に反発することにより発生する恐怖がその理由であり、猫化中学生においては、現実から離れ、なりたい関係性を築こうとする意志がその理由になる。そしてメンヘラ自撮り女は、他者から求められたいが為に、彼らが求める「自分」になろうとする。そしてそれと同時に、彼女ら自身も求められるような在り方が理想像であるから、そのフォーマットで存在しようとする。

これがこれまで書いてきたことのまとめになります。いかがだったでしょうか。

今回はここまでとなります、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。




















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