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 誰かの評価で生きていた子供だったと思う。行動の全てが評価ではなかったけれど、「好き」という思いだけでもなかった。誰かに期待されて、評価されるというのは、私が存在していることを証明するようなことだと思っていたし、それは他人に委ねるものなのだと思っていた。
 
 私と顔見知りの人たちに私を認めてほしいという感情は、二年くらい前に置いてきた。あの頃の私の行動の根本は、私自身の存在を確かに感じたいということだったのだと思う。誰かの為になりたいという気持ちが本当だと信じていたけれど、過去に認められてきたことがだんだんと離れていって、それを手放したくなかったんだと、今になって思う。

 私が誰かの中に存在していることが怖くなってしまった。小中の同級生に会いたくないのは、私の存在をなるべく知られたくないと思っているから。だけど、本当にひとりぼっちになってしまったら、私で私を認めるしか存在を確かめる方法がないので、私はSNSをやっているんだと思う。それに、ちゃんと生きてるよって誰かに言いたくなる瞬間がくると、私は完全に切ろうとしていない繋がりを利用して安心している。

 行動力の全てが存在を認めてもらうことで埋め尽くされてしまうかもしれない恐怖は、ずっと隣りにいて、だから早く私で私を認めてあげたい。

 


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