傘下 雨

人生記録 忘れないように

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最近の記事

春へ

昨日、スピッツの、ひみつスタジオツアーに、ようやく行ってきた! スピッツのライブは初めてだった。草野マサムネさん、衣装がスナフキンみたいでとても素敵だった。高校生のときにスピッツを好きになってから、いろんなことがあったけど、ほんとうに、ライブに行けてよかったと思った。なんというか、私がたった一人の親友とたくさんの日々を過ごした街にスピッツがやって来ているというのは妙な感覚で、やっぱり世界ってつながっているような気もして、確かに、同じ星を見上げたこともあったかもしれない。

    • いい夢を。

      23歳の目標は、「幸せで、充実した一年を過ごす」ことに決まった。 きっかけはなんであれ、私なんかのために時間をさいて、「お誕生日おめでとう」という言葉を伝えてくれる人のことを、心の底から尊いと感じる。私を喜ばせるだけ喜ばせておいて、なんの見返りも求めず、私の返信には返信してくれない人たちの妙なやさしさ――と、あえて言わせてもらう――が心地いい。だからといって、耳にタコができるくらい「おめでとう」と言い続けてくれたり、次から次へと小さくて大きなプレゼントを渡してくれたりする人

      • 輪廻転生

        この日記のタイトルを、「早く大丈夫になりたい」にしようかどうか、迷った。 もうすぐ誕生日ではあるが、ほんとうに散々な日々である。今年は特にひどかった。年末付近に年をとる人はきっと、年をとる日にその年齢を生きた年の振り返りをするのではないかと勝手に想像して共感している。夏のスピッツのライブには行けなかったし(振替公演が控えてはいるものの)、吉井君は病気だし、ゴッチが喉を痛めて辛い思いをするし、チバユウスケは死んでしまうし、ネット通販の振り込め詐欺には遭ったかもしれないし……。

        • 1年前の、今日と明日

          1年前の11月16日の今頃、私はどの駅のホームにいてどのホットココアを飲んでどの歌を聴いて誰を想っていたか、まだ、手繰り寄せるようにではあるけれど、思い出すことができたことにほっとしている。ほっとしていることに、呆れるような。 永遠にぼくのためだけに生きてくれないか? わがままでマイペースな春に付き合いきれるのは、今のところ僕しかいない。今のところ。だけどやっぱりいつか、春は今に人に囲まれた夢のような生活を送るようになるだろう。それでいい。そうなるなら、僕も幸せだ。だけど

          いちばん古い海

          たとえばあのとき、父と母が暮らしていた街から海が見えていれば、私の名前は「海ちゃん」になっていたかもしれない。 そもそもの候補として、現在私に名づけられた世界でいちばん尊い名前以外にもいくつかあったみたいで、その中に「海」もあった。私はその話をずいぶん昔に母からきいたとき、「そっちでもよかったなぁ」と思った。その名前は、ずいぶん昔に会わなくなってしまった父が考えてくれた名前だった。 私の記憶の中でいちばん古い海は、鳥取砂丘だった。当時、小学三年生か四年生くらいだった私は、

          いちばん古い海

          なにもかも、杞憂で終わってしまえばいい

          ドーナツをフォークで食べるような女性にはなりたくないと、思っていた時期があったはずだった。 最近は、「君たちはどう生きるか」や「なぞの転校生」、「それは誠」など秋並みに映像鑑賞と読書が捗っている。(正確に記録するとなると、もう一つ、心を揺さぶられまくった本があるのだけど、それは私の中にだけとどめておきたいので割愛する。) 家族が3人そろって映画館で映画を見るというのは、きっと4年か5年ぶりくらいで、楽しかったような、一人で観たかったような、不思議な気持ちだった。どっちみち、

          なにもかも、杞憂で終わってしまえばいい

          作戦会議

          作戦会議 トモフスキー - YouTube 信頼に足る、足りすぎる相手だというにもかかわらず、執拗に確認したくなるのはなぜか。「言葉なんかいらねェや」と、少年漫画の主人公のように言い切れるほどの度胸が、ないせいであろう。大切なものができると、臆病な自分と邂逅する。同じように、何かを得たり失ったりするたびに、知らなかった、あるいは隠していた自分と巡り合わせる。 大した話がない。 日記として記すべきことといえば、ようやく自分の理想の職を手に入れ、理想の生活を送ることができそう

          作戦会議

          手紙「きみのいない世界の、意味」

          親愛なる、きみへ。 この間、きみと会ってから、なんだか、楽しいです。なにもかも。身体が軽い気がする。家での息苦しさとか、やっぱり人と付き合うことに向いてないな、とか、そういう気持ちが全てなくなったわけではないけれど、それでも、今までくだらなかった生活でも、続けてきてよかった、と思えている。 大好きなスピッツも、他の歌も、なんだか違う曲のように聴こえる。私はもう、もしかしたら、二度と、十一月十七日以前のように音楽を聴けることはないのかもしれないけれど、それでもいいかとも、思え

