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編み物をあむときは

編み物は、今は亡き母方のおばあちゃんに教えてもらった。

編み物以前のリリアン編みの進化系?ゆび編み?みたいなものは高学年のときの大好きな友だち、通称「あっちゃん」に教えてもらったんだけども(あっちゃんがこれまた色々面白いことを教えてくれる子で、わたしの根底にある諸々のきっかけだったりする)
かぎ針編みを教えてくれたのは、母方のおばあちゃんだ。

あれは、わたしがどんどん学校に行かなくなっていた中学生の冬くらいの頃。
恐らく母もわたしの扱いに困っていて、祖母の家にわたしを連れて行くことが増えていた。

祖母に家に行くと、適当に勉強をしても時間は余るし、平日の昼間のテレビは面白くないので、母の兄妹たちが置いて行った漫画をだらだら読んでいた。
そんな隣で、せっせとなにか編み物をしていたおばあちゃんの姿はとても素敵で、どこか賢くみえて、わたしはすぐに真似をしたくなった。

最初は作り目さえ上手くできなくて、ぼろぼろの鎖編みを作った。延々と長くただただ鎖編み。
何メートルもひたすら編んだ。
そして、それを解いて、丸めて毛糸玉に戻す。
また、目が揃うことを意識して鎖編みを続ける。
ただこれだけのことだけども、すっっごくおもしろかった。

不器用で家庭科や技術の成績もあまり良くない自分が、同級生がやってなさそうなことをこっそりやっているのも少し嬉しくて、にまにました。

それからは、細編み長編みなどを、なんとなく習い、真っ直ぐにだけには編めるようになっていったけど、模様編み、色変えなどをしているおばあちゃんには到底届かない。
だけど何度も解いて編んでを繰り返していると、なんだか「ゾーン」に入るような感じがして、編み物の魔力とはこの事か…!とのちに気づくことになる。

わたしが毛糸編みの基礎でぐずぐずしている間に、おばあちゃんは受験勉強をするわたしのためにでっかくてあったかい膝掛けと、寝冷えをしがちな妹のために鬼太郎みたいな配色のベストを作ってくれた。
(残り毛糸を使ったから仕方ないとはいえ、あれはあんまりにも鬼太郎だった)

糸が形になる過程も、「目が悪くて細かいものが見えんのんよ〜」と言いながらもそれを作り上げたおばあちゃんの根性も、全部が魅力的で、今でも真似したい対象、あれからわたしは寒くなると毛糸を編み始める。


毎年毛糸は冬のもの!となっていたし、なんなら大きな作品は15年たってもひとつも完成してなかったのだけれども
(コースターとかマスコットはちまちま作っていた)それが今年、大きな変化があった。

2024年春。やっとこさ膝掛けを完成させましたー!!(わーいぱちぱち

歪んでたり、段数が合ってないところもあり、とてもひと様に見せられるものではないですが、やっっと完成。

実は途中で飽きて放り出してを繰り返し、完成までふた冬もかけてしまった。笑
だが今冬の終わりあたりに
「これ今年編み終わらないと一生終わらんのちゃう…?」とどこか不安になり、
半分くらいはここ2週間くらいで完成させた。

そして今度は、この達成感を冬だけのものにしたくないなーと思い、コットンやレーヨンの糸でモチーフ編みを始めてみた。
これくらいなら写真載せてもいいかしら、と。

グラニースクエアという編み方らしい

もうおばあちゃんはこの世にいないし、身内に毛糸編みをする人が誰もいないので、今はYouTubeだけが頼りだ。
こんな文明の進化をみたら、おばあちゃんはさぞ驚くだろうなぁと思いながら編み進めていった。

こんな小さなモチーフを繋げてレトロ可愛いものを作るのが今の目標だ。

季節は春。夫と二人暮らしの部屋。
傍らには猫と紅茶。
ひとりでもくもく編んでいく。

だけど、あの時の記憶。
おばあちゃんが居た時の大切な大切な記憶。
毛糸編みと、薄くて甘いインスタントコーヒー。
石油ストーブに隙間風の少し寒い部屋。
あの風景だけは、一生忘れたくない。