拝啓、最低なおまえ の、おまえとはどっちなのだろう、と考え続ける日々

ムーミンの小説で好きなシーンがあって、どのシリーズなのかは忘れてしまったのだけど(でもきっと最初の方)。ムーミントロールが、ムーミンママに、「いつになるかわからないけれど、必ず帰ってくるからね」といったニュアンスのことを言うシーンがある。ニュアンス、といったけどほぼほぼ合っていると思う。何が、とは上手く言えないけれど、いいな、と思うのだ。そのいいな、には、「私にも、そうやって、無条件で帰りを信じ、待ってくれる人がいたらいいな」ということが含まれているだろうし、「いつもどこか遠くへ行きたいけれど、だけど、いつも、必ず帰って来れたらいいな」ということも含まれているのだろう。

私には特別あつらえの未来が待っている、と信じるのを、やめた。

なんだか大層な話にきこえるかもしれないけれど、たぶんそんな大したことではない。私には、三年周期で旅に出たくなる、どこかへ行きたくなる、逃げ出したくなる、夢を見たくなる、何もかもどうでもよくなる時期がやってくる。ちょうど、三年前というのが2019年で、ちょうど、私が高校を卒業して19歳になるまでの一年間だった。その年の私はというと、恐らく人生でいちばん沈んでいて、全てがどうでもいいと思うあまり、今まで気になっていたすべてのことが気にならなくなり、わりと気軽に身軽に生きていたと思う。だけど、手放しすぎて、いろんなものを傷つけて、失くしてしまった。あーもう最低だな、ほんとうに最低だな、と反省というよりも振り返って自分をぶっ殺したくなるから、もうこんなことをするのはやめよう、とたったひとりの親友のSNSを目にするたびに思っていたのだけど、三年後にやってきたこの泥濘のような感情は、もう癖のようなものらしく、なによりも一番その感情から逃げられない。

22にもなって逃げ癖があるなんてどうにかしないとなあ……。
仕事の昇格試験を逃げ出して駆け込んだ喫茶店で飲む、クリームソーダは甘かった。私が、蜜を上手く混ぜられていなかったからか、一口目は、メロン味の蜜が喉に絡みついて噎せた。器の形は星型だった。やさしいママは、マッチをくれた。かわいくて、宝物にしようと決めた。

その、逃亡先の喫茶店は、古いラジオが流れていて、若者はひとりしかいなくて、ママと常連さんの話声がラジオと一緒に流れていて、だから私は珍しくイヤホンを外して、考え事をしていた。私はどうしてこう、上手くできないのだろう。

原因、というか、私のいいところでもあったはずのダメなところとして、いつか幸せになれると思い込んでいる、というところがある。生きていたらいつか幸せになれると、私は今まで本気で思っていたのかもしれない。幸せ、というのは、私のことを愛してくれてお金をたくさん持っていて顔がカッコいい誰かと結婚して子どもに恵まれて、とか、あるいは仕事で出世して自立してバリバリの店長になる、とかそういうことじゃなくて。私が、今まで、失くしてきたものや手放してしまったものがすべて私のところまで返ってきて、そして、傷つけた人たちに謝り赦され、たったひとりの親友が幸せになるのを見届けたあと、私もあの子と結婚する、といった幸せだった。なぜか私は、そういう未来が、生きていれば待っていると、本気で信じていた。

いやいやいや……ねーよ。
空になったグラスにうつった私は子どもみたいな顔をしていた。

私が少し会いに行ったところで、また昔と同じように家族が揃って暮らせる可能性があるとどうして思えるのだろう。私が泣きながらこの軽い頭を下げたところでたったひとりの親友が抱きしめてくれるとどうして期待できるのだろう。どうして今でもあの子は私のことが好きだと夢を見れるのだろう。

それまでをすべて断ち切って、逃げ出して、また新たに始めようとしてしまうのは、きっと、きっかけを求めているからなのだと思う。なにか、新しい出会いが、私が望む幸せへと導いてくれるきっかけになるのではないかと、これまた期待している。私の逃亡癖には、こういう理由も要素の一因にはなっていると、思う。

まずは、期待するのをやめよう。逃げ出してもいいから、期待するのをやめよう。一歩一歩、少しずつ……って、いろんな人が言ってるじゃんか。だから私も、少しずつ自分を改善していこう。改善とは言うけれど、だけどそれはもう、私が私じゃなくなるということで、とある方面から見るともはや改悪なのではないかと思うけれど、だけど、今以上に最低な私は思い浮かばない。

これからどうしようか、またしばらく悩むのだろう。悩むというよりは、結論は既に出ていて、その結論を実行するための過程をどうしようか、と悩むのだろう。ふとパソコンの端っこに映る今日の日付を見て思い出したのだけど、三年前の今日は、ちょうど、私が車に轢かれた日だった。私も車も信号無視をして起こった事故だった。ニュースにならない事故はこうやって毎日起きているんだな、と今になって思う。私は非常に丈夫にできているので、打ち身だけで済んだ。ほんとうに、死ねないのに痛い思いをするくらいなら、打ち身で済んだっていうのは奇跡みたいな話なんだろうけど、だけど、死ぬほど痛かった。今は笑ってほしくて話すネタになっているけれど、あのとき、「かわいそうに」と、母と姉が私のそばに来てくれて、ほんとうに嬉しかった。しかし全部自業自得ではある。

文章からは伝わらないかもしれないけれど、こんなにも打ちのめされている私が、もうすぐ22年になる人生の中で今のところ一度も死にたいと考えたことがないのには、やっぱり積み重ねてきた過去があるからで。その過去が、日々が私の生きていく意味であり、足枷であり、糧であり、罪であり、希望である。ずっと、ずっと、ほんとうにずっと、長い間、またどこかで会えたらいいな、会って話がしたいな、と思っていたけれど(実は案外向こうはもう会いたくないとか思っているかもしれなくて、それならそれで仕方がないことだから今さらどうこう言う権利もないのだけど)、だけど、今は、街ですれ違っても、気づかないふりをしようと思う。ただ、忘れないように、私はずっと、書き続けてはいたい。

いつも何の話をしていたか忘れるけれど、今日はいつも以上にひどかった。
まだ何か話をしたい気がするけど、もうやめる。

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