勉強する子供

何故勉強しないといけないか?

何故勉しないといけないか。小学校高学年くらいになってくると、疑問に思う子も出てきます。自分がまさにそういう小学生でした。前にも書いた通り、自分は小さい頃から暗算が苦手で、また、小学校低学年の頃は足し算、引き算(特に繰り上がりありの足し算とか😅)が超苦手で、アナログの時計の針が読めなくて、この子大丈夫か❓と両親はたいそう心配したそうです(笑)。ドラえもんで言えば、まさにのび太君状態です💦。ちなみに特技はどこでも枕があればすぐに寝れることです(笑)。

また、一方で体育と音楽はもっとかなり劣等生で、授業で何をやっても人並みにできない訳でして、「何で体育や音楽なんてする必要があるんだろう...」と思っていました。ことに体育の内、よくある不得意な水泳も勿論不得意でした(笑)。本当に勉強もイマイチ、スポーツはもっとダメ、音楽才能無しというどうしようもない感じでした😅💦

ところがスイミングスクールに通うようになって、爽やかなあんちゃんに教わったところ、「え?ああ、そういうことなん!?。体育の先生、嘘というか、そんなこと一言も言ってへんかったやん❗。それやったらできるで❗」ということのオンパレードで😅、ほんの2、3回のレッスンでまあ人並みのクロールができるようになり、「おお、顔の横を水が流れていくで~これがクロールかぁ!」と感動したものです(笑)。

学校の体育の授業って、先生の模範演技を見ただけで、出来る子供たちが基準に組み立てられていて、それをできない子に根性論的反復練習を強いるところがあって、できない子からは「なんでこんなこと」と感じられたのですが、その人その人のレベルにあって教えてくれれば、運動ってこんなに楽しいのかと、実感しました(それでも球技は今でも全くダメダメですが...)。

「何で勉強をしなければならないの?」という疑問の根底にあるのは、自分の体育のクロールの勉強バージョンで、勉強が苦手な子供にとって勉強に費やす労力と、そこから得られる(学べる)ことがあまりにミスマッチで、その意味を見出し難い、ということなのではないかと思います。それはつまり、学ぶ側(習得する側)と、教える側の要求水準のミスマッチに大きな原因があり、一度教えればわかる子を基準にせず、分からない子を前提に教える体制が必要なんだと思います。ただ、分からない子は、自分のクロールがそうであったように、それぞれ様々な部分が分からなかったりするので、個別に分からないところを見出して教えてやらないといけないんだろうと思われます。

ただ、ここが難しいところで、文科省の予算の問題ということがあるんです。悲しいことに、わが国はこと子供の保育や教育にとにかくお金を掛けたがらず、端的に言えば、子供を育てたいなら、また勉強したいなら、自分たちのお金でやれよ、という方針なのですよ💦

それが、今日の少子高齢化社会を迎えている一つの大きな原因でもあるのですが...orz。

ということで、「何で勉強しなければいけないの?」という小学生の質問に対して、小学生の方に分かるように書きますと、以下のようになります。

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小学生「どうして勉強しないといけないの?」

自分「なるほど、その質問をしている時点で、残念ながら君はあまり勉強が得意ではないよね。申し訳ないけれど、それは君自身が分かっていることだし、自分の現状を理解するのはとても大事なことだから、むしろいいことだよ。でもね、もっと大事なのは、今苦手だからといって勉強を嫌いになることはないということなんだ。君が勉強が苦手なのは、分からないところがあるからで、そこを分かっている大人に教えてもらえれば、必ず分かるようになる。勉強ってそういう風にできているんだよ。そして分かったときはとっても楽しいし、将来本当に君自身だけでなく周りの人の役に立つんだ。だから、そういうきちんと教えてくれる大人を探すといい。まずは、君の先生に聞いてみよう。授業では皆が相手だから君の疑問点を素通りした先生も、個別に聞けば君の疑問点を見つけ出してそれを解いてくれるかもしれない。先生にとってそういうのはとても楽しい仕事だから、君の先生にその能力があれば、きっとやってくれるよ。なにせ、まず、聞いてみることだよ。でも、きちんと聞いて、先生の説明を聞いて分からなかったら、きっぱりあきらめよう。先生にも向き不向きがある。君の先生が、不幸にして君の疑問に答える能力がないなんてことは、世の中結構よくあることなんだよ。そうしたら、お母さんに頼んで家庭教師を見つけてもらうなり、勉強のやり方や学校の先生が教えてくれないようなことを教えてくれる塾に行くなりすればいい。こう言うとなんだけど、世の中やっぱりお金を払うと、色々選択肢は広がるんだよ。もし君の家にそんなお金がなかったら、今度はお父さんお母さん、親戚のおじさんおばさん、おにいさん、おねえさんに、色々と聞いてみることだ。お金がないのは残念だけれど、意外に世の中いい人はいっぱいいる。お金がなければ図書館のお姉さんに助けてもらいながら分かりやすそうな本を自分で探すとか、バイタリティーでカバーすれば、これまた何とかなるものさ。ただもし君にお金もバイタリティーもなく、かつ最初に戻って先生の説明を聞いて一回で分かる才能もなかったら、残念ながら、確かに君の言う通り、勉強に労力を費やすのは結構な時間の無駄かもしれないね。そうなら、運動でも音楽でも友達付き合いでも、得意な分野で努力して、勉強はまあ恥ずかしくない程度にしておいた方が、良いかもしれないよ。今は気がつかないだろうけど、人の命には限りがあるからね。」

最後に論語から。前から何回も出してますが...😅

子曰く、「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」と。要旨は知る者より好む者、好む者より楽しむものが勝っている、と言うことで、口語訳は「ものごとを知識として知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。さらにこれを愛好する者は、楽しんでこれと一体になっている者にはおよばない」という意味です。勉強もただ面白くないと逃げるんじゃなくて、自分でも工夫して面白くするんですよ❗。そういう手助けは先生はしてくれます。実際面白いんですから❗️

昔の方は良いこと言ってますよ。もっと国語や歴史を勉強することは、特に理系の方にとってもとても大事であることも改めて強調しておきたいと思います😉

小難しく言えば、リベラルアーツを文系理系関係なく皆に勉強頂きたいのです。

リベラルアーツとは、文系、理系の区別なく幅広い知識を得た後に、専門性を深めることで、豊富な知識に裏打ちされた創造的な発想を可能とする教育。ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本と見なされた自由七科のこと。具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学・音楽(ここでいう音楽の教育は、現代の音楽教育とは範疇が異なる)の4科のこと。

#勉強の意味 #教育 #日本の根本的な問題 #リベラルアーツを教育の基本に据えるべき #リベラルアーツ #少子高齢化問題

ヘッダー画像転載元 : http://www.irasutoya.com/2013/04/blog-post_3826.html
のび太画像転載元 : http://i2.wp.com/monst.appbako.com/wp-content/uploads/2015/03/20150305nobita_shinkamae-thumb-320xauto-10349.png

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