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こんな気持ちになるくらいならいっそ出会わなければよかった、とか、それだけはどうしても、

アイドルのファンというものは厄介だと、アイドルのファンを十数年やってきて思っている。
推しを、もっといろんな人に見てほしくて布教したりするくせに、いざ、外野からなんやかんや指を指されたり同情されたりすると、「君たちにいったい何がわかるのだ」と耳をふさぎたがる。ずっと一緒に歩んできた同志、のような顔をしているけれど、私だって、推しのことは実際何も知らない、のかもしれない。

生きているものでも幻でも、有機物でも無機物でも、生きていると、別れは必ずやってくる。別れ、終わり。それは突然で、だけどいつも傍にあるもので、いつもはひっそりと息を潜めているけれど、いつだって簡単に襲い掛かるようにやってくる。その終わり方や別れ方というのはグループそれぞれで、活動休止や解散、メンバーの脱退または卒業など、いろんな形で変化が訪れる。

私は、アイドルグループのメンバーを一人好きになると、大抵全員好きになる、いわゆる箱推しになりがちなのだけど、というのも、私が好きなメンバーがメンバーのことを好きだからというのが第一の理由で、私が好きな人が大切にしているものを、私も大切にしてみたいと思うのだ。まあアイドルを好きになる人って大抵箱推しよりだと思うんだけど(最推しはそれぞれあるだろうが)、だからこそ、グループの変化というものは辛い。

私は、嵐が昔から大好きで、小さいころから好きだったものだから、もう生活の一部になってしまっていて、2019年の冬は、破れた心の穴を、どうしてやればいいかわからなかった。今は、やっぱり、嵐で空いた穴は嵐でしか埋まらないんだな、と理解し、ある程度の諦観としかしながら捨てきれない期待と共に、推しの穏やかな生活の継続を祈っている。

推しグループのメンバーの一人が、「僕たちを生活の理由にしない方が良い」といったようなことを言ったことがあって、私はそれを聞いて、「私は嵐のためだけに生きてるわけじゃないから大丈夫だぜ」とかなんとか思っていたのだけれど、実際、このザマであるので、過信だった。確かに、アイドルのためだけに生きているわけじゃないけれど、もうどうしたって、心の支えであって癒しであって私の勇気の源であったのだ。

いろんなグループの決断を見てきた。ひとり、「もう辛い」と声を上げたとき。一緒に立ち止まる選択や、それでも進み続ける選択。たった一つの正解はなくて、彼・彼女らの決断の全てが正解だと、私は思っている。考え、悩み、苦しみ、それでもと立ち上がって決めた答えが、間違いであってたまるものかと。

結局、アイドルなんてものは幻想なのかもしれなくて、私のような世界のどっかしらでひっそりと生活をしているだけのファンにとっては、彼らが発信してくれたものが全てで、それを信じるというか鵜呑みにするというかそれだけが頼りで、だから、ほんとうのことなんてもしかしたら何もわからないのかもしれない。だけど、それでも、きっと、私たちのことを少しくらいは想って発信してくれたのであろう全てでできたアイドルという幻想を、私は信じている。

とはいえ、こんなものは全てきれいごとで、かくいう私も、アイドルを推すということ自体が辛くなってきた人生である。(笑) どうして何も言ってくれないのだ、とか、どうしてアイドルで居続けてくれないのか、とか、そんなことを、何度も思っている。アイドルとファンの関係とは何なのだろう。メディアにいるアイドルの姿を見て一方的に好きになった私たちを、アイドルはどう思っているのだろう。そのやさしい笑顔は本物なのか、とか、本当は隠れて泣いたりしてないのだろうか、とか、後になって思うことは色々ある。だから、夢みたいなことをいうと、私はほんとうは、アイドルはもっと、リアルでいい。夢なんて見せ続けてくれなくていい。鼻くそほじっていいし、大好きな恋人の話とかもしてほしい。落ち込んでいるときは無理に笑わなくていい。「アレが嫌だった」「こいつが最低だった」とか、話をしてほしい。永遠にいい夢を見続けることなんて、初めから無理なのだから……。

アイドルという職業はディズニーランドのミッキーマウスです、ということなのかもしれないけれど、やっぱりアイドルだって人間だから、私みたいに情けなくて、恥ずかしくて、どうしようもないところもあって、そんなときは音楽を聴いて安らいだり、しているのだろうか。

大好きな人だけは、幸せになってほしい。
できるだけ傷ついてほしくないし、毎日甘やかしてもらえばいいじゃない。だって君たちは、びっくりするくらい自分に厳しくて、いっつも他人のことばかりを考えていて……

今、私が応援しているグループも、離れ離れになってしまったり、今思いつかないくらい信じられないくらい辛い出来事が皆を襲ってしまうかもしれない。そのことに傷ついた私を知って、また推しが傷ついてしまう。そんなことになるなら、初めから、アイドルなんて好きにならなければいいじゃないか。という結論に至りかけ、今推しているグループがいつか来る終わりを見届けられることができたら、それでアイドル人生に幕を下ろそう、とか考えていたのだけれど、アイドルを応援するうえでの私なりの答えというのは、案外近くに落ちていた。

いつか終わりが来る。別れが来る。それは、生きているうえで仕方がないことで、決まっていることで、たとえばアイドルというくくりだけには収まらなくて、もう人生というのがそういう風に決まっていて、生きて行くならそれは避けては通れない道で。だからこそ、私はまた、新しいアイドルに出会ってアイドルを好きになるだろうし、今応援しているアイドルが終わりを迎える瞬間を、目にしてしまうのだろう。だけどそのとき、「好きになれてよかったな」「出会えてよかったな」と、心の底から思いたい。そう思えるアイドルを、好きになりたい。私は今も、大好きなアイドルたちに、「いっそ出会わなければよかった」とか、そんな気持ちだけは持てないでいる。私の推しはほんとうに私の自慢で、大好きで、いちばんに幸せになってほしい。今、心の底から、出会えてよかったと思えている。という現実があるだけで、私はやっぱりアイドルを好きになれることができてうれしい。こればかりは、傷つくことを恐れず、続けて行ってもいいのかもしれないとも思える。

推したちよ、ありがとう。
これからの、君たちの生活が、健やかで、穏やかで、やさしく、あたたかい愛に満ち溢れていることを、いつも祈っている。
私はそういう風に、もういやだと泣き出してしまう日まで、ファンでいることを続けていようと思う。

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