          手紙「きみのいない世界の、意味」

          こんな気持ちになるくらいならいっそ出会わなければよかった、とか、それだけはどうしても、

          アイドルのファンというものは厄介だと、アイドルのファンを十数年やってきて思っている。 推しを、もっといろんな人に見てほしくて布教したりするくせに、いざ、外野からなんやかんや指を指されたり同情されたりすると、「君たちにいったい何がわかるのだ」と耳をふさぎたがる。ずっと一緒に歩んできた同志、のような顔をしているけれど、私だって、推しのことは実際何も知らない、のかもしれない。 生きているものでも幻でも、有機物でも無機物でも、生きていると、別れは必ずやってくる。別れ、終わり。それは

          こんな気持ちになるくらいならいっそ出会わなければよかった、とか、それだけはどうしても、

          ありふれた絶望、に対する410円の救い

          未露光のフィルムのために2時間待ち、750円を払った。 750円を払ったことに対しては何の不満もないのだが、2時間待ったことに対する不満――といえば「待たせやがってこの野郎」とお店の人に怒っているように読めそうなのだけどそっちではなく、2時間を有意義に過ごせなかった自分に対する苛立ちと2時間家に帰ることが遅くなった苛立ちであって、特定の誰かに対する怒りではない。 最近、私が絶望したことといえば、それは今日あったばかりだった。帰り道、海浜公園のある駅で降り、カメラを首からぶら

          ありふれた絶望、に対する410円の救い

          拝啓、最低なおまえ の、おまえとはどっちなのだろう、と考え続ける日々

          ムーミンの小説で好きなシーンがあって、どのシリーズなのかは忘れてしまったのだけど(でもきっと最初の方)。ムーミントロールが、ムーミンママに、「いつになるかわからないけれど、必ず帰ってくるからね」といったニュアンスのことを言うシーンがある。ニュアンス、といったけどほぼほぼ合っていると思う。何が、とは上手く言えないけれど、いいな、と思うのだ。そのいいな、には、「私にも、そうやって、無条件で帰りを信じ、待ってくれる人がいたらいいな」ということが含まれているだろうし、「いつもどこか遠

          拝啓、最低なおまえ の、おまえとはどっちなのだろう、と考え続ける日々

          もう何もしたくないな。あんなにも心を揺さぶり続けた過去も、なにもかもが、今はもうどうでもよくて、きっとどこかであの子に会えたとしても、延長線上のように「久しぶり」と言えてしまうのだろう。結局、私に残ったのは、あの街に対するあこがれと、どうしようもなく心地のいい孤独だけだった。

          もう何もしたくないな。あんなにも心を揺さぶり続けた過去も、なにもかもが、今はもうどうでもよくて、きっとどこかであの子に会えたとしても、延長線上のように「久しぶり」と言えてしまうのだろう。結局、私に残ったのは、あの街に対するあこがれと、どうしようもなく心地のいい孤独だけだった。

          結局、最後には、「何もしてやれなかったよ」と泣く人の話

          昨日、帰りの電車の中で泣いていた。 最近は他人が変わったのかと思うくらい情緒が不安定で、いやこれは情緒が不安定というよりも、感受性が豊かになったというのか、感情を表に出せるようになったというのか、進歩なのか退化なのかわからない変化だった。 昨日は、働いている会社の社長の講話会という、社会経験未熟な若者には未知の世界に足を踏み入れる羽目になったのだけど、とにかくその講話会が、辛かった。何が辛かったのか、同じ講話会に参加した他店舗のスタッフにはわからない子もいるだろうが、そうい

          結局、最後には、「何もしてやれなかったよ」と泣く人の話

          今も待っている。

          こころが痛むことがある。 きっと、私の体の節を全部切り離して、中身を全部ほじくりだしたところで、私のこころは現れないだろう。だというのに、「こころが痛い」とはっきりと、感じることがある。 ずっと待っていた人がいた。その人に、私のこころを救ってほしかった。けれど、それは大人になると同時にやめると決めたことだから、もうあの子のことを思って胸を焦がしたりしない。 自分のことを、ひとに話すことが苦手だ。小学校三年生の頃からそう。それから随分時が経った気がしているから、嘘をつくのも

          今も待っている。

          それは、私の前に現れた、紛れもないヒーローなのだ。

          2020年12月31日18時44分のいま、私が思うことといえば、こういう風に「嵐に会える楽しみ」を感じることは、当分ないのかという、寂しさだった。 本当に恥ずかしく、ダメな幼少期〜青年期を過している。 何回も逃げ出したくなって、実際に何度も逃げ出して、「もうダメだ」「もういいや」といつも思っていた。 でも私が、今もこうしてここにいて、ダメだったことを頑張ってやり直そうとしているのは、いつだって嵐が、寄り添って、「もうちょいやってみましょうや」というふうに、声をかけてくれたか

          それは、私の前に現れた、紛れもないヒーローなのだ。

          19歳と特別な恋

          最近、小学生とすれ違う機会があった。 すれ違った小学生と、なぜかそのまま並走(というより並歩?)する羽目になり、それが気まずくなったのか、私の隣を歩いていた小学生は突如駆け出し、私より数メートル前まで行くとまた歩き出した。 その、小さな背中と少し力を入れて握っただけで折れてしまいそうな脚を目にすると、私は後悔と懺悔が溢れだした。あんな小さな体に、あの頃の私は恋をし、期待し、依存していたなんて。なんて残酷で愚かで、最低なんだ。 幼馴染のことが好きだった。 とはいっても、過去

          19歳と特別な恋