横着
ついこのあいだ、「完璧」という記事を書いた。だが同時に、家内は、かなり横着なのである。人とは、ほんとうに、矛盾する性質を併せ持つ不思議な生き物である。
家内が横着であることは、いろいろなことから容易に推測されるのであるが、例えば、こういうことである。
洗い物はするが、排水溝のネットの交換は、ほぼ、しない。排水溝のネットを剥がすときに、手が汚れる。手を洗わねばならない。それを考えると、交換する前に、新たなネットを出し、汚れたネットを入れ込むビニール袋を準備し、ゴミ箱の蓋を開けておかねばならない。
その段取りが、面倒なのである。
私も、この工程、実は、面倒だとは思っている。だが、それでも必要だから、実行する。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
みんな、近くに置いてあるし、ゴミ箱も、すぐ後ろにあるのにね。
そう言えば、大切なお菓子の置き場が、秘密の扉でなくなり、テーブル周辺に変更されたことを書いたところだった。
これで訪れた変化は、おやつの消耗早く、おやつだけは、賞味期限切れは撲滅されたということと、家族全員の体脂肪率が上がった、ということだろう。
横着という、人間の本質を正そうとしても、これは、極めて難しい。特に、人のこととなると、尚更である。
ようやく、一時的に戻ってきた日常。日常とは、実に安心感がある。
家内が、ソファーのところで、にっこり笑って、脚を指さしている。
私は、パブロフの犬のごとく、家内の足を、マッサージする。
マッサージをすると、家内は、上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。
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