密かに推している(缶切りではないものを“おす”話)

こんばんは
こちらは午後から雨が降り始めました。
三寒四温
一雨ごとに春が景色を彩って行きます。


密かに“推し活”をはじめている。
缶切りはずっと引かずに押して生きてきた人生です。

しかし
私は推したことがない。

好きな俳優(女優)、歌い手やアニメ、何らかのグループなんかは時々に、いたのはいた。

しかし今で言う
“推し”
昔で言うとこの“おっかけ”まではいかなくとも“熱烈なファン”というのをしたことがない。

熱烈どころか誰かの“ファン”も怪しい。
胸を張って“ファン”と言えた試しがない。

TVで観たり
話題に上がったりすれば
「この人好き」って思っていても
“ファン”って大腕ふって呼べる人になった試しがない人生だった。
誰かにあれだけ夢中になれる人というのが羨ましかった。

“ファン”っぽいふりをしてみてもそれは仲の良い誰かの真似事やその場の雰囲気を壊さない程度の好きで(今よく言う“にわか”とは違う気がしている)
私自身がTVで映ったその人やその曲を
「好き」って感じても
その人やその人が奏でる音楽やらをわざわざ遡ったことはほぼないし、その人がでる番組、ドラマ、歌う新曲、アルバムを待ち望んだこともない。
おこがましくて“好き”とも言えない。

なんなら、誰かとドラマを観ている時に、何となく顔の知った好き(って言っていいのか??)な俳優さんが出ている時に。
「この俳優さん好きなんだよな」
と呟いてしまって、

ふと、流れてきた曲に
「この曲好き」
と呟いてしまって、

その一緒にいる誰かに
「なんて名前?」と尋ねられれば答えられない。
って失態をなん度もやらかしている。

逆に
「私もーーー!」
「この人の⭐︎⭐︎って曲もいいよね!」
なんて
知らぬ情報を喰らってしまって
浅い“好き”がバレて恥ずかしくなったことも多々あるあるなので
“好き”が口から出し辛くなって生きてきた。

さらには
何となくの場繋ぎの雑談で
「俳優さんとかアーティストとか好きな人いる?」と尋ねられると誰か答えなくてはと焦る。
(アーティスト、、ただの“歌手”いなくななりましたよね。)


ってか好きな人は(素敵だなと思う人は)沢山いるのだ。
で、焦れば焦るほど
私の間抜けで浅い“好き”は口から出てこなくて口ごもる。

TV越しの顔は浮かんでくるのに、出たドラマのストーリーは浮かんでくるのに、その歌い手の歌詞の一節なら浮かんでくるのに

顔が浮かぶその俳優さんの、アーティストの、名前さえ
出てこなくなる。

ひどい

老化か?!!?!

いや
小学生の頃からである。

(最近は近しい年齢の友人知人の瞬発力も落ちていて、固有名詞がなかなかでてきにくくなっているのは私と同じな様子で、そこは「あれあれ」同士でかえって話が通じるようになった(笑))

そんな私が
ここ数年を振り返ると

これは
推してる?
いや推していないまでも
“ファン”
位ならもう名乗ってもいいのでは

と思える人が数人に増えた。
そして
忙しい!(笑)

これ!これって!
“推し活”で忙しいってやつ?!!

と嬉しくびっくりしている。
我ながら遅い。

ここ数年でその過去を漁り
その新しきを求め
グッズまでもを買い
何なら過去グッズまでもをメルカリで探し
チケットを取るためだけにではなくいくつかのファンクラブに10年近くぶりに入会してみたり。
各種snsをフォローし、

忙しい

推し活って
こんなに忙しいんだ
体力いるのね

と推し活先輩らを感嘆する。
同じファンクラブに入っているはずなのに、その情報と手配、手順を踏む速さ、そつのなさに感嘆する。
年季が違う。
まめさが違う。
行動力が違う。

そして私はついていく
私なりのスピードで追ってみる。
迫ってみる。

楽しい
びっくりする
今までの私にはなかった楽しさだ。

人生が
と言ったら大袈裟だろうか
彩ってくる。

そして
この楽しみをしてこなかった自分が勿体無い。
タイムマシンに乗り込んであの時あの瞬間から知っていれば、ファンであったのならと、悔やまれる。
「“古参”です」って
大腕振って言いたかった〜!!!

