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摂食障がいの克服56【マズローの欲求5段階説・摂食障がいになった理由?】

 【マズロー欲求5段階説】

 学生時代に心理学を学んでいて、この欲求説も様々な心理学の授業で紹介されていて、また経済学などでも出てきたように思います。

 人間の欲求はピラミッド型になっていて、一番土台となるところの欲求に、『生理的欲求』が来るそうです。全人類、どんな時代にも、食べるっていうこと、眠るということ、これって絶対に必要なこと。

 その、1番下の土台をクリアして、2段階目に移ります。『安全の欲求』です。安心して、眠れる場所があるかどうか。

 安全の欲求が満たされると、3番目、『所属の欲求』に移ります。生きていく上で、人は様々な場所に所属します。家庭であったり、職場、友達、など。居場所があるということ。

 4番目には、『承認の欲求』。自分は価値があると認められたい。

 この4番目までは、多くの人がたどり着くそうです(私が学生だった時代に習ったことなので、もう20年前の記憶に基づきます)。

 そして、5番目は、『自己実現の欲求』。自分にしかできないことをする、だとか、自分はもうだいたい実現したから他人のためにその能力を役立たせる、だとか、なかなかここにたどり着く人はいないそうです。

 両学長とか、りゅうじさんとか、自己実現されているなーって尊敬しています。(毎日youtube拝見している、という意味で、身近にいらっしゃる自己実現されている方たち)

 両学長は、確か5000万円ほど自分のお金を遣って、オフィスとか作られたりもしていますし、なかなか凡人にはできないことです。
 りゅうじさんだって、無料であのすばらしいレシピを毎日発信されていてすばらしいです(どうやら、週に2回、1度に4つ動画を撮られているそうで、なので、りゅうじさん、飲みながら動画撮るため、時に『レベル4』(酔い度)でおもしろいです)。

 ポイントは、ピラミッド型になっているということで、たとえば、2番目、3番目、と上の欲求にたどりついても、例えば下の欲求につまづけば、全部その欲求のところまで戻ってしまうというところです。

 安全の欲求、所属・・・とのぼってきたのに、食欲につまづくと戻るんだそうです。所属の欲求、承認の欲求・・・ってのぼってきたのに、安心して眠れる場所がないと、その欲求まで戻ってしまう。

 これって、つまり摂食障がいだと、常に一番下にいるようなものなのかな、って考えたりします。
 一番下の、『食欲』という欲を満足させてあげられない症状、もしくは満足してはいけない、と禁止する症状。

 でも、私も子育てしたことがありますが、人間って生まれた瞬間から、食欲そのものです。おなかがすいたら、ぎゃんぎゃん泣いて、満足したら、すやすや眠って、お風呂に入れば口をとがらせて至福の表情するし、もうとにかくかわいい・・・。目が覚めた瞬間おなかはすかせてるし、おなかがすけば素直に泣くし、離乳食も、『これがおいしー!』って思ったら指差してそればっかり食べて、ほかのものを食べさせようとしたら、口をぎゅっと結ぶし・・笑。素直で本当にかわいい。

 そんな、本能である食欲ってものが、いつの間にか歪んでしまったのは、いつのころなのか。

 思春期にダイエットとか、私もしたけれど、ダイエットした。食欲控えた。リバウンドした。それと、摂食障がいでは、何か違いますよね。

 ダイエットのリバウンドであれば、食べるということにも限りがあるんだけれど、摂食障がいの無茶食い症候群でも、過食でも、ちょっと理解できない何かにとりつかれている症状です。

 じゃあ、なんで摂食障がいになったんだろう。

 そう考えた際に、はい、これでこうなりました。

 そういう単純明快な答えってきっとなくて、あれ?って人生が本当にうまくいかなくなったころから、沼みたいなところに片足踏み入れて、私の場合は顔面神経麻痺とか、片耳全く聞こえなくなるなどありましたが、そのあと、乗り越えようとして、だって働かないといけないし、って体調不良無視し続けて、お金を稼ぐために居場所がどんどん、もしかしたらなくなって、友達とかとの時間なんてもてなくなって、どんどんどんどん、ひとりの闘いになって、次第に食べることすら、もうできなくなった。

