摂食障がいの克服66【ライフワークと、絵】
私のライフワークは、『摂食障がい』です。
なぜ、この症状になってしまって、これだけ何年も苦しみ、本当に、摂食障がいが憎くて、許されるなら、そればかり考えていたいとも思います。
私自身、拒食症になってしまい、2年間も夜、絶食して、お米を食べなかった。2年×夕食って、つまり730食。
取り戻したくもなりますよね・・・。
ちなみに、拒食症を治したい、そう思ったきっかけは、自分が、わずか30分ほどの距離をもう歩けなくなってしまった。自転車も漕げなくなってしまった。それがきっかけでした。
それまで過去の辛さ云々で、頭がすべてをシャットアウトしてしまい、生きていたのか、どうなのかもわからない時期を経験しました。生きていたんですけれど、記憶があまりないんです。ただ、このままじゃだめだと思って、食べてみたんです。
2年間夜を絶食(朝も昼もほぼ食べてない)していると、トマトとか、野菜は大丈夫。初めて揚げ物食べて、消化できなくて、夜何時間も苦しみました。あんな発作は初めてです。コロッケひとつ、消化できなくなっていた。
それからが過食症発症です。お米が止まらない、棚という棚を探し出す、朝、昨日の夜を思って悲しむ。でも、仕事に行く。ちょっとずつ太って、周りは、あれ?太った?って聞く。
私は食べたい。
私は、今まで食べてこなかったものを食べたい。
私だって、お米、パン、ピザ、麺、粉もの、食べたい。
でも周りは理解できないから、私の過食欲についていけなかったりもします。そうすると、傷つくんです。自分は、食べたいのに、食べたいことを認めてもらえないんだ。
過食症だけれど、試食ができない。そこに、一口食べてみたいなーってグルメがあっても、できない。
過食症と拒食症は紙一重で、根底には同じ気持ちがあると思うんです。
それは、今、そして、過去、苦しい、苦しかった、ということ。
症状が出ているのは、今のこの、『食べられない』『食べたい』だけれど、裏にあるのは、苦しかった、無理をした、そして、辛うじて、生きてきた。そういう気持ちじゃないかな、って私は思います。
じゃあ、もう辛うじて生きてきたから、過食、許していいんじゃないかな、
って思いつつ、私は、ストップかけてます。やっぱり、もう一度立ち上がりたい。過食が止まらないときは、それで、生きてるんだから、それでいいけど。今、過食以外に意識持って行かれるならそれでもいいんじゃないかなーって。
いつも考えますが、鬱になったり、摂食障がいになったり、メンタルが苦しいということは、収入に直結します。
だから、短期的不安と長期的不安が、混在するんじゃないかなって思って。
今、この瞬間、きついんなら、私過食はしないな。だって今それほど苦しくないから。でも、え・・・どうしよう、この先どうしよう。それから過去、どうしよう(過去はどうしようもないながらに、すごい脅威)、って考えると、もう過食に逃げるしかない、だって苦しいもん。
ってなるんです。短期的不安ならまだよくても、もう人間だから、考えること多すぎて、とりあえず、過食しなきゃ、とか、お願い、今日だけは今日だけは、食べたいよー、ってなる。
何気に、一昨日絵を描いて、アイコンを変えたら、気づいてくださった方がいたので、今日ひたすら、絵を描いていました笑
絵が好きです。昔の自分に寄り添えるなら、なお、よかったかなあ。
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