最近の記事

愛の認知

愛の形はそれぞれで、愛に対する想いも、認識も個々それぞれだ。 先日、深層心理を扱う4nessコーピングという講座に参加して、わたしの愛に対する認知が見えた。 というより、深く閉じ込めていたキズが表にできてたという感じだろうか……。 そのキズをどう扱っていいのかもわからないまま、そのまんま閉じ込めてきた。 心の傷は目に見えないので、時がいつか解決してくれるから何も問題はないとさえ思っていた。 けれど、体と同じ様に、心もきちんと診てあげなければ、手遅れに感じることもあるし、

    • 紫陽花の花束に祈りを

      実家に帰ると、父が庭の手入れをしていた。 今、ちょうど紫陽花が咲き始めている頃だ。 紫陽花は、小さい花の集合体になっているのも面白いが、土の成分によって、花の色が変わるのも面白い。 先日、父の右目が見えなくなった。 網膜剥離だったらしく、すぐに手術となった。 体は大きくて、声も大きいが、病気となると、急に弱々しく小さく見える。 庭に立ってる父が、紫陽花に紛れて見えたのは初めてだった。 「調子はどう?」 と聞くと、 「光はわかるが、他は見えん」 と父は振り返らずにボソリと言っ

      • 日本で唯一の神社

        瓊瓊杵尊が眠る、可愛山陵の近くに住んでいる為か、神社参りは昔から欠かせないことの一つである。どこの神社にいっても、鳥居は南を向いていると思っていたが、鬼門を向いている神社があると聞いて、一度は行ってみたいと常々願っていた。 先日、念願かなって、日本で唯一鳥居が鬼門を向いているという秋元神社の参拝に連れて行ってもらった。 神社に着くまでの道が、狭いというのは聞いていたが、わたしの運転技術では川底に落ちてしまうかも…と、怖くなる箇所もあるほどだった。 対向車が来ないことをひたす

        • 癒しのイルカ

          娘の幼馴染が、千葉から鹿児島まで会いに来てくれた。 GWの真っ只中に、突然、バイト代をはたいて鹿児島までくるというには、何らかの悩みがあってのことだろうという察しはついた。 高校3年生の彼女は、これから児童福祉の道に進みたいという強い希望があり、それに向かって色んな情報を調べていた。しかし、家族をはじめ周りの大人が口を揃えて「そんな大変な仕事、あなたには無理だから、その道に進むのならば学費も出さない!」とまで言われて途方にくれていたのだそうだ。 よくよく話を聞くと、反対し

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          ただ傍にいてくれるだけで

          コロナの影響は、感染などの身体的なものだけではなく、保育園の閉鎖など社会的なものも大きいと言われているが、我が家も、もれなくコロナの影響で、かわいい新生児が一時お泊まりすることになった。 おむつを替えて、ミルクをあげて、寝かせて、お風呂に入れて、着替えさせる…… ほぼこれくらいの内容で、一日が終わっていく。 何かを御所望される際は、思っ切り泣いて、満たされればニコリとする。この潔さがたまらない。 こんなにも、思いのままに、我がままに生きている姿は愛らしく、ただ傍にいてく

          ただ傍にいてくれるだけで

          まんまるお月さま

          ついさっき、西の海に夕陽を見送ったばかりなのに 「あれ?またお日様??」 と見間違えてしまったほど、 まんまるなお月さまが東の山から昇ってきた。 西も東も見渡せて 昇りたてのお月様に出逢えるのも 田舎暮らしの良いところだ。 満月の日は 車のスピードもゆっくりなる。 追い越す車もなく、みんなツラツラ連なって のんびりのろーり、走っている。 満月ってすごいなぁ。。。 ただそこにいるだけで、 人の心をとろーり溶かしてしまうのだもの。 お月さまをみると 昔、大好きだった 『

          まんまるお月さま

          根っこ

          たんぽぽの根は、2mくらい深く伸びている。こんなに可愛らしい花なのに、根っこを掘ってみると、逞しさに脱帽するほどだ。 コンクリートの割れ目から、のんびり風に揺れているたんぽぽは、強さを絵に描いたように感じる。 昔から、強い子になりたくて、苦手なことにチャレンジしてみたり、人前に出てみたり、嫌なことがあってもニコニコしてみたり……色々と頑張ってみた。でも、こうしてたんぽぽを見ると、そんなことじゃなかったのかもなぁと思う。 例え外からは見えなくても、自分の芯となる根っこをし

          言葉を口にする

          国語の先生だった父は、言葉に対してとても厳しかった。言葉の使い方以上に、言葉がもたらす現実への影響については、何より厳しかった。 「お前の口から出た言葉なら、言葉に対して責任を持て。それができないなら、初めから言うな」と。 そんな風に育てられているので、なかなか簡単に言葉にするというのが難しくもあるのだが、よかったことといえば、人の言葉を丁寧に感じ取るところだろう。 言葉が溢れている毎日だし、そんなに言葉には思い入れのない人だっているなかで、わたしはやっぱり、誰かの話は、どん

