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【体験記】入職27年目のボクが退職を決意した理由④

(その3より続く)

前回(その3)より少し間があいてしまいました・・・・。ということで、「話の流れを全くわすれちゃったよ!」というおしかりを背中に感じながら・・。

気を取り直して(笑)、本題本題。

実家は実家で居場所があまりなく・・・。



今年3月にボクは現職場を休職に追い込まれ、さらに家庭でもヨメから「自分(ボク)までのことを考える余裕がない。」とボクの実家への移住をすすめられる。

挙句の果てに、実家の兄からも「長期間の滞在は無理、うちにも余裕ないから短期間でなんとか戻るようにして。」ということに。

一文無しに近かったボクは、藁にもすがる気持ちで実家に居候感覚で身を寄せた。

目的はボクのメンタル面の療養でもあったのだが、ヨメとは距離を置いてさすがにメンタルも落ち着いたものの、実家は実家でそこでの主要人物になる兄に対しての気遣いが新たに加わった。

もともと人との関わりを極力もつのを避ける傾向にある兄は、血のつながった身内であるボクでさえ、元々実家には寄せ付けない人であった。

しかし実家には、現在大腸がんの術後にあり、ストーマという人工肛門、膀胱留置バルーンという尿管にカテーテル管が入った要介護状態である父も同居していた。

たまにその父の様子を観に来ていたボクにとっては、24時間体制で様子をみることができることもあり、その点ではボクにとっては安心材料であり、自分のメンタル面への気をそらせる材料にはなった。

そんな感じで、ボクの実家での居候生活は始まった。

自宅と違い、食事など妻に任せていた分はセルフサービス的になり、ある意味気は楽だったが、細かい点で、兄から自身で決めていた暗黙のルールというものがあり、そこのラインをボクが知らずに立ち入る行動をすると、兄の鋭い指摘が入った。

そのことがボクのメンタルには重荷であり、暮らし辛さの原因にもなった。

しかし、父の介護のことについては、まさにこの時は福祉分野の職業についていたボクには、兄も一目置いてくれていたこともあり、何かと相談しに来てくれたので、身体障害で直接的介護に制限もあるボクができる唯一の手助けになった。

もちろん、介護保険を受けている父には担当してくださるケアマネジャーもいた。

だからあくまで、実際の父の今後のケアについて決めていくのはその人であり、主介護者である兄とのやりとりで決めてもらい、ボクは自分の療養を第一に考えるようにした。

とりあえずボクは、実家への転居前から相談対応してもらっていた発達障害支援センターに通いながら、自宅から持参した一昔前のノートパソコンで発達障害のことをより深く知るべくネット検索で様々な情報を入手、無料でできる関連イベントなど、体験を中心にこなしていった。

それはボクをひきこもりになりがちな休職生活を外に開かれたものにすることができた。

そうすることで、ボクは月1~2回のペースで面会する職場上司と妻とも新鮮な気持ちで会う事ができ、一時的にパニックになっていたボクを落ち着かせていく要因になった。

そんなこんなで実家での生活にも慣れてきたボクに、まさかの「大事件」が起こる。5月末のことだった(つづく)。



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