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素直に喜べない悲しい大人たち

はじめに

アルゼンチンが36年ぶりに優勝をし、大波乱のW杯も幕を下ろしました。今回のW杯での日本代表の快進撃は目を引きものがありました。当初の予想ではドイツ、スペインが抜けるだろうと思われていましたが、ふたを開ければ、日本が首位通過をし、決勝トーナメントに進みました。クロアチア戦ではPK戦の末、惜しくも負けてしまいましたが、日本の全体の順位は9位で南アフリカW杯と並ぶ記録です。決勝トーナメントで点を取れるようになったのでベスト8も遠い話ではありません。W杯では選手だけでなく、サポートに注目が集まりました。日本人サポーターが試合後にゴミ拾いしていた様子が外国で取り上げられました。勝とうが負けようが関係なく、掃除をすることはいいことです。しかし、これにいちゃもんを付ける人たちがいました。今回はその人たちがいかに間違っているかについて書いていきます。

悲しい大人たち

元国会議員で東京都知事でもあった舛添要一氏が日本人サポーターのゴミ拾いについて、批判しています。彼の言いたいことはただ一つです。日本人は傲慢で、クソな存在だと言いたいのです。

彼のこのツイートに全く共感できません。ゴミ拾いが清掃員の仕事を奪っていると彼は言っていますが、ゴミ拾いをすることで、清掃員の方々の負担は減っています。仮に拾ったゴミの量で給与が決まる歩合制であれば、仕事を奪っていると言えなくはないですが、実際は違いはずで、決まった額の報酬で清掃活動をしているだけだと思います。仕事を奪うと言うのは、清掃員のやっていることを機械などがすることです。つまり、彼らにとって代わることを仕事を奪うと言います。日本人サポーターのゴミ拾いは仕事を奪っているのではなく、お手伝いの範囲です。仕事を奪うこととお手伝いの区別だけでなく、大半のことの区別が付かないから公費を私的なものに使ったのですかね?舛添氏は政治家、以前に人として問題があるとしか思えません。自分の方が有名なのにと思っているのかもしれませんが、あなたは間違いなく有名人ですよ。悪い意味で。斜めから切り込んでいる僕ちんかっこいいとか思わないでくださいね。単なるゴロツキですからね。

舛添氏の意見に賛同する人がヤフーコメントでも散見されました。「会場の日本人サポーターはどうせメディアがいる前だけでかっこを付けて、誰もいないところでポイ捨てとか平気でしているに違いない」や「彼らの行為は単なる偽善で、自己陶酔に陥っている」や「人の仕事を奪うのがそんなに楽しいのか」や「取り上げてもらえて目立ちたがり屋さんにとっては嬉しいですね」と電話番号の登録が必要となっても、こういうことを書く人がいるのかと思いました。こういう考えを持つことは自由ですが、彼らは何が楽しくてそんなことを書いているのだろうかと思います。人に優しくされたり、したりしたことがないのではないかと思ってしまいます。普通の神経をしていれば、こんなことが思い浮かぶはずがありません。
日本人サポーターのゴミ拾いは称賛されるべきことだと思いますし、称賛されたことに対して、誇りを持つべきだと思います。悲しいことに、何でもかんでもいちゃもんを付ける人は存在します。会社や学校、サークル、バイト先など、こういう悲しい人たちは一定数います。しかし、彼らのしていることは単なる嫉妬であったり、自分の方が上であるという優越感に浸ったりしているだけです。称賛された人よりもこういう斜めから切り込んだことを言う自分はもっとすごいんだと思い込んでいる哀れなタイプの人です。こういう人は自分で努力をせずに、誰かに注目が集まるとなんであいつがと勝手に思い、自分は注目されてもいい人間だと勘違いするタイプです。そして、誰からも相手にされていないような人たちです。今回、こうやって取り上げたのですから喜んでくださいね。今回、注目されているのはあなたたちですよ。これでますます人が来なくなったとか思わないでくださいね。自分の行動が原因なのですから(笑)
彼らの主張に中身などほとんどなく、彼らの意見に耳を傾けることほど時間を無駄にすることはありません。彼らの本心は注目してほしいだけで、うがったことを言うのは注目を集めるための道具だからです。そんなことを考えている彼らがまず、まともなことを言うはずがありません。寂しいので相手をしてほしいと素直に言えばいいのにと思います。まあ、相手なんてしたくはありませんが。
こんな大人になってはいけないという典型例ですね。

最後に

みなさんの身の回りにもこういう人はいたはずです。しかし、こういう人とは関わりが少なくなっていくはずです。それは一緒にいても楽しくないですし、いるだけで苦痛になります。称賛されるべきことを素直に褒めることができないのは、歪んでいますし、人として疑ってしまうところがあります。勝手に裏では平気でポイ捨てしているなどと妄想の世界で悪者と決めつけないと正気を保てない人とゴミ拾いをしているサポーターのどちらが素晴らしいかは一目瞭然です。ゴミ拾いに使った袋をそのまま会場に放置して帰ったというのであれば、偽善と言われてもおかしくありませんが、おそらく決められた場所にゴミ袋をおいて帰ったはずです。彼らの善意にいちゃもんを付けるような人がまともなわけがありません。普通の神経をしていれば、彼らの善意を素晴らしいと思うはずです。会場でのゴミ拾いをこれからも続けてほしいと思います。

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