          言葉を口にする

          双子の世話をして思うこと

          姪っ子と甥っ子が、誕生した。 二卵性の双子ちゃんで、よーく見ると違いはわかるが、パッと見はよーく似ている。 お世話をしながら、わたしにはどっちがどっちだか一瞬わからなくなってしまうこともあるのだが、母親はそれがないらしいのだ。 やっぱりお臍で繋がっていた子どもたちだからなのだろうか? 自分が子育てをしているときは、毎日がバタバタしていて、ゆとりもなくあっという間に過ぎてしまったが、こうしてゆっくりと赤ちゃんのお世話をしていると、人は元々、こんなにも素直なんだよね…としみじ

          双子の世話をして思うこと

          エネルギー療法を受けて

          写真のように、朝日の上る桜島をみていると、いつも活火山のエネルギーと太陽のエネルギーが感じられるような気がして元気になる。 美味しいものを食べると、体にエネルギーが満ち満ちていくような感じがして、気が巡る。 普段から、エネルギー切れだとか、漠然とした使い方はするけれど、それ以上エネルギーについて意識したことはなかった。 昨日、エネルギー療法というものを受ける機会をもらった。 色々と原理を説明されても、よくわからない自信があったので、ひとまず受けてみるということになり、わ

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          美しさを学ぶ

          鹿児島は、いまツツジがあちこちで満開を迎えている。街路樹のツツジも、公園のツツジも綺麗に整備されていて、見事な美しさである。 ただ、植物に関していつも思うのは、誰も見ていないような場所に咲いている花こそ、息を呑むほどに美しいということだ。 今日も、なぜこんなところに?というような人が通らない場所に、ピョーンと伸びた草や、クネクネに曲がった木の隙間に、絶妙な配置でツツジが咲いているのを見つけた。 伸び伸びと、自由に咲くツツジは、エネルギーに溢れていて、堂々と且つ楽しげに見え

          美しさを学ぶ

          父のひと言

          今日、三女が高校に入学した。第一志望の高校を不合格となり、ポロポロ涙を流して過ごした日が、もう何ヶ月も前のように、晴れ晴れとした笑顔をみせてくれた。 泣き腫らした目が、まだ赤みを残すくらいのとき、三女が「じぃじに会いたい」というので、実家に連れて行った。 合格発表当日に連絡がなかったことで、大体のことは察してくれているだろうと思っていたが、玄関で出迎えてくれたじぃじは、開口一番に「合格だったか?」と目をキラキラさせて聞いてきた。 わたしは、三女の気持ちがまた沈むのではない

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          小手毬の下

          今日は、久しぶりに実家に立ち寄った。 庭には真っ白な小手毬が、鈴なりに咲いていて、青空とのコントラストが鮮やかだった。 小手毬を見るといつも、小さい頃読んだ本のことを思い出す。もう、題名も忘れてしまったけれど、小手毬の下で昼寝をする小ネズミの描写だけは、今も忘れられずに残っている。 そして、その描写があまりにも気持ちよさそうで、ネズミじゃない私も小手毬のしたに潜りこみ、昼寝を試みた。。。という、そんな思い出も。 実際の小手毬の下の昼寝は、足場も悪いし、枝がチクチクしていて

          小手毬の下

          ひとりは賑やか

          昨日は、ブログを書くことをお休みにしようと決めていた。それなのに、フッと隙間ができると、「せっかく始めたのだから書いた方が良くない?」「続けるって大事だよね」などなど、色んな言葉がわたしの中で聞こえてくる。「書いたら?」という提案程度なら聞き流していられるが、意地悪だったり、横柄な声を聞くと、だんだんと不安になってしまう。自分の声なのに・・・だ。 そんな自分の中の不協和音を聞きながらも、自分の心を外から眺めてはクスッと笑って過ごせたのは、大好きな詩を思い出したから。 わた

          ひとりは賑やか

          わたしが好きならそれでいい

          春になり、あちこちで綺麗な花が目を楽しませてくれている。 梅、桃、木瓜(ぼけ)などなど、木に咲く花が好きだ。今は、桜が満開でうっとりするほどだが、桜以上に好きなのが木蓮の花だ。 10代の頃、春の入り口くらいの肌寒い日、見上げるほどのどっしりとした木に、真っ白な花を可憐に咲かせている木蓮をみたとき、一目惚れしてしまったのだ。それからというもの、いつか白木蓮と赤木蓮を庭に植えたいと夢見ているほどだ。 しかし、一緒に暮らす母は、木蓮が嫌いだ。枯れた時に、大きな花が落ちてくるの

          わたしが好きならそれでいい

          心を形どる

          わたしは、この海の見える部屋で、お客さんの体のメンテナンスをする仕事をしている。色んなひとのからだをみていて思うことは、心とからだは密接につながっているということだ。 ひとりひとりの思いが詰まっているのが体で、思いを形どっているのも体なのだ。 痩せているとか太っているとか、足が長いとか、顔が小さいとか、それぞれ好みがあるけれど、見た目以上に大事なことは、ちゃんと体に表れている心の声を聞いてあげられているかどうかなのだと思う。 今のあなたは、思ったようにできている。 大

          心を形どる