のぎ

大人になるまでの過程

のぎ

大人になるまでの過程

最近の記事

衝動的虚飾

高校生になれば何かが変わるだろう、と信じていたあの頃の勘違いを理解しているはずなのに、わたしは何を変えたのだろうか。 間違えて触れた鍵盤の位置と、小説の表紙とタイトルが頭から離れない。 それを上書きできるものをわたしは持っていない。 わたしにしか分からないようなことばかりを理由にしようとしている。 否定されることが怖い。誰もわたしを見ないでほしい。 羨望を抱いていた場所は、冷たくて、痛かった。 逃避しようとしていることを見破られたようで、欲望に振り回されながら生きているも

    • 消去

       私は私が思っている以上に周りから大切にされているし、それに感謝しているけれど、自分の意見を隠して誰かの意見に流され、どこかで甘えてもいいだろうと思っているような私を、大切にしないでほしい、見ないでほしい、と思う瞬間が申し訳ない。もっと愛されたいとか、人を羨む気持ちとか、私の中に存在している欲望が顔を出したとき、気持ち悪くて仕方がない。無欲でいられたら良いのにと思うけれど、欲がなければ先には進めないし、ひとりぼっちで生きられない。  社会の評価とか周りの評価を気にしてしまう

      •  誰かの評価で生きていた子供だったと思う。行動の全てが評価ではなかったけれど、「好き」という思いだけでもなかった。誰かに期待されて、評価されるというのは、私が存在していることを証明するようなことだと思っていたし、それは他人に委ねるものなのだと思っていた。    私と顔見知りの人たちに私を認めてほしいという感情は、二年くらい前に置いてきた。あの頃の私の行動の根本は、私自身の存在を確かに感じたいということだったのだと思う。誰かの為になりたいという気持ちが本当だと信じていたけれど、

        • ほしかったもの

           私の頭の中に微妙に残っている存在との繋がりを明確に知って安心したい。補正した幼少期の記憶を大事にしていても、勝手に成長していく身体と思考と現実が、私を大人にさせようとしているのだと思った。血の繋がりを恨む、という物語に触れることは多いけれど、私は恨んでるわけではなくて、血の繋がりを消したくないけれど微妙に繋がっているこの状況が居心地悪いのだ。  自分を構成したはずの存在を覚えていなくて、誰からもその話を聞けないというのは、幼少期に与えてもらった愛情が無かったことのように思え

        衝動的虚飾