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全盛期のAKB見てボロボロ泣く夜

私はAKBのファンではない。
でも、AKBは確かにひとつの時代で、今20代の私はその時代に生きていた。


AKBというひとつの時代

私はAKBのファンではないけど、アンチでもない。
特別熱心に彼女たちを追ってはいなかったけれど、修学旅行のバスでは『RIVER』や『大声ダイヤモンド』が流れていたし、給食や掃除の時間に『ヘビーローテーション』が流れていた。
記憶の片隅で、無邪気というには成熟してしまった小学校高学年の女の子が、長箒をマイクスタンドに見立ててヘビローテーションを踊っているのだ。

アイヲンチュー アイニージュー

野外活動の出し物で『フライングゲット』を踊らされた。クラスの女子の多数決で選ばれた『フライングゲット』を毎日聴きながら、多目的ホールで練習したのだ。
クラスにはダンスを習っているAKBが大好きな女の子が二人いて、クラスの女子全員で本番までになんとか形にしたのである。
あんなに練習したのに、今の私はもう『フライングゲット』を踊れない。それっぽい振り付けにさえならない、手足を不安げにギクシャクと動かすだけの動作にしかならない。それでも、『フライングゲット』に付随する色々な記憶、たとえば多目的ホールの天井の低さだとか、置いてあった扇風機の羽根がオレンジだったこととか、ダンスを教えてくれた女の子のハスキーな声だとか、そういうことばかりは鮮明に覚えている。

『ポニーテールとシュシュ』や『Everyday、カチューシャ』、『ギンガムチェック』も流行っていた。髪の長い子はボニーテールに括った髪にシュシュをつけていたし、髪が短い子も手首にシュシュをつけていた。たくさんの女の子がギンガムチェックのスカートに、長い靴下を合わせて履いていた。スカートを履かなくても、どこかにギンガムチェックがワンポイントで入っている服ばかりだった。服も筆箱も手提げも、ギラギラと可愛さを強気に主張していたのだ。


私はAKBのファンではないけれど、曲を聴けばサビくらい余裕で歌えるし、メンバーが全員わからなくても「神7」と呼ばれる人気の高い彼女たちの名前ならフルネームで言えてしまうのである。
前田敦子、大島優子、板野友美、渡辺麻友、高橋みなみ……

それくらい、AKBはひとつの時代だった。



過去になったAKB

AKBはひとつの時代だった。
だったのである。
今はというと、私の知っているAKBは「全盛期」と呼ばれているし、かつての栄光とされてしまっている。しかし私はAKBのファンではないので、時代を享受した者として寂しさを感じこそすれ、AKBは零落してしまったなどと嘆きはしない。
かつて一世を風靡し、可愛いのスターダムにのし上がったアイドル一強時代に幕が降りただけで、今でもAKBは頑張っているのだと思う。ただ、アイドルの数が圧倒的に増えた現代で「一番」に挙げられることが少なくなってしまっただけで。



全盛期のAKB見てボロボロ泣く

それでも、それでも私は、彼女たちを見てボロボロ泣く。
私はもう小学校高学年の世間知らずで無敵な女の子ではないし、AKBは最強のアイドルではなくなってしまった。

でも私は、『フライングゲット』を見てボロボロ泣く。
社会に放り投げられて、足が地につかないような不安のなかで平気なフリして生きている私は、どうしようもない夜、暗闇の自室で全盛期のAKBを見てボロボロに泣く。

https://youtu.be/WdhMjzfg6-k

懐古厨だと笑いたい奴は笑えばいい。
これはそんな簡単な話じゃないのだ。

頼りない暗闇の中で、スマホが煌々と光るのだ。
私が知っている、かつてのAKBが、最強へと自らの手で地下からのし上がった彼女たちが、ギラギラ輝くゴールドの衣装を身にまとい、ショッキングピンクやブルーが乱反射するサイケデリックで派手な舞台で、笑って歌って踊っているのだ。

名も無き地下アイドルから地上へと駆け上り、メデイアの脚光と女の子の憧憬と羨望を浴びて、ファンの熱狂さえエネルギーにかえてギラギラと輝いている。

私を見ろと。私こそが最強で最高に可愛いのだと。

それを見て私はボロボロ泣く。
普段大して泣くことはないのに、目がカッと熱くなって涙が勝手に溢れてくるのだ。頬を伝って枕がじっとりと濡れる。それくらいみっともなくボロボロ泣く。

けれど、私はこの涙を愛してる。
みっともなく泣く私を愛せる自分に、多分少し安心して、そこでようやく眠りにつこうと思えるのだ。


私はAKBのファンではない。
でも、全盛期のAKBを見てボロボロ泣くし、それで結構スッキリして勝手に救われたりしている。

「全盛期のAKB見てボロボロ泣く夜」

おしまい

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