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『君たちはどう生きるか』二つの機能不全:「父親」と「火」について

Ⓒ2023 スタジオジブリ

監督:宮崎駿
脚本:宮崎駿
公開:2023年

① 序論:文学理論と「考察」について

10年ぶりの宮崎駿作品『君たちはどう生きるか』について、早くも膨大な感想と「考察」がネット上に投稿されている。
 まだ公開から日が浅いこともあり「考察」の傾向は定まりきっていないようだが、中には「アオサギは眞人の弟だ」「母親の死因は火災ではなく眞人の出産だ」というやや独断的と思えるものまで散見され⁽¹⁾、そのレベルで良いのであれば本作を1回観ただけでパンフレットすら買っていない私でも書けそうなので、普段は絶対やらない「考察」をやってみようと思う。

 その下準備として、前述の「母親の死因は眞人の出産」に関し意見したい。この説の提唱者は宮崎駿作品と日本神話との関連性に着目し、本作を「カグツチの出産」と重ね合わせている。確かに宮崎駿が神話とその延長である児童文学に精通している点は疑う余地がなく、この説もある程度の説得力はあるように思える。
 しかし、この説を本気で検討するのであれば、以下2点への言及は不可欠だろう:①父親の不在:カグツチ出産において、主体的な行動を取るのは父親であるイザナギノミコトである。彼はイザナミノミコトを焼き殺したカグツチの首を刎ね、イザナミを連れ戻しに黄泉の国まで旅立つことになる。だが、『君たちはどう生きるか』においては父親は物語から意図的に隔絶されており、夏子を取り戻しに旅立つ主体はカグツチ側である眞人に設定されている。この点を説明しなければならない。
 ②火の役割:カグツチがその火を以て母イザナミを殺してしまったエピソードをモチーフとするのであれば、『君たちはどう生きるか』における火は「戦争が母国日本を焼き尽くす」マクロな役割と「出産が母を殺す」ミクロな役割の双方を担えたはずである。だが、本作ではマクロな視点は早々に排除され、ミクロなレベルでも火はその破壊的な役割を喪失し「善きもの」という描かれ方に変化してしまう。この点も説明しなければならない。

 文学理論を「考察」に流用するのは簡単である。理論を学べばあらゆる作品に応用したくなる。しかし、ただ単に知っている理論を作品に当てはめるだけでなく、その上で生じる疑問点を慎重に検証することが作品分析において肝要ではないかと私は考えている。日本神話と関連付けて論じるのであれば、『君たちはどう生きるか』における「父親」と「火」が本来の機能を喪失しているという指摘は当然されなければならないし、理論を前提に問いを立てる過程がネット上の「考察」には足りていない気がする。

 ということで、本論では『君たちはどう生きるか』における「父親の不在」と「火の役割」について、機能不全という観点から「考察」する。

② 父親の不在

『君たちはどう生きるか』の重要な要素として「継承」が挙げられるだろう。本作における継承は二つのスケールで描かれている:①世界の継承、②母親の継承。前者はマクロなスケール、後者はミクロなスケールである。

 本章では②母親の継承は無視して①世界の継承について述べたい。本作は「現実世界」と「塔の世界」で明確にルールが異なっているため、「現実世界」と「塔の世界」の二つに分けて考える。
 現実世界において日本は太平洋戦争真っ只中であり、日本国そのものが次世代に継承できるかどうかの瀬戸際にある。まだ男女間での役割分担が顕著だった時代、日本国は(あくまでその社会的・政治的部分に関し)男性の手により運営されていたと見なしても良いだろう。つまり、日本国の継承は男性原理的イニシエーションの側面が強い。本作では社会の担い手としての男性像が眞人の父親に表象されているが、鉄道網や教育といった男性社会の根幹を成すシステムが機能不全に陥っている点も見逃してはならない。これは現実世界における男性=父親は本来の機能を果たせなくなっている証左であり、実際本作の焦点はもっぱら眞人と母親(および次期母親としての夏子)との関係性に当たっている。父親は物語の根幹に関わる力を失っているのである。
 一方、塔の世界においてはその運営が眞人の大叔父一人に委ねられてしまっており、大叔父の血を引く者を世界の継承者として探している段階にある。塔の世界において大叔父の血を引いているのはヒミ・夏子・眞人の3人であるが、ヒミや夏子は継承者の候補にすら挙がっておらず、現実世界同様に塔の世界も(あくまで全体の運営に関しては)男性社会としての側面が引き立っていると言える。そして、積み石に苦心する大叔父の口からは塔の世界が機能不全に陥っている旨が直接語られることとなる。
 このように、世界の継承というマクロな問題は基本的に男性原理的イニシエーションとして描かれており、そして受け継がれるべき世界は既に健全に機能していないことが、現実世界と塔の世界の共通事項として指摘できるだろう。

