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作戦会議

作戦会議 トモフスキー - YouTube

信頼に足る、足りすぎる相手だというにもかかわらず、執拗に確認したくなるのはなぜか。「言葉なんかいらねェや」と、少年漫画の主人公のように言い切れるほどの度胸が、ないせいであろう。大切なものができると、臆病な自分と邂逅する。同じように、何かを得たり失ったりするたびに、知らなかった、あるいは隠していた自分と巡り合わせる。

大した話がない。
日記として記すべきことといえば、ようやく自分の理想の職を手に入れ、理想の生活を送ることができそうな気がし始めてきたことくらいで、今までの私の人生からすると、そういうことを事細かに書くべきなのだとわかっているけど、なんとなく、ほんとうはそんなことどうでもよかったのになあ、と思うような気もする。

逃げのカサシタ、とはよく言ったもので(どこで?)、私はどっかの映画の主人公の如く、逃げて、逃げて、逃げまくっていた生活だった。だった、と言い切るには、過去形にできる自信はない。

やっぱり、言葉を大事に生きていきたいなあ、というのが私の最低限であり最大級である。昔は、「誰かを傷つける覚悟がある人は何を言っても構わない」とか、生意気なことをほざいていたけれど、確かに今もそんな気持ちは残っているけれど、やっぱり、その覚悟ができている人って、中々いないと思う。傷つける覚悟、というのは、誰かを意図的に傷つけて、指さして笑ったり、崩れ落ちた背中を踏みにじるということでは、決してないと信じているから。

袖振り合うも他生(多生)の縁、と言う言葉が、私はすごく好きで、好きな日本語は? と問われたら、まあそんな機会はないと思うけど、こう答えると決めている。(他に、いいなと思える言葉を知らないともいえる。言葉を知らなすぎるのである!)
そんなわけで、来世ですれ違うだけのような、濃い繋がりを、小説の中で好き好んで書いているし、なんなら、「これだけ濃い時間を過ごしたんだ。だから、来世ですれ違うくらいでいいよ」みたいなことを、言う子もいる。
だけど、最近ちょっと、私の中で色んな考えが生まれてきているというか、丸くなったというか、やさしくなったというか、大人になったというか、薄っぺらくなったというか、呑気になったというか、自己中心的になったというか。とにかく、確かに私にも、来世でも会いたい人、いるなあ!と気づいた。

上記の言葉を信じるなら、きっと私たちは、また来世でも会えるだろう。だけど、すれ違うだけでは物足りないというか。そもそも、すれ違うと会うとでは、全く違うのだ。相互認識のある「会う」と、もしかして片方の認識すらもない「すれ違う」とでは、意味が違いすぎる! 私はやっぱり、来世で生まれ変わっても、あるいは月や火星に住む羽目になっても、きみに会いたい。会って、おしゃべりを楽しんで、つまらない映画を見て眠って、サイコーな映画を見て泣いて、カラオケでお互いの知らない曲を歌いまくって、唯一合う食の好みを頼りに定食屋で笑い合いたい!

一度、「一緒に年をとっていきましょう」という言葉を送ったことがあるけれど、私たちは、(ここ数年そうであったように)何十年も何百年も一緒に居られるわけではない。「離れていても、心は通じ合ってる」だぁ~? そんな、理想論というか世迷い事というか、そんなものをどうやって信じればいい? 私はもう、信じるものを決めていて、そしてそれは、私にくれた、きみの言葉であり、姿であり、ぬくもりである。そんなきみを、決して!決して信じていないわけではないけれど、心配だってしてないけれど、だけどやっぱり、この世は何があるかわからないわけで。この世というか来世というか。だから、一応、万が一の時のためにね。私たちも、待ち合わせのルールを決めておこう。服はきっと派手な色だろう?行きそうな場所はハイカラ色が集う場所か、おいしそうな匂いがする場所。好きそうな季節は、うーん、個人的には夏が似合うと思います。あと、夜が好きでしょう!

私という人間でさえ、考えてることがころころ変わるんだから、変わらない人間なんているわけがなくて、そもそも変わったんじゃなくて、それはやっぱり、「まだ自分の知らない自分がいて、それを、引き出すことができただけ」なんだと思う。あっちの自分にこっちの自分にいったりきたり。悪いことじゃないよ、きっと。だって、全部、自分だからね。自分らしくっていうのは、「誰かから見た理想の自分」になることではなくて、自分の心の声に耳を傾け、それを素直に聞き受け入れることだろう。

これだけ来世来世と話をしたけれど、とりあえず、次に会える、3月11日を、私は心から楽しみにしている。新しい服買ったりとか、美容院予約しちゃったりとかしてね。こんな日が来るなんて、夢にも思わなかったな。もう、三年以上前になってしまうのか。這いつくばることもできずに死にそうな顔をして歩いていた私に、「いつか、大丈夫になる日が来るよ」と教えてあげたい。だけどあの頃の私はきっと、そんな日が来ることさえ、望んでいなかっただろうな。


2022,02,09

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