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視聴覚室

長女の高校2年の時代、3学期のある日、私が会議で詰められている時にスマホがブルブル震え出した。何だろうと訝しくは思ったものの、無視せざるを得ない状況だったので放っておいた。

だが、私が集中砲火に堪えている間に、何度となくその振動が私を襲い、だんだんとイライラしてくると同時に、これは、何かあったなと嫌な予感が頭をよぎった。

ようやく解放される時間となり、スマホを見ると、長女の担任からの電話だった。

実は、長女は、高校1年の2学期から、学校からたびたび呼び出されていた。特に数学の成績が常時赤点の低空飛行で、必ず追試だった。それも1度ならず2度、3度と追試を受け続ける。高校において数学は必修科目で、単位が取れないことは留年もしくは卒業できないことを意味する。

遠き自らの学生時代を思い起こす。私もよく英語の追試を受けた。教科は違えど、なぜかどこかで親子は似るものだ。そう、苦笑せざるを得ない。

長女が在籍した高校は、親を呼び出すのが好きだ。それも決まって平日に呼び出す。恐らくそれが生徒へのプレッシャーのつもりなのだろう。普通の家庭ならば、母親が呼び出されるところなのだろうが、我が家は、困ったときは、私が全面に押し出される。定期試験、学期面談ごとに呼び出されるレギュラーメンバーで、高1の時から担任から緊急連絡先として私の携帯電話の番号に、電話がかかってくるという寸法だった。

気乗りは全くしなかったが、やむなく昼休みに、かかってきた電話に折り返しをかけると、受付に繋がる。そしてほどなく担任が出てくる。そして重々しい雰囲気で私に告げる。

明日、学校に来れますか。2度目の追試を受けてもらうことになります。これで受からないと、留年になります。

高2の3学期。もう進路指導も入り、受験を完全に意識している時期。その時期に、進級できないかも知れないという。今回ばかりは、担任の深刻度も違った。

仕事の上にプライベートでさらに落ち込む。上司に理由を告げ、翌日の午前中の仕事を調整して午前中の半休を申し出ると、上司は何度となく私がそういう目に会っていることを当然のごとく知っていて、

仕事も大変だけれど、娘さんも、大変だね。

と、気の毒そうに許可をくれた。

翌日、学校に着くと、受付で呼び出された旨を告げ、教室を案内される。毎度のこと、視聴覚室に入ると、同様に呼び出された親たちが集結している。仲良く会話している親などいない。高1の時は、まだ、親の雰囲気も暗さは少なかったが、学年が進むごとに、そして学年末に進むごとに、重々しい雰囲気になってくる。

暫く待っていると、当該の生徒達が教室に入ってくる。長女の学校は1学年の生徒数が多い。15クラスある。しかしその中でも、2度目の追試を受ける生徒は、20人くらいだった。大多数が男子生徒。女生徒は5,6人と言ったところか。

ほどなく時間となり、学年主任が教室に入ってくる。開口一番、

君たちは、大学受験どころか、高校3年生になれない可能性がある。留年だ。将来を考えると、ここが、正念場だ。

親に迷惑をかけるなとか、色々言っていたと思うが、あまり覚えていない。一通りの生徒への説明が終わり、親への説明になり、親へは、よくよく生徒と話をし、ここから這い上がって、大学受験、進学を改めて親子で考え直して出直して欲しいと言われたように思う。

帰宅して、夕食後、長女と、家内と、3人で静かに集まった。

ここまで来ると、みんなで覚悟を決めるしかない。そして、起死回生を狙おうと静かに話した。人生、色々ある。もしも仮に留年したとしても、命を取られるわけではない。どんと構えて、みんなでぶつかろう。きっと道はひらける。そんなことを話した。


それを聞いた長女は泣きじゃくりながら、

わたし、頑張る。心を入れ替えて、頑張る。

そう、言った。

学校側は、高校3年の直前にもなると、進学実績になる生徒は大切にするが、長女のような、いわゆる落ちこぼれ生徒のことは、あからさまに冷たくあしらった。その学校の態度にも辟易としたのだが、考えてみれば身から出た錆でもある。そう思い直したうえで、私は、長女のことが無性に愛おしくなり、一緒に泣きたくなった。

※明日の記事に、続く。



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