 さて、「父親から息子へ」という継承の流れが機能不全に陥るとどうなってしまうのか、有名なフロイトのオイディプスコンプレックスの理論から説明したい。
 別記事でも何回か取り上げているが、息子は母親と母胎で繋がっていた充足感が忘れられず、潜在的に母胎回帰願望を持つとされている。そして、そんな息子と母親を個別の主体として切り離す役割を父親(つまり男性原理)が担うことになる。
 しかし、『君たちはどう生きるか』では眞人を母親から切り離すはずの父親が機能不全に陥っており、物語から排斥されている。そのため、眞人は明らかに産道を連想させるトンネルを逆走する形でヒミ(眞人の実の母)の世界へと入っていけてしまうのである。
 塔は(宮崎駿が意図していたかは別にして)母胎の象徴として生々しさを帯びている。地下=イドの世界に潜り込む形で眞人は死んだ母親との対面を実現する。そして、その最深部にはまさに出産を迎えようとする夏子が眠っているのである。
 なお、アオサギが眞人を塔に導こうと誘惑する場面では、大量の魚と蛙が眞人を包み込んでいるが、母胎の中の胎児は生命の進化に沿う形で成長することを考えると、やはり塔への誘惑=母胎回帰の誘惑と関連付けてしまっても良いだろう。

 次章では、眞人の再結合願望の対象である母親=ヒミに焦点を当て、「火」の機能不全について論じたい。

③ 火の役割変化:戦争と生命

『君たちはどう生きるか』は火災のシーンから始まる。火は眞人にとって母親を失った直接の原因であり、破壊の象徴、恐怖・忌避の対象のはずである。
 これは大戦期を舞台にした作品の宿命ではないだろうか。特に日本は東京を始めとした本土が焼夷弾で焼き尽くされた歴史があるため、戦争映画で火の破壊的な側面が強調されるのも仕方がない。

 しかし、本作で火が破壊の象徴として機能していたのは冒頭のみである。塔の世界に入ってからは、眞人に直接トラウマを植え付けたはずの火はあろうことかその破壊的な機能を喪失し、ヒミ=母親と結びついた肯定的なモチーフとして描かれることになる。
 火は破壊の原因であると同時に生命の源としての側面も持つため、塔の中でヒミと接触することで眞人にとっての火が前者から後者へと役割を変化させたという捉え方もできそうだが、私としては以下2点の理由によりこの役割変化についてあまり納得できていない:①本作は眞人の個人的なイニシエーションを描く作品であると同時に戦争という巨大な社会的イニシエーションを背景とした物語のはずである。しかし、火を肯定的に描いてしまったことにより、戦争の悲惨な側面を表現できなくなってはいないだろうか。例えば、原爆や東京大空襲などどうしても火を否定的に描かざるを得ない場面は本作に登場しない。勿論宮崎駿がそれを描きたかったわけではないにせよ、戦争が背景にある作品として不誠実とは言えないだろうか。
 ②眞人はなぜああもあっさりと火の姫ヒミを受け入れたのか、ある程度の説明が必要ではないだろうか。勿論前述のように眞人のモチベーションが母親との再結合である以上ヒミの受容は必然ではあるのだが、ヒミは母親そのものであると同時に母親を奪った火でもあるという二面性が特徴のキャラクターなのだから、ヒミの一側面である「火」を眞人が受け入れるまでの描写はあっても良かったのではないかと思う。
 ②の疑問に関しては、序章で触れた「実は火は母親を奪った原因ではないから」という説で解消するように思えるかもしれないが、トラウマは実際の出来事をベースにする必要はないので、観念的な意味で母親の死が火というモチーフと強固に結びついてしまっている以上、眞人に火を忌避する人格が形成されている可能性は高い。しかし、ヒミの受容があまりにスムーズすぎるため、冒頭あれほど巨大な恐怖の対象であった火が急激にその破壊的役割を喪失したようにしか見えない。
 つまり、本作は母親との再結合というモチーフばかりが強調され、火の役割変化が丁寧に描けていないため、単に火が機能不全に陥っているように見えてしまうという欠点を抱えていると思う。ヒミも終盤は火の姫としてではなく囚われのヒロインとしての役割の方が目立っており、本来そのポジションであるはずの夏子の役割を奪ってしまっている。

 いずれにせよ、火の描写を考慮する限り、宮崎駿は戦争を単に一少年の欲望の昇華を描く道具としてしか認識していないように私には感じられる。物語の背景が壮大な割にえらくこじんまりとした作品に感じられるのはこの辺りが原因だろう。
 本論では『君たちはどう生きるか』における二つの機能不全:父親の不在と火の役割変化について「考察」したが、私はあくまでも映画を一回観ただけである。研究の域まで論の質を高めるためには相応の調査や検証が必要になるが、それをするほどの作品愛は今のところ芽生えていない。

④ まとめ

◯二つの機能不全
・父親の不在:母親との再結合願望
→男性原理的な継承が健全に達成されていない
・火の役割変化:破壊から生命の源へ
→戦争を社会的ではなく個人的なイニシエーションとして描いており、やや不誠実か?

【参考】
(1)

【追記】
上で(生意気にも批判的な論調で)紹介した記事の著者がアンサー記事を書いてくれましたので、下に貼ります。

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