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20240106 | 三分間日記

今日はただの思考のはきだめ。

子供のやりたいことの話をじっくり聞いたり、世界を広げるためにいろいろなことを伝えるのは大切なことだと思っている。

だけど、自分が置かれているどうしようもない環境のせいで、チャレンジすること自体が困難なとき、どうしたらいいんだろうなといつも思う。いつもいつも。無邪気にドキドキわくわくする世界を届けることの残酷さ、みたいなことを考えてしまう。

将来やりたいことについての思いを語ってくれたけれど、それを「ちゃんとやろうとする」には大学に行く必要があって、大学に行くためにはお金がどうしたって必要で、だけど実家には頼れない、そんなことを話してくれた生徒との対話の中で久しぶりに思い出した感覚だった。

今までそんな話をたくさん聞いてきたし、その度にもどかしさを感じてきた。そこで昔のわたしは「話を聞くことって無力だな」と思ってしまった。だから、環境自体に働きかけられる社会福祉士にたどり着いたんだよな。だけど、実際は無力には変わりない。

「奨学金を借りれば」とか「バイトを掛け持ちしたら」とか、選択肢はあるけれど、安易に勧めることはあまりにも無責任すぎるなと思ってしまう。そのどちらだって、簡単ではないはずで。

だけど、それでも、伝えることに意味があるのかな。そして、知ることに意味があるのかな。本当の意味での選択肢って、どうやったら広がるんだろう。

わからないな。ずっとわからないでいる。10年前も今も、同じ問いを持ち続けていて、変わらない。

一つわかることと言えば、結局正解はないから一緒に悩むことが必要なんだろうなってこと。一緒に悩み続けることのできる「場所」がやっぱりほしいと思った。

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