処方 / 20200803

ゆるりゆるりと蝕まれている。多分。変わりました。僕は変わっていないけど、薬が変わると、僕は変わる。活動的になったり、筋弛緩作用によって動きが緩慢になったり、何もかもが重くてジャムのビンが開けられなくて笑っちゃったり。そんな自分が可愛いから、ベッドの中に机や筆記用具を揃えて、過ごしやすいようにしてあげた。可愛かった。可愛いから殺してあげたい。早くこんな地獄から助けてあげたい。生きているのに死にたいと思うのはしんどいよってのは何回も言って来たことなんだ、矛盾なんだ。不可抗力で転がり続ける坂で、止めて!誰か止めて!と叫んでいるのを、周囲が「変なの」って笑っている。障害者は健常者にとっての見世物なんだ!と被害妄想的になってみたり、でもそんな健常者の中に紛れて、怪しまれないように隠れて生きている自分も居るし、でも結局健常者という崇高な存在にはなれなくて、自分の無力さを嘆いて、泣いちゃうよ。しくしく。僕は親に、「生んでほしいなんて頼んだ覚えはない!」というのは、理屈は分からないけど、なんだかおかしくて、暴論だと思っていた。親からしても、こんな子供を産む予定はなかった。って思ってると思う。生まれて、育ってみないと分からない感情だった。多分僕は生まれる前に生きてみる?と神さまに訊かれたら、とりあえず生きてみようかな、と答えていたと思う。だから生まれてきたこと自体に恨みとかつらみとかそういうのはない。生まれて来たことと生きていくことは別問題なんだと、切り離して考えるようになった。生まれてきたことも間違いだと思ってはいるけど、生き方を間違えた。生まれてくることは僕にはどうしようもなかったけど、生き方だけは僕だけで変えられた。それを変えて来なかった。環境に甘えて、世間を知ろうとせず、馬鹿みたいに、手放しで寿命まで生きられると思っていた。何処かで。馬鹿みたいにじゃなくて、馬鹿なんだと思う。話が逸れた。処方されてる薬が一部変わりました。その薬は死にたい思いを消してくれる代わりに、大好きなマーマレードジャムの瓶(開封済み)を素手では開けられないくらい弱体化してしまうし、眠る薬は、奇行を失くした代わりに、瞼が自動的に下りてくるハイテクな仕組みを持っていた。死にたい思いは、消えない。朝に飲んで(昨日は昼に起きたから昼に飲んだんだけど)日付が変わったころにはもう切れてきて、筋弛緩作用が切れて身体が動けるようになる代わりに、死にたい思いも侵入してくる。そこにはどうも、鍵が掛からない。寿命まで生きる気もないし、家族に将来の話をされると、しんどくなる。僕に将来なんてないのに、もう数年以内には死んでると思う、いや死ぬから関係ないよと思って聞き流してなんとかしている。もう未来なんて眩しい話、やめて欲しい。最大限にポエムを吐かせてもらうと、あれ、なんて言おうとしたんだっけ(素)。そうそう、死にたいしかない今に必死なのに、未来なんて考えられるわけないじゃないか。きみもそう思うだろう?!最近僕は、親の言うことをきく代わりに生きることをゆるされている、と思うようになった。ご飯を作ってもらう代わりに、親の言うことをきく。それが強制されてるわけじゃなくて、ご飯を作ってもらって、わーいありがとう、って言った時に、それでさ、と眩しい話をする。ご飯を作ってもらった手前、聞かないといけないと思うし、それに疑いとかはない。でも聞くのはつらい。お腹は空くしさ。ああ、生きる条件だ、対価だ、対価が払えないなら死ぬしかない。ただで生きさせてもらえるなんて思うなよ。この甘えがよ。って誰かが言うみたいだ。違うんですか。多分違うと思うけど、違うと思えたら病気じゃないから違わない。これが、健全な発達らしい。親が変だって、病院の先生が言っていたけど、その変な親の言うことを聞けなくなって、結局苦しいのは僕だ。同じ井戸の毒を食らって、同じように共依存でしあわせにいきていればよかった。知る前には戻れない。ああ、後ろ髪を引かれる。引かれるほど髪は長くないんだけど。もう僕の先も、長くはないんだけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?