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摂食障がいの克服116【ママの神様】

 おはようございます。

 ボウリングは、楽しかったです。
 その昔、私が最後にボウリングをしたときの思い出がその後よくないものと結びついているので、どうかなあと思いました。
 その時の思いを頭に浮かべるとだめで。無になると案外ピンが倒れました。

 その後みんなで飲んだり食べたり。テンションがコントロールできない私は、一種の『そう状態』・・・

 反省しています。
 息子にもよく、『なんでそんなに色々知らんの』と言われるけれど、私ってきっと本当に頭が回らないんだと思います。なので、営業の仕事していたときに、非常に勉強になりました。これまでの貿易関連とは違い、自分の足で何時間も何時間も歩く大切さ。たったひとつの手土産を持っていくこと、ポスティングを何軒も日がくれてもする大変さ。
 人は人に喜んでもらって生きていく、そのために生きている。けれど私にはそれができない。1のことに夢中になるあまり、周りが見えない。

 けれど・・息子に言われたことがあるのは、『もう生きてるだけでいいから、長生きし。』

 例え周りの人を喜ばせられなくても、寿命が来るまで生きていく、ということなんですよね。私は私以外になれなくて、努力はできるはずなのに、気が回らないし、けれど、全員に好かれるために生きてるわけでもない。

 【ママの神様】という小説があります。室井結月さん著作。
 *記憶に基づいて書いておりますので、若干差異があるかと思います。
 
 ママは男性運がありませんが、ひとりにされることが最大の恐怖のため、男性なしで生きていけない。けれど、おなかに赤ちゃんがいるとわかって、男性のもとを離れ、シングルマザーとして生きる覚悟を決めて、家賃12万円の家を借り、その1階でスナックを経営し、生計を立てます。

 2階はボロボロ。またスナック経営なので夜はママは1階にいるため、5才(ぐらい)の息子は2階でひとりで眠ります。朝、ペラペラのカーテンを通して日がさすので何とか目覚める。『ママ、起きて』けれど、3日に1度は幼稚園に送ることもできないんです。お仕事で疲れすぎているから。

 また、幼稚園に送る日も、お弁当を持参させることは厳しく、後でオリジンのお弁当を届ける。

 幼稚園に向かう前、メイクも落としていない顔を拭き、ジャージに着替え、『ママ。髪』と言われてたばね、息子が用意してくれた上着を着てなんとか向かう。他のママさんたちに噂される。『お酒臭いのよ・・』とか。

 そして、幼稚園の先生に呼び出されます。
 ふと考えるんです。『あたしは幸せだ。けれど、息子は私がママで幸せなのか』と。

 ・・・普通の家庭では夜、小さな子供がひとりで寝ていないでしょうし、幼稚園に母親が起きられないという理由でお休みしないし、またお弁当も力作揃いなんですよね。しかしこの息子。朝噂されても、『ママ、ぼくは気にしてない。』と言ってくれたり、お弁当は『オリジンのからあげが好きだから』と言ってくれたり、またママのためにストーブつけてくれてたり、できた子なんです。

 ・・・とはいえ母親の悩む気持ちもわかる。

 ある日、息子が、ひとりでたまごやきを作ろうとしたのか、やけどをしたんです。母親としては悩みますよね。

 ここからがとっても好きなパート。
 先生に呼び出され落ち込みながらも、早めに幼稚園から帰宅。その途中、『今日はなんでも好きなもの作ってあげる』そうすると、息子がわーいって喜ぶんですよね(かわいい・・・涙)
 また、コンビニによるんです。すると、チョコレートがたくさん売っている。『なんだ?なんでチョコレートなんだ?』

 『もうすぐ、好きな人にチョコレートを贈るっていう日があるんだよ』ママが教えてると、息子が考え込む。
 『ママ、ママのお客さんにチョコレートを配ったらいいんじゃないかな。そうしたらみんな、気づくんじゃないかな、素敵なママだって』

 ・・・そういうわけでコンビニでチョコを買います。
 『おまえにも買ってやるよ』・・ママが息子にいうと、息子が言うんです。
 『ぼくはいい。ぼくはもう、素敵なママって知ってるもん』

 ・・・繋いだ手を離さなければ、こんな私でも正しく生きていけるに違いないというラストの文。

 この翌日だったか、息子がちゃんと自分で起きて、たまごかけご飯を食べながら、『ママ、おはよう』っていう。

 いい子です。そして素敵な親子です。

 私と息子はイギリスでもケンカばかりでしたけど・・・・

 この小説が好きで何度も読み返していたけれど、これも手放したので、また買おうかな、と思いつつ、心の中で好きな小説として今は想っています。

 何が言いたかったかというと、私も人に好かれる性格じゃないんです。
 その自覚があるんです。だいぶ変わっているし、浮き沈みも激しいし、普通の人らしく生活したいのに、仕事面ではするのに、それ以外のところにあまり努力ができないのと、変なところばかり気にするので本質的に何だかだめなところが勢ぞろいしている。

 昨日、ボウリングの後の飲み会では、それを自分でもはっきりと自覚したし、その後とある人に、それをずっと指摘されていました。
 以前なら激しく落ち込むと思うのですが、(いえ、気が付かないという面では十分に激しく落ち込んでいるのですが)ただ、その人が私を無理とジャッジしても、私にとっても無理ならイーブンだしなあ・・・と。

 生きていくってなんて難しいんでしょうね。普通のことが普通にできるように、なぜみんな自然とできるんだろう。

 とはいいつつ、このママの神様のママは、スナックで働き、お客様の満足を得てお金を得て、家賃を払い、自分の時間なんて皆無でありながら、息子をここまで優しい子に育てたんだなーって思うとすばらしい。それだけで十分。

 ・・・・ここまでよく育てました

 となぜか上から目線の息子に私は一昨日言われて、昨日のことを回想しつつ、好きな小説に思いをはせつつ、またこんな私を見捨てないで、ちゃんと大事に想ってくれる人に感謝をしている今朝です。

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