初心者の私は
今はまだ大抵オンデマンドだ。
というか
オンデマンドに救われている。
現代のタイムマシンだ。
有難い。

しかし
あっちにもこっちにも情報が飛ぶsnsには振りまわされる
(一つにまとめてくれや)と思う。
私がまだ使い方をこなしてないからだろうか?

発信する方も大変なんだろうな
色々駆使しているのだろう
色んな戦略とかも

乗っかってみよう。
踊ってみよう。

この歳になって素直にそう思う。

ついて行ってみよう
何が見えるかな

ワクワクして思う。

遠巻きに“推している”
遅ればせながら追いつこうと“推している”

そしてここまで書いてみて思う

推している??
とんでもない

“押されているな”
しっくりくる。

今日もあなた方☆に背中押されています。
とても遠いけれど
あなた方の観ている世界をのぞきたくて
追いつきたくて
snsを眺めて
あなた方が観ている景色を知った気になってしまう。

思えば自分は
これまであまりエンタメを必要としない人生だったのかも知れない。
それは幸せなことなのかも知れない。
とも思う。

時代に合わせた
流行歌(古っ!笑)を口ずさんでいれば充分満たされた。

いざ、気の合う友達や会社の付き合いでカラオケに行くと
全然2番は歌えなくって
それでも拳を振り上げて
合いの手入れて
楽しくて
声枯らして
それで十分だった。

こんなん流行っているんだ。
ってTVで観て、
教室で同級生がするモノマネ見ていれば楽しかった。

それは、いつも自分の人生で
精一杯だったってことなのかな?
日常が満ち足りていたってことなのかな??

慰めや希望を
ありありと誰かに求めることもなく
進んでこられた
幸せ者ってことかな???

とも想う。

イヤ、結論。
ただキャパ少ないだけでしょ!

今日も朝から
キャパの少ない各種方面浅いファンは色んな人に
背中を押してもらいながら
進みます。

私は密かに推している。


#推し活 #ファン #にわか  
#おっかけ #アイドル #さらしもの
#きみこそスターだ #ミーハー

そんな自分を浅くて流行りに乗っかるミーハーだなぁ。
と思っていたこともある。

でも思う

売れるものってやっぱり良いんだよ。
売れないものにも良いものはいっぱいあるけれど。

だから私の様なキャパの少ない昔人間はあちらこちらとYouTubeを彷徨うよりも、ズバッとTVで話題になっているドラマ、歌番組、CM、時の人から素敵だなって思う光る人をオンデマンドしながら追いかける。
それで、丁度良し。

オンデマンド有難う。

そしてそんな時代だからこそ
それにコロナの様な危機的な混乱状況を目にしてしまったからこそ
LIVE価値が上がっているんだろうなぁ。

でも、私が学生の時もやっぱりLIVEの価値は高かった。
両替した10円玉をしこたま準備して昼休み、学校の公衆電話からチケットピアへ電話しまくって劇場チケット取ってる同級生いましたいました。

そう、その子らに何度か連れて行ってもらった劇場で私はLIVE、演劇の楽しさを知った。
クルクル変わるライトや大きな音響は、刺激的すぎてしんどい時もあったけれど。
有難うね。

パワフルな人に
私はいつも助けられている。

そんな私は小劇場派だ。
おそい情報入手
少ないチケットはいつも売り切れだ。

#配信LIVE  #推しの子  #オタク

“オタク”と呼ばれる夢中になれる力がある人達を尊敬している。

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