 そう考えると、このマズローの欲求5段階説の、『承認』とか、『所属』とか、そんな欲求すべてに転んで、安全すら感じられなくなって、とうとう、一番下の、食欲に戻ってきた。

 何だかそんな気もするんです。

 もちろん、私の人生なんて、7転び8起きではなく、10転びみたいなものだったけれど、でも息子と出会って、・・・出会う前も仕事とかわりとしていたので、つらかったこととか、一時頭にはないほどに、仕事に没頭したり、色々、それこそ食べる時間もなくても、普通におふろは入るものだったし、生活は何とかなっていた。

 世間知らずというか、育った家はあまり裕福ではないし、なのに異様に厳しくて、禁止が多かった家庭でしたが、なんとか、大学まで行って、就職もして、仕事に生きがい感じて、劣等感あれど、そんなところも、なぜかスルーしてくれる優しい人たちに自分の居場所を見つけて、幸せを感じたんです。

 劣等感とか、もうなんでなんだろうっておもう身体をコントロールできない辛さとか色々ありつつ、なんとか生きて、息子に出会うというところまで進んで。
 
 たくさんの幸せもあったはず。でも、マズローのおっしゃる、どこかで躓いたとき、一番土台の食欲に戻ってきたんでしょうね・・・。

 逆にいうと、摂食障がいになられた方、なぜ、マズローの言う、一番下の欲求に今、自分が戻ってきたのか。そう考えたら、あー、安全がなかった。所属してなかった。承認されてなかった。とか、あるのでしょうか。

 まずは、食欲だったり、睡眠だったり、もう存分に満たしてあげることによって、安全に暮らそう。安全に暮らせれば、じゃあ、所属しよう、とかきっと思えるんだと思います。

 マイナスからのスタートなので、思い切ってたくさん食べないと治らないかも。

 ・・・食べるっていうのは、『嘔吐を伴わない』、代償行為を伴わない、というところなんだと思います。確かに食べると太るし、食べ過ぎて明け方何度も泣いたけど、吐いてる限り同じことの繰り返しになるような気がして。

 youtuberのソラさんって方がいらっしゃって、(事故で亡くなりましたが)、毎回配信でおいしそうにパスタやおにぎり食べてて、毎回、この症状の辛さに寄り添って、優しいメッセージをくださっていて、吐くっていうことだって、一種の排泄なんだから。っておっしゃっていて、優しいなーって私涙が出て。

 でも、やっぱり、30キロ台や、40キロ前半や、低体重だったとしたら、まず、食べて、マズローのいう、1番下の欲求満たせたらいいなーって思います。2段階目の安心に移れたらもっといいし、さらに所属できる場所が見つかればもっといいですよね。

 私は無職だし、息子ももう独立してるし、何も所属の場がないから、色々純度が高いんです。一つ一つに対する期待も失望も、大きい。

 だから、きっと1段階目か2段階目かな、ってよく話しています。

 自分がどこ、というより、なぜ、1番下の食欲につまづいているか。そう考えたとき、実は、ああ・・・あのときそれで辛かったんだってわかるんじゃないかな、とか、もしもわかれば、対策が取れるんじゃ。そう、先ほど考えていました。

 本当は、自分の努力というか、認められたかっただとか、
 本当は、所属というか、誰かとただ、つながっているんだって、思いたかっただとか、ただ、安心して眠りたかった(将来の不安なしに)だとか、

 ただ、食べたかった。なんていうことも、もちろん拒食を経験すれば、本能的にあるけれど、じゃあなぜ拒食になるまでに追い詰められたの、って考えたとき、人間社会に適応できなかっただとか、自分自身の魂が苦しんでいたとか、そういうことがあったんじゃないか、って。

 友達がなぞに、ゼリーばっかり買ってきます。写真がないから、撮ってみました。

 

 

 

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