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法を守る

はじめに

以前に何度か触れている話ではあるのですが、外国人がある犯罪に手を染め、逮捕・起訴されると不当逮捕であったり、外国人差別であったりと言われることがあります。その結果、釈放されたり、嫌疑不十分で不起訴になったりすることがあります。証拠が不十分であれば、起訴しても有罪に持って行くことは難しいですが、十分な証拠があっても、起訴しないケースもあります。今回は第二の大津事件が起こったとして、検察や司法がその独立を維持できるのかについて書いていこうと思います。


検察と裁判

裁判は大きく分けて、刑事裁判、民事裁判、行政裁判が3つあります。刑事裁判は被告の罪の存否やその罪に対する罰を与える裁判で、原告は行政(検察)で、被告は私人になります。刑事裁判は人権を著しく制限するため、刑事訴訟法でその手続きが厳格に定められており、原則、逮捕・捜査は裁判所の許可がないとできません。裁判で罪が確定するまでは、無罪であると推定される推定無罪の原則が働くため、逮捕・起訴されても無罪ということになります。そして、今回取り上げるのは刑事裁判です。
民事裁判は私人同士の争いを原告と被告に分かれて行う裁判で、損害賠償請求や離婚裁判などがこれに当たります。民事裁判の手続きは民事訴訟法にその手続きが定められております。余談ですが、民法は私法ですが、民事訴訟法は公法に当たります。
行政裁判は被告が国や地方自治体になります。生活保護の拒否や運転免許の減点などの取り消しを求める取消訴訟や国や地方自治体への損害賠償請求をする国家賠償請求訴訟が行政裁判に当たります。刑事裁判と行政裁判は被告と原告が逆になります。
被疑者(容疑者)を起訴できる権限を持っているのは、検察だけで、他の機関に起訴できる権限はありません。検察が不起訴とした事件を検察審査会が強制起訴することはありますが、検察が不起訴として、検察審査会で起訴相当などの判断が出て、検察が再度捜査し、不起訴となり、検察審査会で審査されてから強制起訴に踏み切ることになります。あくまでも検察の判断を受けてから、検察審査会が動くことになります。
起訴か不起訴の判断ができる検察ですが、最近、検察も外国人絡みの犯罪について少し消極的なように取れます。外国人が犯人とされているケースで不起訴となることがしばしば見受けられるような気がしています。外国人であれ、日本人であれ、悪いことをすれば、罰せられます。憲法に規定されている法の下の平等がある以上、同じ犯罪を起こしているのにも関わらず、罪の軽重を国籍で判断してはいけません。しかし、今はその逆が起こりつつあります。メディアや人権派団体(まともな組織を除く)と呼ばれるいかがわしい左翼団体が騒ぎ立てるからではないでしょうか?彼らの妄言に耳を貸す必要はなく、日本の治安維持のためにぜひともまともな判断をしていただきたいです。
民主党政権時には総理大臣から圧力があり、中国人が釈放されたことを当時外務大臣の前原さん(現、国民民主党)が告白しています。民主主義を掲げているはずの政党が非常に民主的でないことを行いました。法務大臣や総理大臣による指揮権の発動によって検察へ介入することは政権を揺るがす問題につながり、第一次吉田内閣はそれで総辞職しています。時の政権がそういったことに介入することは民主主義の根幹を揺るがす事態になりますので、介入をする場合は慎重にしていただきたいものです。


司法権と検察権の独立

司法権は行政権、立法権に並ぶ三権であり、行政権や立法権に干渉されることなく、粛々と裁判を行うことができる権利です。司法権を揺るがす大事件が明治時代に起こりました。それは1891年にロシア帝国の皇太子であったニコライ(後のニコライ二世)が滋賀県大津市で警察官の津田三蔵巡査に斬りつけられる事件が起こりました。犯人である津田三蔵は裁判にかけられ、ロシアと国際関係を気にしている当時の政府から極刑にするようにと圧力をかけましたが、当時の大審院(現在の最高裁にあたる機関)のトップであった児嶋惟謙が当時の刑法に則って無期懲役の判決を下しました。この一連の事件を大津事件と言い、行政権からの干渉を受けずに、司法権の独立を守った事件として有名です。児嶋惟謙は司法権を守り抜いた志士と言えます。
今、この司法権が検察同様、脅かされているのではないかと思ってしまうことがあります。検察が起訴したものの、外国人の被告の刑が明らかに軽い場合などが見受けられます。正犯でない場合は軽くなるのも理解できるのですが、明らかに正犯の場合で罪が軽くなるのはおかしいです。メディアでは事情が事情であるとして、犯罪者を擁護することがここ最近顕著に見られますが、そういったことは許されることではありませんし、情状酌量の余地があるかどうかを判断するのはメディアではなく、裁判所です。メディアが騒ぎ立てることで模倣犯が出てしまい、日本の秩序を乱すことに繋がります。
日本の司法は行政や立法と異なり、選挙で国民が選ぶことはなく、世論に大きく左右されることはありません。しかし、メディアやいかがわしい左翼団体が騒ぎ立てることによって、外国人による犯罪への対処が甘くなっては元も子もありません。大津事件のような大事件は起こっていませんが、そのうちそれに近しい事件が発生し、その時、司法や検察は自らの独立を守ることができるのか不安です。いかがわしい左翼団体やメディアが騒ぎ立てたとしても、児嶋惟謙のよう方が司法や検察を守ることはできるのでしょうか。
司法が世論を知ることも大事ですが、世論に流されず善悪の判断をしっかりつけていただきたいです。騒いだもの勝ちの世界になどなってほしくはありませんし、治安維持に努めていただきたいです。法が世論に流されるような国にはなってほしくありません。法治国家としての尊厳を守るためにもしっかりとした司法判断をこれからも維持していただきたいです。

最後に

法を守ることは法治国家としての最大の義務です。法を上回るようなものはまともな法治国家にはありません。民意が法を上回るものと言われますが、法の中で民意が最大限尊重されるだけであって、法を越える存在ではありません。しかし、法よりも個人の事情を尊重し、社会が悪いであったり、政治が悪いであったりと騒ぎ立てる人がおり、そういったノイジーマイノリティーの影響は少なからず検察や司法判断に影響を与えている可能性があります。事情がどうであれ悪いことは悪く、良いことは良いのです。こういった雑音とも取れるようなものに惑わされずに厳正な判断をしていただき、日本の法治国家の根幹を支えていただきたいです。決して犯罪者に甘い無法国家になどしてほしくありません。

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